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「人様のお金」OPM(A4・224頁)  連載 13

2013年03月13日 | 厚生年金基金

(2)「年金基金」というビジョン
イ.時代の要請
30年余経過してきた厚生年金基金は、凍結の事態となりしばしの執行猶予を宣せられたのですが、これをもっけの幸いとしてこの間に厚生年金基金制度の抜本的・根本的な問題を考えるべき時なのでしょう。
厚生年金基金は、ここにきて官民両方の苦境の影響を全面的に受けることになってしまいました。厚生省の凍結の事態は、公的年金のスリム化という要請が現実的な対応の場面で暗礁に乗り上げましたということであり、その派生現象で、基金も同様の凍結の事態になったということです。一方、企業の退職金は退職給付債務会計の導入で賃金後払い説に断定されたということで、突然の巨額債務の出現により、代行返上や給付削減や基金解散や、さらには確定拠出型年金への移行等が議論されるようになってきました。
とは言え、単に基金の問題ばかりを切り離して直線的に考えるということはもはや出来ない錯綜した事態になっていますし、それは世界レベルの経済・社会の動向を踏まえ、日本の政治・財政・法律・行政・経済・社会・金融・企業動向等の多面的踊り場を巻き込む必要があることを多くの人々がコンセンサスとしてきているのです。
それには、アインシュタインも言うように文脈の変更、経路の再構築が必要でしょう。曰く「人類が直面しているさまざまな難問は、それが出てきた思考のレベルでは解決できない。思考のレベルを変えるべきです。人類が今なさねばならないのは、新しい思考を発見することだ。」(日比野省三『突破の科学』)というように。


そして私たちが、400年間パラダイムの支配者であったデカルト思考に代わる
パラダイムとして提案したのがブレイクスルー思考なのだ。……・。ブレイクスル
ー思考は、デカルト思考のように穴を掘って、要素部分に入り込んで物事を考え
る思考ではない。山に登り、全体から物事を考える思考方法なのだ。
そこで重要なのはシステム論だ。システムは、「①複数の要素があり、②その要
素のあいだに、互いに関連性があり、③目的・機能をもつもの」と定義できる。

日比野省三『突破の科学』―「ブレイクスルーを使いこなす」


(私事に渡りますが、筆者のこの『人様のお金』の論究は、ことによると「新しい思考」の発見を目指している方法論探求の作業なのかもしれないと、再々の<突然の羞恥>の到来があるのに無知と明晰さに欠けた傲慢な文章を書きながら顔面を赤らめつつ、僭越にも、ふと考えてしまいました。
 ここまで読み進んでいただきました皆さんも、スパッと切り裂いた明晰な知性の舌鋒の鋭さとは無縁の重複部分の再々の登場に、忍耐も事切れる状態に放り置かれ、もうとっくにこの本を投げ出したくなっていらっしゃるでしょう。
 落着しそうもない無数の素材の衝突、抽象化されることのない過剰なフレーズの浮遊、否定につぐ否定のダメージ、一向に見えてきません新たな建設、ドメスティックなものの・スルーな乱舞……・。ことによると、このように捨象しきれないドメスティックなもののムーブメントの渦中に放り置かれて、人知れず強制されているのかも知れない思考のレッスンに思わず<断定の大鉈>を振り落としましょうとしていらっしゃることでしょう。いつまでも<決まらない>、というか<決めない>筆者に怒りさえ感じていらっしゃるでしょうと考えらマドリングれます。
 そうではありましょうが、皆さん、いましばらくの猶予をお願いいたします。もう、終わりにしますので。)

ロ.政府からも企業からも独立
そこで、基金問題の最も根本的な問題としてあるのが、厚生年金基金と言えば、<社会保障代行制度>と<企業退職金代替制度>ということに集約されてきましたが、この是非について議論を避ける訳にはいかないでしょう。この際、徹底的にこの点を極めなければならないでしょう。
厚生年金基金に課せられた機能が、国の社会保障政策の一環として所得再分配機能なのか、国費のコスト削減機能なのか、あるいは又、企業法人の功労報奨的退職金の非課税対策手段なのか。何れにしても、両者共その根幹にある方法論は統制というスタイルであるのは上述してきたとおりであり、両者共その対象(国民であり従業員)の<上からの強制>、<知らしめず>のファッショ的支配であることには違いがありません。


赤ん坊はぼやけた目で私を見ようとした。その瞬間、妻と私はウォール街なんか
どうでもよくなってしまうような素晴らしい仲間なんだと知った。もし私がこの時
の考えを心の中心に保持していることができたら、多分すべてが全く違ったものに
なっていたことだろう。
しかし、私自身がいろいろな意味で赤ん坊であった。

D.レビン/W.ホファー『インサイドアウト』
―ウォール街証券マンの栄光と転落


どちらにしても、多様に議論することは出来るでありましょうが、官民互いに都合良く互いの権益確保のために統制手法のファッショで厚生年金基金を勝手に使ってきた経緯は拒みようもありません。このレベルでは、<人様のお金>という認識はなく、互いに<自分たちの金>呼ばわりしてやってこられたのでしょう。そこに基金の使い勝手の良さがあったのですし、そういう機能の重複している点に曖昧さが積算され、概念の混乱、合成の誤謬をもたらしたとも考えられるのではないでしょうか。厚生年金本体とその代行の凍結の事態と退職給付債務導入のPBO爆弾の事態で、従来の概念、機能はすでに限界にきたことを明示したのであります。
ことここに至って、厚生年金基金の機能を官僚と法人資本主義の統制手法から分離した明確なコンセンサスにすることが要請されるのではないでしょうか。つまり、政府も企業も背景に退かせ、政府からも企業からも独立しました法人として、社会保障と退職金の頚木から脱した民間企業社員の老後資金システムとして機能させるようには出来ないものでしょうか。統制から自由になりましたフレーム・ワークを創れないものでしょうか。
これを達成するためには、当面「顔の見えない厚生年金基金」に対する工夫、ハイブリット型等への変更検討や加入員台帳の定期配布(年金額だけではなく政府の免除掛金額と企業の掛金負担額も明示しました)や、WWW上に加入員個々の現在値(または将来の予想値年金額)を情報公開(前ぺージ参照)するとか、企業は一定率の掛金拠出のみで積立不足金の企業負担も掛金抑制やコントリュービューション・ホリディもない財政運営、金融子会社として登記、柔軟な給付制度の確立、理事会の権限充実、代議員会の廃止、会社人事から独立した基金採用の人事、事務費掛金の返上、年金経理から事務費の捻出、企業のIR活動のような情報開示の徹底、とくにインターネット等を使いましたスピーディーな双方向情報のやり取り等々、課題山積を工夫していかなければならないでしょう。招来的には、年金適用・給付事業と資産運用事業を分離し、年金適用・給付事業はアウトソーシングとし、資産運用事業は金融子会社にしてインハウス運用とすることなども検討することになりましょう。




ハ.厚生年金基金のインフラ・ノウハウ
30年余の経験の蓄積されたもの、或いは一部形成途上、又は試行錯誤中とは言え、厚生年金基金を中核としてまがりなりにも官民の協力で打ち立てられた老後資金確保のインフラ・ノウハウは、日本では他に類を見ない貴重な無形財産です。企業年金の今一つの制度の適格年金の世界にそういうものがあるかと言えば、資産運用基本方針も、資産運用委員会も、時価評価基準も、財政運営規程も、分散投資手法も、受託者責任研究会も、支払保証事業等もないままです。だいたいが適格年金は年金ではなく、一時金制度なのです。又、機関運用を別にして、個人の資産運用の世界でも何かそのようなインフラ・ノウハウが育成されているかと言えば、投資信託、商品ファンド等で一部インフラ整備が始まったばかりという程度でしょう。更に、企業の財務畑のゼネラリストが考える余資運用とは、年金の資産運用がインフラ・ノウハウの点でも全く性格が違うことを認識していない現実があります。だいいち、資産を<自分たちの金>だと思い、<人様のお金>などという意識はまったくないし、だいたいが資産運用そのものに関するインフラの整備さえ皆無なのですから。
基金は、このような状況で日本の資産運用文化形成のフロント・ランナーとして、経験と形成されたもの、形成されつつあるものの基盤の上に、更に一層の研鑽が求められるところです。法理(契約と信認)、財政(統制計画経済と市場経済)、行政(裁量行政から事後監視型行政)、会計(簿価から時価)、資産運用(お任せ運用から運用指図)、国民意識(依存体質から独立独歩へ、サラリーマンからオーナー意識へ)等々の多方面の各ジャンルの展開を刺激し促進していくことになります。



ロッキィーズ物語

・さよならメッセージ

拝啓 新年も明け、新チームづくりに希望を馳せておられることと存じます。年
頭より、兵庫南部地震があり、なにやら不安な気持ちの幕開けとなりました。
さて、昭和五十二年春、新林の杜に少年野球クラブとしてスタートし、皆様に愛
され、皆様と共に活動して参りました「新林ロッキーズ」、残念な気持ちでいっぱ
いですが、部員が少なくなりチーム構成が不能となり、十八年の活動の歴史に幕を
閉じることになりました。
永い間、本当に、本当に有難うございました。
その間、皆様から頂きました熱き友情、暖かい励まし、そして、数多くのよき想
い出と、チーム一同、深く感謝申し上げると共に、心より御礼申し上げます。
想い出のたくさんつまった十八年、チーム関係者も野球優先の休日でしたが、こ
れからはそれぞれが何かを見つけていくことでしょう。ただ、野球を忘れることは
出来ません。これからも、街でお会いしましたら声をかけさせていただきますし、
暫くはグランドに足が向くかもしれません。その節はよろしくお願い申し上げます。
本来でしたら、ご挨拶に伺い御礼を申し上げるべきはずではございますが、まず
は、書中をもって御礼方々ご挨拶申し上げます。
皆様方のご健康とチームのご活躍を心より、心よりお祈り申し上げます。
最後に、熱き友情を永遠にお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。
敬具

平成7年2月1日
新林ロッキィーズ
代表 N.R
コーチ 一同


 
ハ.厚生年金基金のインフラ・ノウハウ
30年余の経験の蓄積されたもの、あるいは一部形成途上、又は試行錯誤中とは言え、厚生年金基金を中核としてまがりなりにも官民の協力で打ち立てられた老後資金確保のインフラ・ノウハウは、日本では他に類を見ない貴重な無形財産です。企業年金の今一つの制度の適格年金の世界にそういうものがあるかと言えば、資産運用基本方針も、資産運用委員会も、時価評価基準も、財政運営規程も、分散投資手法も、受託者責任研究会も、支払保証事業等もないままです。だいたいが適格年金は年金ではなく、一時金制度なのです。又、機関運用を別にして、個人の資産運用の世界でも何かそのようなインフラ・ノウハウが育成されているかと言えば、投資信託、商品ファンド等で一部インフラ整備が始まったばかりという程度でしょう。更に、企業の財務畑のゼネラリストが考える余資運用とは、年金の資産運用がインフラ・ノウハウの点でも全く性格が違うことを認識していない現実があります。だいいち、資産を<自分たちの金>だと思い、<人様のお金>などという意識はまったくないし、だいたいが資産運用そのものに関するインフラの整備さえ皆無なのですから。
基金は、このような状況で日本の資産運用文化形成のフロント・ランナーとして、経験と形成されたもの、形成されつつあるものの基盤の上に、更に一層の研鑽が求められるところです。法理(契約と信認)、財政(統制計画経済と市場経済)、行政(裁量行政から事後監視型行政)、会計(簿価から時価)、資産運用(お任せ運用から運用指図)、国民意識(依存体質から独立独歩へ、サラリーマンからオーナー意識へ)等々の多方面の各ジャンルの展開を刺激し促進していくことになります。

ニ.老後資金システム再構築の手法
これまで筆者は、無数・多様な材料の収集の上に、様々な切り口、様々なステージから<厚生年金基金って、何んだ?>と問うてきました。それは<人様のお金>であったり、<顔の見えない基金>、<死に体>、<ミイラ>であったり、掛金収納マシーンであったり、政府の社会保障の代行であったり、企業の退職金支払団体であったり、年金支払機関、機関投資家であったり、金融子会社であったり、……多様な顔を持つ際限のない述語探しを行ってきました。
この論理の延長上にはおそらく<述語は永遠に溢れる>というシジュホスの神話の繰返しの責め苦が待っているだけなのでしょうか、それとも希望の持てる展開が控えているのでしょうか。<決める>のではなく、<決まる>のを待つのか。ブレイクスルー思考の合理性(マトリックス上にシステムが出現するのか)で探求すべきなのか。天才を待望すべきなのか。政府提供のインフラ(4省案401(k))で足りるのか、民間構築のインフラで立ち向かうべきなのか。大陸法から英米法、自己責任から他者依存、契約から信認なのか。為替・株価の価格形成のようなA.スミス見えざる手への委託か、社会保障か個人口座か。パブリック・コメントや住民投票に賭けパブリック・コメント間に解決策が隠されているのか。<家族→政府・企業→個人>というのが経路なのか。

歴史的パースペクティブで物事を捉えようとすると、今、我々が目撃しつつある
のは、かたくな政治的、理念的ドグマを物事の判断基準にした時代から、経済的
リアリティを判断基準にする時代への速やかな移行である。
人間が作った理念が、経済的現実(市場)の前には無力であることを今ほど思い
知らされる時代はない。

若林栄四/佐中明雄『大円高時代』
「はじめに」若林栄四


 どんな手法が、どんな思考スタイルが、ふさわしいのか。多分、それは事前にこれと指定出来ないような性格のものであり、気がついたときには確立しているようなものではないでしょうか。少なくとも理念先行の統制手法ではありえないでしょうし、現実との格闘を切磋琢磨な試行錯誤によって展開することになるのでしょう。



ホ.選択肢
とは言え、選択肢は多様に考えられるでしょう。多様なことが時代のニーズです。しかも、一つの形で全てのニーズを汲み上げるのは出来がたいのですから、複合型というのが現実的なのかもしれません。

1.完全民営化
2.厚生年金基金の廃止
3.代行分の返上
4.確定拠出型年金への切り替え
5.ハイブリッド型等への変更
6.個人口座型年金
7.適用除外方式年金
8.事後監視型年金
9.Bアカウント年金
10.年金基金
   

   ヘ.「年金基金」というビジョン
右肩上がり経済の頓挫と超少子高齢化のプレッシャーが要請する公的年金のスリム化と退職給付債務会計導入に伴う退職金の後払い賃金化に議論が落着してきましたという国民コンセンサスとは別に、筆者は、官民共に統制手法により<自分たちの金>扱いしてきた金が実は<人様のお金>でありましたという発見について述べてきました。
ここから導きだされるのは、厚生年金基金の政府と企業からの分離独立という経路、統制手法からの分離独立という経路でしょう。それは、おそらく統制離れした<人様のお金>の「年金基金」という次ぺージのビジョンに落着するのではないでしょうか。
 政府の統制手法(国家の義務という大義名分での統制)で構築されている代行部分と、一般的に功労報奨的退職金(民間の統制手法・個を許容しない会社主義統治)の移行により設計されている加算年金部分とによって厚生年金基金は形成されてきましたが、そこに積み上がりましたストック(平成12年3月末で60兆円)を政府も企業も各々が<自分たちの金>扱いしてきた事情については上述してきたとおりです。その<自分たちの金>の内実が統制手法によって積み上げられてきたという事実も繰り返し述べてきたとおりです。
グローバル・スタンダードとPBO爆弾により政府・企業の統制という汚れた手を洗い流してみると、積み上がりましたストックが実は<人様のお金>であったという発見についても述べ終わったところです。





 ここからの経路は、<人様のお金>である「年金基金」は自身自らが統制色を払拭しました構造に生まれ変わらなければならないということになりましょう。人様の顔がありありと見える構造に。ということは、徹底した情報開示が必須のことになりましょう。それを可能にするインフラとノウハウはかなり蓄積されています。後は、人々の意識を、積み上がったストックを<自分たちの金>とみなすことから<人様のお金>であるという認識に変えていくことであります。とはいえ、それは恣意的な操作によってではなく「年金基金」というフレーム・ワークが自から生みだしていくのでしょう。

金利は本来、自由に「決まる」ものであり、中央銀行が「決める」べきものでは
ない。欧米先進国ではみんなそうなっているのに日本は例外で、金利は<統制価格>
となっている。

西山千明編著『M.フリードマンの思想』


ここにきて、次ぎのような議論を読者はどう読まれるでありましょうか。


2階部分の報酬比例部分は、発足当初は国庫負担というものがあったが、現在は
どちらかというと拠出建てに近い性格のものになっている。拠出時に給付が決まる
部分だから、所得再分配の機能は、絶無とはいわないまでも、きわめて乏しい。そ
ういう部分が現在は代行制度の対象になっている。ですから、これを代行どころか
民営化しても、所得再分配という点ではさほど大きな問題はないと考えられる。
また、この部分を民営化しても、賦課方式のものを積立方式にするわけではな
いので、移行コストというか、現在年金を受け取っている高齢者のための拠出もし
ながら自分の老後のための積立てもするという、いわゆる二重の負担の問題も、あ
まり考えなくてすむ。

厚生年金基金連合会編『21世紀の企業年金』1997
基調講演:船後正道「企業年金の将来像」


船後正道 21世紀研究会では正面からこうした問題を取り上げてはいないが、
認識は十分にある。そのうえでスライド・再評価を除く報酬比例部分の民営化を提
案した。イギリスのように適用除外要件を逐次緩和し、最後に給付面で公的年金と
のリンクを切断すれば民営化は可能である。

厚生年金基金連合会編『21世紀の企業年金』1997
パネルディスカッション
矢野氏 異論がある。……たくさん保険料を納めると、ある程度たくさんもら
える仕組みを残した方が、年金制度に加入するインセンティブにつながる。
小塩氏 そもそも意見の違いは、社会保障の仕組みにどこまで所得再分配を期待
するかという点だ。……しかし報酬比例部分は所得再分配と切り離していい。所
得再分配という機能を期待するから、政府がやらないといけないという理屈になる。

矢野朝水/小塩隆士:けいざい闘論「公的年金の民営化論」
日本経済新聞 2000/5/22 朝刊


矢野氏 いまの日本の経済・財政事情から見れば、(二重負担の問題は)具体的
な解決策はない。だから民営化論は現実的な選択肢としてはあり得ない。
小塩氏 二重の負担は非常に誤解されている。賦課方式は負担を将来世代にどん
どん先送りする仕組みだ。問題は積立方式に移行することで負担が顕在化すること
よりも、賦課方式で順々に先送りしていることにある。……。
矢野氏 ……。もちろんほっておくと二重の負担はますます大きくなる。そこ
で将来に向けて給付をスリム化し、負担を軽減するための今回の法改正をした。一
挙に手荒なことをやるのでなく、いまの枠組みを維持した上で現役世代と将来世代
が痛みを分かちあって公的年金の守備範囲を縮小することが、現実的なやり方とし
て国民の理解が得やすい。

矢野朝水/小塩隆士:けいざい闘論「公的年金の民営化論」
日本経済新聞 2000/5/22 朝刊


 政府の年金局長が一般紙に出て考え方を発言することは、「知らしめず、依らしむべし」の従来の官僚の観点からすると<革命的な行動>と評価出来ますが、議論の争点は、「所得再分配」や「二重負担の問題」でしょうか。それでは実務者の技術論のレベルではないでしょうか。それとも、ここでは技術論をこそ議論しているのでしょうか。それとも、技術論の議論にフレーム・ワークの哲学が介在しているとでも言うのでしょうか。問題は、技術論の背景であるグローバルな状況における日本の経済・社会のビジョンをどう創りだすのか、統制ファッショ下の国家依存・会社依存の国民意識をどう革新するのか、イニシアティブに溢れた国民による経済・社会の活況をどう生み出すのか、ということではないのでしょうか。この視点からの議論こそ緊急な要請でしょう。


ト.<人様のお金>のインフラ革命パワー
戦後、憲法第25条に明記されました「国民の幸福」は、産業振興と福祉国家建設の計画の影の下に“官制”の「国民の幸福」として一応達成されましたが、その内実は官民の統制手法ゆえに民主主義の空洞化と倫理の崩壊と個の抹殺をもたらしました。この事実は、政治パワーを二分していた冷戦構造の崩壊により有無を言わせず確証されました、と同時に、地球レベルのグローバル化の進展と共に、日本の世界にも稀な少子・高齢化の急激な進展をまともに浴びることによっても確認させられたということです。それは、別の言い方をすれば積み上がったストックが、実は、<人様のお金>だったという発見により、次々とこの事実が指弾され始めている、ということでもあります。
憲法のポツダム支配、議会制民主主義に対する内閣法制局の暴挙等の反民主主義的行動、法制の理念デッチ上げ的大陸法主義、官僚の理念思考型統制手法、法人資本主義の株式持合い等の反市場主義な民間の統制手法、金融機関等の官僚迎合的経営と大量の株式保有による流動性阻止構造等々の、日本の旧体制一般の統制手法に対して、速効性は持ち合わせていないが、必ずや<人様のお金>のインフラ革命パワーが統制手法そのものを断罪し、フレーム・ワークの刷新を促すことになりましょうということです。しかも、その効能は、真綿で締め上げるようなおもむろさで致死的に「決まっていく」のです。誰も「決めない」が自から「決まる」のです。
このことのシナジー効果は、旧体制の統制システムを追放し、統制ファッショに取り抑えられていた国民意識の覚醒を促し、個の確立・自我の誕生をもたらすときに表面化し、それが更に新規のインフラストラクチュアの構築を突き進めるという<循環>を生みだしたときに最大化されるのです。即ち、そのとき<人様のお金>がエンジンと化すのです。


もう一つの希望は第三勢力と化した機関投資家が、資本市場における株価形成を
カジノにさせないように「革命の前衛」として機能する可能性にある。個人的には
この回路こそ21世紀のモデルを構築しえるように感じる。

三ツ谷 誠:JMM 00/05/01 No.060 Monday edition


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