異文化交流クイズ。本日から始まるフォースシーズンのテーマは「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花期」。
タイトル通り、14歳で家族とともに日本にやって来たアメリカ人少女が残した日記からの出題となります。
彼女の名前はクララ・ホイットニー。明治8年、彼女が家族と共に日本にやってきた時には、まだ15歳にもなっていませんでした
このホイットニー一家(父・母・兄・クララ・妹)が家族ごと日本にやってくるきっかけを作ったのは、薩摩藩出身の森有礼。森は外国との通商を増加させるためには、欧米の商法・簿記を教える学校が必要であると考え、知り合いの言語学者ウイリアム・ドワイト・ホイットニーに相談。その結果、彼の従兄弟に当たるクララの父、ウイリアム・コグスウェル・ホイットニー(なんと従弟なのに同名)が、東京に開設予定の商法学校(商法講習所)の所長兼教師として招聘されることになります。
もっとも招聘しておきながらこの商法講習所の開設は遅々として進みません。実は来日前に運営していた学校が潰れ、半ば破産状態だったとされるホイットニー家は、忽ち経済的に破綻します。クララの日記には少女らしい「率直な」森への罵倒が並んでいたりしますw。面白いのでその部分を抜粋。
『財政上の困難については事態は変わらない。まるで森氏が私達に借金で恥をかかせるか、餓死させるためにここに連れてきたみたいに思われる』
そんな状況の中、一家に救いの手を差し伸べたのが勝安芳こと勝海舟でした。
海舟は森の了承と、ホイットニー家の為に奔走していた福沢諭吉と大鳥圭介の同意も得た上で、ホイットニー家救済と商法講習所設立を条件に、千ドルという大金を寄付します。
これにより、ようやくホイットニー家は安定した暮らしを手に入れ、商法講習所も無事開校を迎えることになります。
さて、いまサラリと上で書きましたが、クララの日記には当時彼女が出会った人物達が、それこそ今日歴史の教科書に名前が載っている人々の生の姿が、赤裸々に描かれています。
日本人では勝海舟、森有礼、福沢諭吉、大山巌、大鳥圭介、津田仙、新島襄、若かりし頃の徳川家第十六代徳川家達など。
外国人ではイギリス公使ハリー・パークス、ヘボン式ローマ字のヘボン博士、法律家のボアソナード、美術評論家のフェノロサ、果てはアメリカの元大統領グラントまでと多種多彩。
なお人脈的に考えると渋沢栄一にも会っててないと本来おかしいのですが、少なくとも若い頃につけていたクララの日記に渋沢栄一は出てきません。でも「商法講習所関連の諸々」のことを考えると少なくともクララの父親と渋沢栄一が面識がある筈なのですが。
さて、この辺りの詳しい話は次回述べるとして、まずは今シリーズの最初のクエスチョン。
クララの父、ウイリアムが(実質的な)初代所長を勤めた商法講習所ですが、現在も名前を変え大学として現存しています。この商法講習所を前身とする大学の、現在の名前は何でしょう?
タイトル通り、14歳で家族とともに日本にやって来たアメリカ人少女が残した日記からの出題となります。
彼女の名前はクララ・ホイットニー。明治8年、彼女が家族と共に日本にやってきた時には、まだ15歳にもなっていませんでした
このホイットニー一家(父・母・兄・クララ・妹)が家族ごと日本にやってくるきっかけを作ったのは、薩摩藩出身の森有礼。森は外国との通商を増加させるためには、欧米の商法・簿記を教える学校が必要であると考え、知り合いの言語学者ウイリアム・ドワイト・ホイットニーに相談。その結果、彼の従兄弟に当たるクララの父、ウイリアム・コグスウェル・ホイットニー(なんと従弟なのに同名)が、東京に開設予定の商法学校(商法講習所)の所長兼教師として招聘されることになります。
もっとも招聘しておきながらこの商法講習所の開設は遅々として進みません。実は来日前に運営していた学校が潰れ、半ば破産状態だったとされるホイットニー家は、忽ち経済的に破綻します。クララの日記には少女らしい「率直な」森への罵倒が並んでいたりしますw。面白いのでその部分を抜粋。
『財政上の困難については事態は変わらない。まるで森氏が私達に借金で恥をかかせるか、餓死させるためにここに連れてきたみたいに思われる』
そんな状況の中、一家に救いの手を差し伸べたのが勝安芳こと勝海舟でした。
海舟は森の了承と、ホイットニー家の為に奔走していた福沢諭吉と大鳥圭介の同意も得た上で、ホイットニー家救済と商法講習所設立を条件に、千ドルという大金を寄付します。
これにより、ようやくホイットニー家は安定した暮らしを手に入れ、商法講習所も無事開校を迎えることになります。
さて、いまサラリと上で書きましたが、クララの日記には当時彼女が出会った人物達が、それこそ今日歴史の教科書に名前が載っている人々の生の姿が、赤裸々に描かれています。
日本人では勝海舟、森有礼、福沢諭吉、大山巌、大鳥圭介、津田仙、新島襄、若かりし頃の徳川家第十六代徳川家達など。
外国人ではイギリス公使ハリー・パークス、ヘボン式ローマ字のヘボン博士、法律家のボアソナード、美術評論家のフェノロサ、果てはアメリカの元大統領グラントまでと多種多彩。
なお人脈的に考えると渋沢栄一にも会っててないと本来おかしいのですが、少なくとも若い頃につけていたクララの日記に渋沢栄一は出てきません。でも「商法講習所関連の諸々」のことを考えると少なくともクララの父親と渋沢栄一が面識がある筈なのですが。
さて、この辺りの詳しい話は次回述べるとして、まずは今シリーズの最初のクエスチョン。
クララの父、ウイリアムが(実質的な)初代所長を勤めた商法講習所ですが、現在も名前を変え大学として現存しています。この商法講習所を前身とする大学の、現在の名前は何でしょう?
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