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【異文化交流クイズ】【1-4問題】維新志士にして漢学者の知られざる功績と抜群の命名センス

2021-01-10 12:00:00 | クイズ
異文化交流クイズ。ファーストシーズン第4回。
今回は予告通り、アーネスト・サトウの記録に頻繁に登場する薩摩藩士、中井弘(桜州)を主題に。
この男は実に快活で陽気。いつも愉快な冗談が飛び出し、外国人達を招いた宴会をやる場合には、その仕切をいつもこの小男が任されるので、ついた渾名が「外国局の幇間(タイコモチ)」
――恐らく侮蔑の意味も入り交じってた渾名ですが、彼がただの“べんちゃら男”でないことは、1868年3月23日、京都においてイギリス公使ハリー・パークスが天皇との初謁見に向かおうとした際、公使を白昼襲ってきた刺客を見事に討ち取った、という有名なエピソードだけで分かるでしょう。
多数の警護者がいながら刺客に咄嗟に反応できたのがこの中井弘だけ(途中から後藤象二郎が加勢していますが)。もしこの場でパークスが殺されていたらイギリスとの関係が悪化していたことは疑いがなく、その後の明治維新への歴史が変わっていた可能性さえあるのです。
この功績により中井はイギリス女王から勲章と黄金作りの剣まで賜っています。
そしてこのコーナーの主題である異文化交流に関して云えば、中井はトルコを訪問して、紀行文を発表した最初の日本人でもあります。
こちらは明治維新後のことですが、それ以前にも幕末に後藤象二郎の推薦で、倫敦に二ヶ月間留学。帰路には開催中のパリ万博を視察し、帰国後「外国事務各国公使応接係」に任じられ……というのが概略なのですが、彼はこの初めての洋行を『西洋紀行・航海新説』という記録に書き残しています。
この中井弘は維新志士としては随一の漢学者であり、この紀行文の中でも尊敬する蘇東坡の一句を巧みに引用したり、七言絶句を織り交ぜて記述しています。
そして普通ならクエスチョンにしてしまうトリビアを先に種明かししてしまえば。
明治維新後、親友である井上馨のために、外国人達を迎える迎賓館のことを詩経から引用した文句を使い「鹿鳴館」と名付けたのもこの中井弘なのです。
なお親友と云いながらも中井と井上馨の関係は非常におかしなところがあり・・・というのは本筋とは離れるのでまたの機会に。
さて、本題に戻ってここで今回のクエスチョン。
『西洋紀行・航海新説』の中で中井は、長崎からイギリスへの途上の船中で見た、船員や乗客達が集って行った『ある行事』を的確に表現する日本語の『名詞』を産み出し、現在その単語を知らない日本人は誰一人としていません。
中井が産み出し、今日では誰もが使うようになった、ある『行事』を意味する日本語とは一体何でしょう? 
ヒントとしては江戸時代にその『行事』に特定の名詞がなかったことを不思議に思うでしょう。


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