daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

巻頭の歌の意味①

2014年10月28日 | 萬世の歌



天皇の称号は「万葉集編纂」の少し以前から使われ始めました。
その天皇の称号は過去「神武天皇」にまで遡って贈られました。
それ以前には、天皇は大王とか天王とか呼ばれて来たようです。

神武天皇の父親は山幸彦と海神の娘を両親とする神話の神です。
神武天皇は古事記・日本書紀に登場している初代の天皇でした。
天皇の称号を贈られた対象者は私たちと同じ現実の世界の人物。

ここに神たる天照大神と人間たる天皇との大きな違いが顕れた。
そして、それは神に決別した人間としての天皇宣言なのでした。
如何に「人間天皇」を民衆に浸透させるべきかが重要となった。

そう考える時、多くの天皇が万葉集に歌を詠んだ事実に頷ける。
天皇は民衆に別け入り、民衆と交わり、民衆を友としたのです。
それにしてもどうして雄略天皇が巻頭の歌を詠んだのだろうか?

万葉集編纂の 200年前を生きた雄略天皇を持ってきたのは何故?
雄略天皇って何者なんだ? それで延々と考え込んでしまった。
万葉集の「巻頭の歌」の特別な深い意味がなにか有るのだろうか?


雄略天皇は後世に「大悪天皇」とも「有徳天皇」とも称された。
大悪天皇の名前の由来は雄略天皇の振る舞いからきたのだろう。
有徳の由来は雄略天皇の偉業を後世の人々が称えて贈ったのか。

いずれにしても雄略天皇が並々ならぬ異能の持主であった証か。
雄略天皇は第十九代・允恭天皇の第五皇子として誕生している。
大泊瀬稚武皇子(おおはつせわかたけるのみこ)と呼ばれていた。

二人の兄を殺し・政敵を殺し、そして天皇の地位についている。
しかも後世に有徳と称されるに恥じない実績を残したとされる。
私にはそんな雄略がアマテラスの弟・スサノオに被って見える。

じっさい、暴力を振って奪い取った行為はスサノオと違わない。
スサノオが改心して善行を為すのを受け留める私は今変わり者。
それか私の感覚が由緒正しい日本人の魂とでもいうのだろうか?

報復が現代の民心であり、日本人の本音は雄略天皇を赦さない。
民衆から総理大臣までが殺せ殺せと口角泡を飛ばしている日本。
万葉集の巻頭に雄略天皇を置いた意味は替わってしまったのか?

マサカ、勝てば官軍・何でもありと大臣たち‥イヤイヤ 思いたくない。
ともあれ、平和主義者アマテラスの伝統に則りたい私ではある。
八百万の神は殺すために集まったのでないと知ってる私なんだ。


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