daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

NHKとジャンバルジャン

2011年08月21日 | 社会問題を考える
NHKがツイターするのは勝手だが、【  】内の記事は、
放送文化という割りには、文化の荷い手の自覚がなさ過ぎる。
価値観は人それぞれだが、これは公共放送のレベルではない。

【被災者装い無銭宿泊の疑い】の記事…文化のレベルには程遠い。

無職で住まいも食事もなく、
東日本大震災の被災者に紛れ込んで宿泊・食事したという。

震災の被災者は気の毒という素振りを見せつけながら、
無職で飢える人の不幸は少しも気にしないNHKの体質なのだろう。

この記事に私は、ジャンバルジャンを思いだした。
飢えて苦しむジャンバルジャンは悪党という感覚の日本人は多い。
それぞれの価値観だが、ジャベール警部は最後に改心して死んだ。
NHKは改心せず、死にもしないで傲慢に経営するのだろうか。

そんなことをNHKの堕落記事に考えさせられた。
「法に触れたから犯罪者」という感覚は間違いであるが、
NHKはその間違った感覚を持ち続けているらしい。

深くふかく反省して、苦しみあえぐ庶民を理解してもらいたいものだ。

厚顔無恥の厚

2011年08月21日 | 社会問題を考える

政治や官僚の汚点に浸かりっぱなしだと人間性が醜くなる。
そういった醜い者を長年商い相手にしてると心根が卑しい。
それで人間は環境に染まりやすい生き物だってことが分る。
諺に「悪銭身につかず」というが、真意は後悔する意じゃの。
後悔して罪が消える訳はなく、清算しなければならん。
清算できれば好いが手遅れになった者は悲惨じゃのう。
近ごろの世相を見てると、意地汚く暮らす者があまりに多い。
意地汚く暮らす者を親に持ちたくないもんじゃな。
村木厚子を観てるとそう思う。厚顔無恥の「厚」じゃの。
数十億円の税金を盗んだ悪辣な事件じゃったなあ。
さっさと責任とって辞めてもらいたいものじゃ。

村木厚子だけじゃない。

原発は是は非か(6)

2011年08月17日 | 社会問題を考える
【読売新聞・社説】


読売新聞・社説が国の利益、つまり「国益」を考えるのは好い。
集団・個人が利益の確保を正義に則って図ることは良いことだ。
だが、国益の真の意味、あなたはお分かりになられるだろうか。

ラグビーでは「One for All, All for One.」という。 すなわち、
組織の一人ひとりは全体の栄誉のために頑張ろうじゃないか。
皆は組織を挙げて、誰一人も脱落しないよう護って、戦おうぜ。

このラグビーの精神は日本人に殊にピッタリきたのです。
ラグビーは西洋発のスポーツだが、スピリッツは日本人の魂です。
日本人の魂を持ち続けたのは庶民か?大企業か?政治家か?

ラグビーの精神は、組織に胡坐をかくことではありません。
組織に胡坐をかいて己一人の利益を図る者は全体益を考えない。
全体益を考えない裏切り者は庶民だったか? 政治家だったか?

二大政党制(2)でも紹介したが、ここにも再掲しておきます。

よろしければ どうぞ、もしも月給が上がったら
ともあれ、親方と従業員は信頼関係で結ばれていた佳き時代だ。
しかも政治も、真面目に働く人々の暮しを生涯みる約束をしていた
それが年金制度・保険制度の福祉であったことは言うまでもない。
ところが政治は国民の命の絆ともいうべき制度を締め付け始めた。
停年開始年齢の延期、年金支払いの開始を遅らせられた国民だ。
何のことはない、国民の老後の蓄えの資金をゴッソリと奪いだした。


日本の国が豊かになることを楽しみにして信じたお人好しの庶民。
国が豊かになるためだからと辛抱してきた庶民だったではないか。
騙されて気がついたとき、庶民の懐には何にも残っていなかった。

薄給でも不平をいっちゃならないと思って、親方を信じてきた庶民。
年金の支払い開始日を何年ずらされても不満を言わなかった庶民。
お国のためだから、お国は悪いようにしないと信じていた庶民。

その結果、今、庶民には政治不信が残っているというのが真相です。
そして大企業に有り余る金が腐るほど蓄えられているではないか。
経団連傘下の企業は政府の手厚い保護政策で肥えに肥えている。

政治と企業の癒着の結果は、税金が闇に消えることになった。
国民の資産である国有地も格安で払い下げられているではないか。
濡れ手に粟で、大手企業・銀行に国益が横流しされる構図は何だ。

こう考えてきた時、
庶民が働いた利益は不当に闇に消えていると理解できるのです。
ほんらい、庶民はもっと豊かに生活出来ていて当たり前なのです。
お人好しゆえ庶民は無頓着であるが、庶民に還元すべき金です。

あるいは、企業に不当に多くの金が蓄えられる構造は何なんだ。
正直に暮してて何百億円の遺産相続できる金持がいる筈もない。
あの金は、庶民に還元されるべき筋合いの金と言うべきである。

庶民の取り分が巧妙に奪われるのを資本主義の思想という。
資本主義は利権の奪い合いの静かなる戦争なのです。
それゆえ、法の正義は庶民を切捨てて、企業を護っている。

そもそも、庶民が今の生活に甘んじるつもりなら、
原発などは不要の長物・邪魔物と言えるでしょう。 その訳は、
原発で庶民が危険を冒した利益は、大企業に入る仕掛けである。

すなわち、
庶民にとって原発は百害あって一利なしの公害製造機でしょうな。
経団連や政治家にお金を貢ぎたいと思うのは、あなたの勝手です
あなたの取り分を奪って、バカたれと腹で笑うのはあちらの勝手。


すこしでも良心が痛むなら、庶民のお金を返してやりなさいね。




原発は是か非か(5)

2011年08月17日 | 社会問題を考える
【読売新聞・社説】


道理を弁えない愚か者たちが現在も過去も日本を蹂躙している。
この愚か者たちを放置しては日本の未来までも蹂躙されてしまう。
それで一市民として私は、間違いを間違いと糾弾しているのです。
愚か者の習性は正義に関心なく、世間の風評で右往左往する。
勝ち負けに囚われている愚か者は旗色が悪ければ隠れてしまう。
それゆえ、私たち市民は愚か者を相手に書いていてはならない。
愚か者を相手にしてるようで、実にこれは民衆へのメッセージです。

世界市民は幽霊の絵に怯えて母親の後ろに隠れる子供ではない。
モノゴトの道理を弁えない者を私たち市民は恐れるべきでない。
道理を弁えない者は権威の衣に身を飾っていても中身は空です。
見せかけの衣で飾り立てて、空っぽを偉く・恐ろしく見せようとする。
中身が空の者が智者の言葉を盗んで使っても、空っぽは空っぽ。
そして空っぽゆえに、明日のことも分らず、闇を徘徊しているのだ。
市民は分別を弁えた大人として・責任者の自覚に立つべきだろう。

それで私は国益をじっくりと考えなければならないと思っている。
読売新聞・社説を読む限りでは過去の実績に御満悦のようである。
過去の実績に反省すべき点を観たなら、責任者は謙虚になれる。
だが、人類益をバッサリ斬り捨てる筆致に謙虚な姿は窺えない。
それにしても、人類益の視点が欠けたら、こうも非人間的になれる。
それは彼らに民衆の痛みを共有する心が欠けているからなのです。
彼らは民衆に危険・汚物・煩わしさを押し付けて済まそうとしている。

市民の私の立ち位置をいうなら、
どうしても必要なら関電の原発は大阪湾に作ったら良い。
どうしても必要な米軍基地なら、豊中空港に誘致したら良い。
放射能に詳しい安全委員会のメンバーなら、現地に住みます。
政治家であれば現地に何度でも訪れて、復旧に力を注ぎます。
一介の年寄りの私でも、このくらいの覚悟を持って生きている。
しかるに自民党・官僚・東電役員は危険を民衆に押し付けてきた。

危険性を知らされず、利益が齎されると信じ込まされてきた民衆。
自民党政治の下で、民衆は国益対象から外されてきたに違いない。
はて? 国益は民衆の頭上を素通りして、誰が受取るのだろうか…。




原発は是か非か(4)

2011年08月17日 | 社会問題を考える

2011年8月6日、広島で原爆忌が行われ、管直人首相が挨拶した。
その挨拶は原爆に限らず人類益を視野に入れたものだったらしい。
それで読売新聞は首相の挨拶にさっそく噛みついたという訳です。

【読売新聞・社説】によると、首相の演説は日本の国益を損ねるらしい。
国益を損ねるゆえに管直人首相の退陣を急かせと叫ぶ読売新聞。
国益重視は分るが、国益とは「いったいなんやねん」と私は考える。

鎮魂のセレモニーの目的は人類益の確保といっても誤りではない。
人類益と国益と、どちらの利益が大事か、私たち市民は考えたい。
読売新聞は真っ向上段に振りかぶった刀で「人類益」に斬りつけた。

国益を語りながら、人類益を語らなければ、それは覇権思想であり、
民主主義の思想で考えたい市民の眼に、読売新聞は狂気に映る。
21世紀の地上にメディアの大手新聞社が覇権思想を持っている。

あまりの時代錯誤なヒトラーの亡霊を見た気がして、
恐ろしがるべきか、失笑すべきか、私は戸惑いを隠せないでいる。
人類益は今や世界の「コモンセンス」と言えると思うが、如何?

ここは、読売新聞・社説に、良識を載せてほしいと期待してみる。



(つづきます)


【読売新聞・社説】

原発は是か非か(3)

2011年08月17日 | 社会問題を考える

【読売新聞・社説】


読売新聞が首相の言葉に異論を唱えても、私には異論はない。
読売新聞が原発推進に積極的であっても別に構わないと考える。
メディアとしての良識・中立性をかなぐり捨てても構わないだろう。
それが読売新聞だってことを世界に知らしめた意味は大きい。
それだけに読売には強力な原発推進論を述べてほしかった。
モゴモゴと口ごもる物言いは見っともないを通り越して哀れである。
私の立場は国民の意志として、原発の闇を晴らしたいだけである。

読売新聞も社説で原発の必要性を主張するのは自由であるが、
ただね、読売新聞ほどの企業がイチャモンを付けてお終いなのか?
ひょっとすると社説は正力松太郎氏を闇討ちしてるのですか?
イチャモンでゲームセットなら、読売新聞の敗北宣言を意味する。
だが、素直に敗北宣言しないのは詭弁で逃げる腹と考えるべきだ。
何より、国民を危険な目に遭わせたのは民主党でなく自民党です。
危険極まりない原発を「大丈夫」と言って、設置したのは自民党だ。

盤石な原子力安全委員会を設置したら、少しは被害も減った筈だ。
原子力安全委員会は結局、健全に機能しなかったのです。
これでは正力 ・原子力委員会初代委員長の責任は逃れられない。
読売新聞(社説員)は自身の責任をどう考えているのであろうか?
原発を推進してきた企業・メディアとしての読売の良識は何処に?

国民には訳が分らない機関を幾つも作って、益々ややこしくしてる。
しかも「原子力安全・保安院」に至っては国民の気持を逆撫でした。
実際、組織を複雑怪奇にして国民の目が届きにくくした自民党だ。
その自民党の論客を気取るなら「大読売らしくあれ」と助言したい。
国民が危険な状態に置かれてきた現実は実際否定しようがない。
その危険な原発をなぜ、今・擁護しなければならないのか?
メディアの使命は国民を危険な状態から救いだすことでないのか?

国益のために原発が欠かせないというなら、そう説明すればいい。
件の社説を読む限り、読売は詭弁に終始していると云うしかない。
しかも原発が僅かでも国益になってるなら、まだマシかも知れない。
国益を損なっている現実を読売は真っすぐ見つめてはどうだろう。

つぎ、国益絡みで述べたいと思う。


原発は是か非か(2)

2011年08月16日 | 社会問題を考える

この記事、じつは 【読売新聞・社説】 を土台にして書いています。
        ポチッ

新聞の「社説」と言えば、新聞社の顔、メンツが懸ってますなあ。
そのメンツを懸けて読売新聞が管首相を叩いているのです。
これはもう、読まんうちから、胸がドキドキしますなあ。
題して、『原爆忌の菅首相 「脱原発」にふさわしい場か』
すなわち、『社説』は首相としての見識を問う体裁をとっている。
原爆忌の祭典の場で「脱原発」に触れて良いかと糾弾している。


この社説を読むかぎり、読売新聞・論説委員は策士なのだろう。
原爆忌の祭典の場と脱原発を語る場は分別しろと正眼の構え。
私は読売新聞といえば、ナベツネさんの異名しか存じ上げないが、
大新聞たるもの、正眼からの真っ向唐竹割りが格好好いと思う。
しかし正眼からの多様な変化技があっても別にイヤではないよ。
敵を侮る者は正眼からの一発勝負で叩き斬ろうとするだろうが、
敵を認めればこそ、宮本武蔵が使った変化技は数知れずでした。

つまり武蔵は『小次郎破れたり』と大音声に罵ったのですなあ…。
『原爆忌の菅首相 「脱原発」にふさわしい場か』と罵った読売。
それを聞いてる噂スズメの反応を楽しむ余裕も見せられて満足、
これでもう、雀たちは「読売が怒ったぞ」と目が離せまいなあ、w
だから武蔵の「小次郎破れたり」のホンネは別にあるのだなあ、
歌舞伎なら真打ち登場だが、プロレスならヒールの派手な出番。
ドッとどよめいて、観客がうねるのでなければ盛り上がらない。

ステージに登場したヒールはルール無用の暴れぶりですわな。
つまり、読売新聞が「そのケンカ買ったあ~」ですわ。 がはは
ケンカの中身は「読売新聞・社説」をご覧になってくださいね。



ところで、インターネットには
「読売新聞社主 正力松太郎 ・原子力委員会初代委員長」とある。
正力松太郎氏はのちに「日本の原子力の父」と呼ばれたらしい。
それで読売新聞の記事は一貫して原発推進・擁護の論調らしい。

私は陰でコソコソ動き回る奴は嫌いです。
読売新聞のように堂々と論駁するほうが好いですなあ、
間違いは間違いと分るし、私も反省し、また、改められますわな。
ま、読売新聞ほどの大手になると間違いを認めるのかなあ?
それは論駁するなかで、自然に明らかになることですわな。

つぎの楽しみが増えました、 ほな。 





原発は是か非か(1)

2011年08月16日 | 社会問題を考える

私たち市民は「原発に依存しない社会」を目指さなければならない。
なにせ福島原発の事故で分るように、原発は放射能を撒き散らす。
放射能汚染区域内の人々は逃げ場もなく、オロオロするしかない。
その放射能の脅威ときたら、広島原爆の比ではないと言われます。
300㎞も離れた地の空気・野菜・家畜・畑・河川・海を汚染している。
いったん汚染された地が復旧する目途さえ定かでない有り様です。
自民党政府はこの危険な原発を安全と偽るレベルの低さでした。

エネルギー政策の転換は国家の根幹に関わるという考え方がある。
すなわち、日本経済界にトンデモナイ痛手を与えるというのである。
日本経済界に痛手を与えては大変だろうと、市民も察する所である。
ゆえに、エネルギーの原発化を唱える原発推進派の言い分も判る。
原発稼働で化石燃料の輸入量・使用量は確かに確実に減るだろう。
原発の運転コストは化石燃料より安くて済むとも、喧伝されている。
つまり、低コストの原発は化石燃料より安い電気代で済むという…。

さて、原発の危険度を言うなら、命に換えられないと答えたい。
それで経済面では原発推進派の言うのは本当だろうか? 否いな。
いったん原発事故が起ったときの被害は膨大なものになるのです。
福島原発の事故で少なくとも数十兆円の被害が見積もられている。
さらに、市民の機会損失については、どう補てんするのでしょうか。
そもそも原発推進派は原発の危険を引受ける覚悟はないだろう。
東電の経営陣も政治家も、原発から離れた安全な地に住んでいる。

しかももっと重要な視点に、私たち市民は気づかなければならない。
推進派は、国民的論議を経て原発の最終的な姿を決めたいという。
原発推進派の傲慢な体質、詭弁がチラついているのを、御存じか?
現・原発の建設にあたって、国民的議論なんて聞いた試しはない。
政治家が「国民的議論」というとき、国民は常に排除されてきた。
国民の知らない料亭か銀座のバーか、どこかで決めてきた筈です。
そこは国民は無縁の、政治家か官僚か、そういった類が集まる所。

それより今、原発廃止の国民的な機運が高まっている事実がある。
国民が原発に「ノー」を突きつけている事実を見なければならない。
国民の意志を無視するか受けとめるか、それは政治家の自由だ。
政治家・政党に国民が黙って従うと考えるのは政治家の勝手だよ。
推進派の政治家・政党の言い分が正しいことの証明をしたら好い。
もしか「反対派の国民はおどしてやれ」って考えてるか知らないが、
それこそ、国民無視の推進派であると世界中に知れ渡るであろう。

さて、この問題、もう少し続けさせていただこうと思う。




二大政党制(2)

2011年08月15日 | 社会問題を考える
日本で二大政党制は「自民×社会党」と「自民×民主党」の二回、
一回目、「自民×社会党」の構図は多党乱立の中で出来ていって、
二回目、「自民×民主党」の構図は自民が意図的に導いたようだ。

日本経済成長路線のなかで安定多数を占めてきた自民党だろう。
日本経済を支える産業・企業は自民党の護送船団方式で成長し、
仕事・収入は元気の源であり、人々は切磋琢磨して仕事に励んだ。
焼け野原の日本から世界一の金持ちへと一気に駈け上っていった。
収入が増えれば有意義な余暇を過ごす余裕も生まれる道理である。
理屈上はその通りであり、人々と親方の関係は良好な蜜月だった。
良好な関係を歌った歌が町に流れたりして、人々は幸せだった。

よろしければ どうぞ、もしも月給が上がったら
ともあれ、親方と従業員は信頼関係で結ばれていた佳き時代だった。
しかも政治も、真面目に働く人々の暮しを生涯みる約束をしていた
それが年金制度・保険制度の福祉であったことは言うまでもない。
ところが政治は国民の命の絆ともいうべき制度を締め付け始めた。
定年制の延長、年金支払いのスタートを遅らせ…お人好し国民だ。
何のことはない、国民の老後の蓄えの資金をゴッソリと奪いだした。

犯罪が発覚しないようにするには、犯罪者はどうしたいだろうか?
司法・国会・行政を支配したら、万一、発覚しても逮捕されない。
良心的なマスコミには情報が流れないように弾圧を加えるだろう。
好い加減なマスコミは市民の意識を下劣な番組へ引きつけさせる。
この邪悪の計画を実行するには、独裁政治が一番都合が良いが、
人々に気づかせないで実行するには、二大政党制が都合が好い。
つまり、二大政党制 ≒ 民主的制度 … 独裁政治と気づかせない。

二大政党制という民主主義に似せた独裁手法を編み出したのだ。
その二大政党制の中心に自民党がいて、政権を握ることにした。
自民党は既に述べたように産業・企業を支え・支え合う構図である。
国民も知ってるように、自民党は産業・企業の味方という構図だ。
悪代官と悪商人が結託したら? 対極は、銭形平次や水戸黄門だ。
悪代官 × 水戸黄門の構図に囚われて、人々は小悪党を罵り騒ぐ。
なにせ目前の事件に人々の意識は囚われやすいものだからなあ。

自民党への追及の手は遠く、まだまだ及びそうにない。
なにせ愚か者は自民党を陰で叩こうとして、犯罪者へと堕落する。
愚か者のせいで、自民党株は逆に上がりっぱなしってことになる。
つまりこの、愚か者に二種が混ざり合ってるってことになるだろう。
自民党の不正を叩かなきゃならないと考えている愚か者と、
愚か者は危険因子であると社会に位置づけたい邪悪な愚か者と。
結局、これらの愚か者はいずれも、堂々と語れない習性をもつ。

堂々と語れない…つまり、愚か者たちは民主主義を信じていない。
民主主義を信じない愚か者たちは自民党に取って替りたいだけ。
自民党と入れ替って、己が独裁の椅子に座りたいだけである。
そう考えたとき、これらの愚か者が内ゲバに奔るのは当然です。
民主主義とは他の人の尊厳・人権を守ろうとする思想なのですよ。
愚か者に共通するのは日本を己の意のままにしたい欲望の意識。
それは、ちっとも民主主義でないのに、支離滅裂の脳みそパー助。

さて、自民党が誤まっているなら、その不正義を論理だてられる。
それこそに、この「二大政党制」をとりあげる意味はありますなあ。


  (続きます)




8月15日

2011年08月15日 | 社会問題を考える

賑やかな蝉の啼き声が窓から入ってくる

そうかあ あんさん等の春は今なんやな

蝉くんたちが精出す時期になったんやな

神聖な儀式は明るい太陽の下が良いな

それで暗闇の日常を離れて出てくるんや

今やセックス・アニマルと揶揄されるけど

人間のセックスも元は神聖な儀式やった

蝉くんたちと同じように神聖な時間やった

儀式の意味が無うなったら 快感だけや

儀式を忘れへん蝉くんは 成長するやろ

そんなこと考えたら 人間の顔にみえた

木に停って啼いてる蝉くんのことやがな

セックス・アニマルの意味は交尾人生や

生きる目的を交尾におくのは勝手やが

交尾の肉欲にしか関心がないのやろな

意味を失うたら それはもう人間やない

仰山の人を死なせた挙句に生き残って

セックル・アニマルが増殖してる日本島

もしか あの蝉くんたち 元日本兵かなあ

ガ~ミガミガミ お前ら好い加減にせい




             

    果てしなき真白き雲や蝉の春     爺





「蝉の春」 近い未来に季語にならんか、アハッ





二大政党制(1)

2011年08月14日 | 社会問題を考える
「復興と復旧の違い」の記事では、
自民党の思想が民主主義に遠く及ばないことが証明されました。
官僚機構の不具合が復旧の妨げになっていたのは明らかでした。
官僚機構の改革は一朝一夕に出来るものでないとお判りでしょう。
もちろん、自民党がダメだから民主党が良いことにはなりません。
管内閣が非難されるべき点は直接的には復興の動きの鈍さです。
これは理性的・合理的に物事を進められない民主党の体質です。

是は是、非は非と峻別する作業が理性的・合理的な作業の初め。
管内閣の採点は自民党の卑しい基準によらず、市民目線が良い。
偏見に依らず、正しい目線でみることで、政治の歪みも見えてくる。
すなわち、自民党の立ち位置は人間尊重でなく、人間蔑視である。
そして、管内閣・民主党が民衆の痛みを感じる鈍さには全く困る。
復旧は官僚機構の改善が欠かせないからスムーズに運ばない。
このような国難の状況では与野党が一丸となって知恵を出し合う。

震災から5か月を経て漸く、国会に与野党の協調の空気が生れた。
こういったところが今日時点の国会の偽らざる状態と言えそうです。
自民党は最早、党利党略にいつまでも拘るべきではありますまい。
シャドーは既に独自の案を作って、協議再開の準備を整えている。
今は一刻も早く、被災地の悲惨な状況を無くす努力をする時です。
ヤル気になったら同じ日本人同士で、手を携えあえない訳がない。
メディアも教育者も科学・研究機関も力を出して働くときになった。


さて、
市民参加型の政治が民主主義・人間のための政治になるのです。
この点は大事ゆえに、確認しておかなければならないでしょう。
市民は情報を持っていない、ゆえに、判断は必ず遅れます。
市民が政治家になった瞬間に、すばやく動ける訳ではありません。
もちろん市民政党としての長年の実績を積んだ政党は対応が速い。
地方自治での実績を積んで、政治の流れ、動きが分っている政党。
現時点でそのような政党はシャドーしかないのは日本の現実です。

シャドーを相手にすな、無視しろの他党の気持も分らなくはないが、
市民参加・民主主義政治を望むなら、誰の参加も拒むべきでない。
アイツはいらん、こいつは辞めさせろ、それは民衆を敵視する政治、
不当に人間を差別する政治の結果、犯罪が多発している日本です。
全ての人が知恵を出し合い、力を出し合える、そんな政治が良い。
すべての人が参加するとは、全ての人が仕事することになります。
良い仕事をしたら報われ、ツマラナイ仕事したら叱られていい。

仕事にあぶれた人はイジメラレルのがこれまでの自民党政治です。
仕事を失うと、住まいまでも放りだされ、路上生活になる自民政治。
子どもを抱え、身動きできないなかで、四苦八苦して働く人も多い。
元気なおっちゃんが生活保護で遊び呆けている政治も自民党です。
どこか変、真面目な人が怠け者よりも粗末にされる自民党の政治。
そういえば村木厚子は数十億円の損害を出して、大出世しました。
村木厚子は国民に謝罪会見さえもしていないのではありませんか。

村木厚子の事件は民主党政権下での黒い霧と呼ぶべきか。

ともあれ、このような政治は二大政党制の弊害であると思います。
そのことをこれから明かにしてまいりたい。




復興と復旧の違い

2011年08月14日 | 社会問題を考える

復興の責任と復旧の責任




3月11日に東日本大震災が発生して、
もう5か月が経ってるというのに、
復興どころか、復旧さえも儘ならない状態ですね。

過去の政治の積み重ねが現在ですから、
管内閣の責任というだけで済むものではありません。

国家の現実的な運営・実務は官僚が担います。
予期せぬ大地震発生と同時に、官僚が機能して復旧に努める責任を担います。

非常時には官僚機構が機能して、復旧作業に努める体制を作っておくべきです。
この機構は一朝一夕で作れるものではありません。

すなわち、管政権に引き継ぐ以前に、官僚機構は出来あがってなければならない。
それまでは自民党政権だったゆえに、自民党の責任能力が問われなければならない。

自民党が管政権をたたく意味は、己の無能を認知する能力もないという事です。
自民党は脳みそがアッパラパーの末期症状であるとの診断を国民は下すしかありません。




さて私たち国民は、
復興と復旧を合理的に考えなければならない。

政府は提督であり、
官僚は船長&クルーであると考えるべきです。

普段の運航は船長とクルーに任せます。
それゆえ、船長とクルーは艦艇の機微に通じていなければならない。

提督の任務は艦艇の操縦ではなく、すなわち、安全な行き先を知らなくてはならない。
それゆえ、提督には未来を洞察する能力が欠かせない。


いつなん時、政権は替わるか知れません。
替わったばっかりの政権が素人集団ってことも予測しなければならない。
素人集団が難問をテキパキと処理できる訳はありません。

それなら素人は政治に参加すべきではないのだろうか?
いいえ、そんなことは私の思想・民主主義では考えられません。

政治運営の経験のない、なんにも知らない市民も政治に参加すべきです。
それではどうしたら良いのでしょうか。

そのために官僚が存在するのです。
官僚は専門能力に分かれた集団で、それぞれが今日の緊急事態に対応するのです。

官僚の身分は保障されていて、許されざるミスを犯さない限り、解雇されません。
それは政治家と官僚の大きな違いです。

政治家は提督であり、復興の大きな責任を担い、日本の未来が安全であるように道案内します。
官僚は船長・クルーであり、復旧、今日の安全、今日の間違いを防ぐ責任を負います。

今日の安全とはすなわち復旧作業に着手するのです。
もちろん、官僚が現在の安定運航に努めなければなるまいなあ。

未来の安全とはすなわち復興の構想を練ることになる。
構想を練るのは政治家の務めに決っている。

管政権は現状の復旧は船長・クルーに委ねることが効率的・安全な筈です。
ただし、官僚機構が自民党政権によって、粗末に作られていたら復旧はママなりません。

復旧の遅れはすなわち、自民党が土下座して国民に謝るべきでしょう。
しかるに自民党は国民にひと言でも謝罪しただろうか。

この無責任極まりない自民党は厚顔無恥にも、
己が負うべき責任を他にかぶせて、現政府を非難している。


このどうしょうもなく愚かで、卑しい、自民党が、次の次の政権を狙っている。
こう考えてきて、自民党はどんだけ~阿呆やねん、






何ごとにつけ、行動がノロい管政権であるが、
そのノロさを非難して政治の表舞台から引きずりおろすのは間違いです。

いったい、民衆が政権をとった暁に、テキパキと運営できるだろうか、
まごつくこともあるし、判断に迷って遅れるかも知れないではないか。

つまり、今、自民党の言いなりになって、ノロノロで首にするという事は、
民衆に政権を永遠に渡してなるかという自民党の傲慢さ以外の何物でもない。



あなたは、そう思いませんか?



家庭教育(4)

2011年08月13日 | 社会問題を考える

人間の子は学びが大好きに生れついているのはお気づきですか?
勉強嫌いのあなたも、あなたの伴侶も国会議員も官僚も全員です。
おいおい、言ってることがオカシイ、矛盾してるって思いますか?
そうお思いなら、それはあなたが矛盾してるし、間違ってるのです。

私の言葉が正しければ、あなたは不幸になるし、正しくそのとおり。
本当のあなたは学びが大好きだし、その習性は生涯変わらない。
矛盾したこと・誤った常識を身につけてしまって…あなたは被害者。
幼い時からあなたに刷りこまれてきた誤った常識は…不幸の素。

不幸の素をあなたにすり込むなんて、とんでもない奴・悪党です。
とんでもない悪党ゆえに、あなたが不幸になってもせせら笑ってる。
あなたが自殺でもした日には、あなたの遺産を奪う算段をしている。
このとんでもない悪党は人の不幸が大好き…甘い蜜と舌舐めずり。

先を急がず、話を少しだけ巻き戻しましょう。
米軍の集中砲火のなかを逃げ惑う民間人、婦女子も大勢混じって、
米軍に捕まったら死ぬよりツライ目に遭わされると学習した人々、
それより崖から飛降りて死んだほうが楽だと学習して…可哀そうに。

兵隊は兵隊で、赤ん坊が泣いて米軍に見つかっては困ると学習し、
殺してしまえ…そしてお腹を空かせ、喉の渇きに泣く赤児を殺した。
それはもう人間ではなく、鬼畜。日本人が鬼畜になっていたんだよ。
政治は鬼畜米兵と教え、民はその嘘を学習し、己が鬼畜になった。

これはちっとも特殊な例でなくて、集団で学習させられた結果です。
今はもっと巧妙・狡知な悪知恵で、人々は言われるままに右ひだり。
儲かりますよの詐欺師の手口さながら…欲に目が眩めば愚かな羊。
スゴイ景品です、大儲けできます、あなただけに特ダネ情報だよ~、

そりゃあ、景品はスゴイだろう、お前は大儲けするだろう、バカたれ、
特ダネ情報を教えてもらって、金が、景品が、手に入る訳じゃない。
大儲けするのは、税金を猫ババできる権力者たちだけだってばさ。
この卑しい「釣り情報」に掛る獲物はあなただって学習しなさいね。

日本の学校教育は、家庭教育と全く対立する価値観を教えている。
学校教育を幼心にすり込まれた哀れな被害者は考える能力を失う。
インターネットを見ても、自分の頭で考える人は少ないでしょうが。
丸暗記した知識を並べて得意然としている若者たちで溢れている。

嘘だと思うなら、例えばyahoo知恵袋を覘いてごらんな。
質問者は答えを教えられて喜んでホイホイ帰っていく現状を。
答えが複数寄せられたら、正解でなく、好みで選んでいる実情を。
算数は答えを教わっても意味はないのに、考えず記憶するのみ。

これは全て、誤った学校教育が招いた災いの結果なのですなあ。
学校教育は『正しい価値観』が欠如していて愚かな羊を増やしてる。
政治、教育が教えるべきはお金の有難さでなく、正しい価値観だよ。
正しい考え方、人間としての正義、逞しく生きる活力が必要なんだ。

金・資産・権力・権威、そういうものに憬れる教育は、卑しくさせる。
卑しい人間を増やすゆえに、僻み・妬み・イジメが増えるんだよ。
正義がなくて金や権力が欲しければ、そりゃあ犯罪につながるわ。
すなわち、社会の現状を招いた元凶は政治であり・学校教育だよ。

こいつらが真面目に暮してるあなたの取り分を横取りしてるんだよ。
あなたが汗水流して頑張っても、豊かになれる訳がないじゃないか。
これはオレも悪いことしなきゃ損だなどと考えるなら、頭が悪すぎる。
悪党どもの分け前を減らして、あなたにくれると思う?考えなきゃね。

小銭を奪ってさわって…小悪党どものあのマヌケな顔を見てみろよ。
汚い金なんか欲しがってたら、待ってました。即・逮捕されるんだよ。
マヌケな欲ボケに育ってしまったのも、元はと言えば、学校教育だ。
金儲けを教える義務教育を考えつくなんて、精神状態が狂っている。

金儲けの指導は、政治の仕事でなく、文科省の役目でもない。
今の政治に子供を任せてたら、子供を地獄におとすことになる。
なにせ、反省のひとつも言わない政府が六十六年続いてるんだな。
庶民が危険な状態に置かれていても、気にしない日本政府だなあ。

人間を好きなら、人間に害を為すを止めて、正道に引き返すだろう。
母を大好きなら、母の悲しみ・苦しみ・困った顔を見たくないだろう。
大好きな母のために、自分は空腹でも、手土産も買って帰るだろう。
家庭教育は子供を不正から守り、正しい道を歩ませる母の愛だよ。

なあに、自分の子供に好かれるのは簡単なことですよ。
あなたが親なら、日に一度、子供を抱きしめるだけで好いんだよ。
家庭教育の基本…母親に似せて、人間を好きになる真似から入るんだ。
人間を好きになるにはって、難問が控えてるのかい?

それなら、だいじょうぶですよ。





家庭教育(3)

2011年08月12日 | 社会問題を考える
物心ついた時、母は仕事していて構ってもらった記憶は殆んどない。
誰もいない昼は自分でおにぎりを作って、お腹をふくらませていた。
食事はぜいたくでなかったし、寂しかった。でも夜は賑やかだった。
ありきたりの具の料理は美味しかったが、ご馳走とも思わなかった。
そのころ、ご馳走は高価な食材で作るものだと迂闊に誤解していた。
夜だけは私の隣りにいつも、いっしょに遊んでくれた母がいたなあ。
いろんな恐い話をしてくれたり、いつも楽しませてくれた母だった。

   母と子のトランプ狐啼く夜なり     橋本多佳子

この俳句、私の幼い記憶と重なってきて、それが愉しくて懐かしい。
誰でも知らないモノは感じようがなく、分りたくも分りようがない。
お金で味わう満足、珍しさで味わう満足、それぞれの満足だろうが、
精いっぱい愛情を注いでもらって、子供は人間を好きになるのです。
人間を好きになれた子供は、喜んで貰えることが嬉しくて堪らない。
人間を好きになるのは理屈でなく知識でなく、人を信じられるから。
こんな経験を積みながら、私は特別に幸せな幼年期を送ったのです。

政治、文科省の教育、世間の価値、誰がお金を重視していても、
いちばんの価値は、人間にとっての一番の価値は、人間に違いない。
仕事に忙しくしていても、母親は我が子に、温もりを教えてほしい。
温もりを知った子は、回り道しても、いつかは人間を大切に思える。
あなたはお金の魅力に取り付かれていても、子供は人間に育てよう。
お金も、資産も、権力も、それだけであなたを満足させられなくて、
お金をいくら溜めこんでいても、それで幸せな顔はどこにもないさ。

玩具には飽きがくるらしく、それが証拠に放り捨ててあったりする。
自分の玩具に誰かが興味を示してくれた時、それで玩具は生き返る。
自分の嫁さんに飽いて放りだしてて、誰かが興味を示すと慌ててる。
自分の所有に誰かが興味を示すとき、誰かの助けで意味を持つ玩具。
誰かというと、それは人間。人間に興味を持たれてやっと気がつく。
そのように回り道しても、人間の価値を変則的にでも知ったら幸い。
母と子のトランプ遊びであっても・なくても、構わないのだけど…。

どんな母親にも偉大な役割りがある…人間を創り育てるという仕事。
人間を創り育てるのは神に匹敵する偉大な仕事だと思えてならない。
お金儲けは生きる手段であり、仕事は生きる楽しみかも知れないが、
人間創り・人間育てこそは人生の目的、人間の目的と言えると思う。
その尊い役割りは一生を懸けた大事業ゆえに、大いなる満足を得る。
この偉大なる事業を他人任せ、政治任せにしていて良いのだろうか。
それは母親が持って生れた権利であり、誰にも奪われてはならない。

この母親の権利を、僅かのお金や地位と引換えてはならないと思う。
子育ての満足度なら、お金や遊び・ご馳走とは比べものにならない。
今回は、そのことを述べさせていただきました。






家庭教育(2)

2011年08月12日 | 社会問題を考える

すべての母親が我が子に教えることが出来ることがある。
しかもそれは、どの母親も我が子に教えなければならないこと。
それは家庭教育の初めであり、それ以降の教育の土台となる。
土台のない家は弱く脆いが、土台は人間を支えて重要なのです。

太田静子が綴った『斜陽日記』に卵を孕んだ蛇が登場する。
そこは母・きさ様との終のすみかゆえ、蛇如きに侵されてはならぬ。
チョロチョロする蛇が鬱陶しくて静子はその蛇の卵を焼いてしまう。
罪を作った蛇を罰するほどの軽いノリだったかも知れないけれど、

必死になって卵をさがし回る蛇、それで、経緯を知った母・きさ様。
きさ様はお叱りにならなかったけれど、悲しそうな目をなさってた。
どんな母(蛇)であっても、罰せられなければならなかったのか…、
静子は母・きさ様に取返しのつかない罪を犯したことを悟るのです。

静子と二人で暮らすために、この地へ越してきた母・きさ様でした。
静子のどんな我ままも聞いてくれてたような母・きさ様だったのに、
その大好きでならない母・きさ様を殺す予感を忘れ去れない静子。
母・蛇を悲しませた罪の意識は懺悔するなかで昇華し清められる。

斜陽日記の母親・きさは娘・静子に高度な家庭教育を施している。
だが、そこまで出来ずとも単に我が子を大切に思うだけでも良い。
母親に大切に思われてると感じたら、それで子供は人間になれる。
さびしく悲しい幼年期を過した子も、母の愛があれば人間に育つ。

子どもは母親の背中越しに社会を知り、社会に馴染むのだろう。
母に愛されて愛を知り、他人への母の愛を見て、己も他人を愛す。
人間を愛する母を真似て、己も人間を愛せるようになるのだろう。
蛇とはいえ、無慈悲に殺した静子に母・きさ様は心を痛められた。

この母に育てられたゆえに、たとえどんなに時間は掛かっても、
静子は心やさしい母親に成長し、娘を立派に育てられたのである。
母・きさ様の愛をエネルギーに換えて、静子は戦後を戦い生きる。
愛も好いけど、それよりもお金が欲しいと…あなたは思いますか?

人間の土台を築く重要な経験を知らず、過してしまっては哀しい。
物心ついたら塾に通って脳に知識を詰込んで・・・どうなるだろう。
エコノミックアニマルは寝ても覚めても金・金・金になるでしょうし、
家庭教育の大事を知らない政治権力が勉強を強いるも恐ろしい。

知識ばかりで、知恵がなく、PC脳?…国会議員が犇めいている日本。
そんな事態の次にくるのは、民衆の洗脳によるロボット化であり、
なにも考えられないロボット国民は、邪悪権力が命ずるままです。
『あなたは殺しなさい』と命じられて殺す…いつかきた道でしょう?

『なぜ、人間を殺してはいけないか』さえも最早、解らないでしょう?