daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

万葉集~巻頭の歌

2014年10月28日 | 萬世の歌
       



雄略天皇の御製歌(おほみうた)

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この岳(おか)に 菜摘ます児(こ) 家(いへ)告(の)らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座(いま)せ われこそば 告らめ 家をも名をも

【現代訳】
籠(かご)も、まあ、良い籠を持って!堀串も、まあ、良い堀串を持って!この丘で若菜を摘んでいる子よ!どこの家の子か言いなさい、名前を言いなさい。(今でこそ)神の霊が充ち満ちている大和の国ですが(どこも平らかなのは)全く、私が支配しているのです。大和の国は私が統治しているのです。(それでは)私のほうから家名も名前も告げる事にしましょう!

(注)堀串 ・・・ 木や竹でつくったヘラ。
(注)そらみつ ・・・「大和」の枕詞。神の霊が行き渡った地、の意味。
(注)名告らさね ・・古代、名に霊魂が宿るとされて名乗りは重要事だった。
   男が女の名を尋ねるのは求婚を意味し、女は承諾の意味で名を明かした。
   また、早春の野山で若菜を摘み食べて成人の儀式としたと云う。


◆雄略天皇(第21代天皇)万葉の時代より以前、かな文字の無い時代に天皇の
 御製歌は二百年間もどのように伝承されてきたのか‥。

 中国の文化『漢字』は、日本の知識階級に既に伝えられ使われていたと推測する。
 雄略天皇が詠んだとしても、それを文字に残す手段は漢文体しかなかった訳です。
 平仮名も片仮名もまだ無く、万葉集で「万葉仮名」がやっと使われ始めたのです。

 それなら、漢字で綴られた雄略天皇の歌を二百年後の誰が翻訳したのだろうか。
 あるいは、口承として伝えられてきた雄略天皇の歌があったのだろうか。
 それとも、それとも…、謎は残りますが、それこそが、巻頭の歌の意味なのか‥?



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