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こちらフィッシング放送局、さあHITと一緒に釣ろうぜ!

LOVE & PEACE

2009年08月07日 | Weblog
仕事柄、お年を召された方々とふれあう機会が多いのですが

今日、遠方へお送りした方に貴重な体験談を伺いました

Sさんという方ですが

なんと
被爆された方です

Sさんは五島の田舎から(田舎の五島の中でも、さらにすんごい田舎に住んでいます)、
若干14歳で長崎に出て、三菱の兵器工場で働いていたそうです


なんか長崎市茂里町に三菱兵器工場があったらしく、そこで魚雷を製造していたそうな


そこは、震源地から1㌔ほどの距離



その日、いつものように工場で作業をしていたSさん

11時前に、すでに空襲警報が鳴っていたが、避難することも許されず働き続けていたらしい


ほんで、いつもと違う雰囲気に流石に避難勧告があり


工場を出たところ

戦闘機が見え(恐らくB29でしょう

爆弾らしいものを投下するのを目撃したらしい



そこからは全く記憶が無いとのこと


気づいたときには、元いた場所から結構離れた位置に倒れており、身体中重度の火傷を負っていましたが、幸い足をやられていなかったので、
生き残った方々と再度兵器工場へ自分の荷物を取りにいきました

しかし、兵隊が検問をしており、なかなか中へ入れてもらえなかったそうです
(兵器工場だけにスパイなどの侵入を防ぐため、厳しい規制が敷かれていたようです


それからは、幼い頃、親と離れ離れになっていたSさんを、祖父が長崎まで迎えにきてくれて、五島へ帰ってきて現在までに至るのですが...


やはりこれまで、身体の不調と戦いながら苦しい日々を送ってきたそうです

当初は、身体中に紫色の斑点ができ、このまま人前に出ることは出来ないのではないかとさえ思い悩んでいました


今は、そんな気配も全く無くとても健康なご様子です


しかしながら、心の傷は長い時を経ても癒えることがないとおっしゃってました

そして、「今の人は幸せ昔じゃ考えられないほど贅沢だよ金さえあれば何でも買える
昔は本当に何も無く、何でも自分達で作っていた
こんなに贅沢だから、今の子は意地がない」と嘆いておられました


なんか渇を入れられた感じがしました


くしくも明後日は原爆記念日


今一度、見つめなおす時に来ているような気がしますねぇ~





(ちょっと歌詞が違うけど)
この歌を聴くと、胸がギュッとなります

コメント
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