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ふるさと散歩 大村    

 ふるさとを散歩しながら,見聞した事や感じたことを記録。

教育が大事‥大村藩は?

2008年03月23日 | ふるさとの史跡

 今日は一日中でした。
雨の日は散歩もお休みで、パソコンの前で過す時間が長くなります。 皆さんのブログを読んで、色々と教えて貰う。若い人達の考え方も良くわかりますし、自分の若い時を振り返る時間でもあります。
 色々と変化するのが早い時代なので、それに遅れないようにと思うのですが、私には、のんびり、ゆっくりが良いようです。ボケ無いないように、気楽にブログを書いていこう。


 

 昔、この一帯は黒石原という浜辺でしたが、1599年玖島城を築く時に埋め立て、屋敷地として大村氏一族が居住していました。

 1670年、四代藩主大村純長は、ここに藩校集義館を建て、家臣を教育しました。
この藩校設立は、全国で七番目で、九州では最も古いもので、大村藩が教育を重視していたことがわかります。

 1790年九代藩主純鎮の時に藩校を拡充して学問を教える五教館と武道を教える治振軒をつくりました。五教館は現在の大村小学校に殿様専用の黒門が残っている。



 

 藩校を別の所に移設して、築山や池を造り、宴遊地とされました。
現在は国道の拡幅工事により、半分近くが消滅しましたが、池の周りや、築島を巡る形が残っています。

 1673年~1681年この地に桜数百株を植えたそうです。
来週にはこの辺をはじめ大村公園全体が桜で彩られます。




江戸時代に、高札場があった所

2008年03月21日 | ふるさとの史跡
 今日も朝からで、朝の気温は低かったが、日中になると、20度位まで高くなり、4月中旬の気候と、テレビは、報道していた。
この暖かさで、桜の開花も早くなりそうです。 3月は年度末で各町内の色々な組織の決算報告や、役員の改選などがあり、会合の機会が多くなる。
 田舎に住んでいると、学校関係、町内関係、農漁業関係、老人会関係あるいは、グランドゴルフなど趣味に関するものなど、組織が色々在るので、何かの役員をしなければならない。
 人数が少ない町内では、全員なんらかの役員さんになっているが、もちろん兼務で2~3の役員をしている人もいる。
 田舎は色々な組織を通じ、ふれあいが保たれて、安全安心の古里が続いているのでしょう。
 隣人の名前も知らないような、そして隣人に挨拶もしない町には、ならないで欲しい。


 
 
            高札場跡がある通り(札の丁)

       昨日のアーケードから横道に入る



       

             高札場跡の標識

 長さ7.2m幅3.6m位の土地に石垣が築かれ、忠孝札、諸廻船札、切支丹禁制札、伴天連禁制札、異国よりの抜け荷禁制札、諸国耕作方札、捨馬札等、十六の制札を建てて一般の人に示した。
 この辺を今でも、「札の丁」と呼ぶ。高札場があった名残りです。

             標識に書いてある、案内文より


 


           桜の開花も、もうすぐです。







今日は長崎街道 大村宿

2008年03月20日 | ふるさとの史跡

 今日は朝からでしたが、風が強い日でした。
彼岸の中日で、それぞれの菩提寺や、お墓にお参りに行く人が、多く見られました。
 春分は太陽が、真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遥か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが、彼岸の始まりとか色々な説があるようです。
 信心深くない私でも、春分の日(彼岸の中日)と秋分の日には、お参りに行くようにしている。
 煩悩を脱し切れない私が、年に2回ぐらいしか、お寺にお参りしないのでは、悟りの境地になるのは、何時のことやら‥‥


 今日は長崎街道大村宿です。

 


          大村宿  

 今はアーケード街で商店が建ち並んでいます。

             

 大村宿には、大名や幕府の役人などが宿泊する本陣が置かれていました。
屋敷は鯨長者の深澤犠太夫が寄進したもので、建坪は200坪(1坪は畳2枚)の広さだったそうです。
付近には旅籠が軒を連ね、茶屋や一杯飲み屋などもあって、大いに賑わった。
 今でもこの辺は、大村で一番の歓楽街があります。


 

      本陣跡の標識

 本陣の建物が残っていれば良いのですが‥


               

                 明治時代のポストでしょうか?


   

 
               

                      ひなまつり

    

 3月3日から開催されていた大村宿ひなまつりは、3月23(日)で終わります。


              
                
               各お店に展示されているお雛さま

  
              

    


 


ここから、大村氏は始まった。

2008年03月17日 | ふるさとの史跡

 今日はのちの天気で、黄砂が飛来していますが、前回より少ないようです。
 桜の蕾も大分膨らんで、来週の後半には開花が見られそう。大村公園の桜田の堀では、亀が気持ちよさそうに、甲羅干しをしていました。
 天気が良いので、玖島城の近くにある寺島にいって見ました。

 

     亀の甲羅干し?(桜田の堀)

               

                     史跡 寺島


 

       寺 島  大村市の指定史跡になっている。

               

                   門前に架かる太鼓橋


 

   市杵島神社がまつられています


 この寺島は、領主大村氏の始祖、藤原直澄が初めて上陸した場所といわれています。

 大村家の記録に残された伝説によると直澄は、939年瀬戸内海で朝廷に反乱を起こした藤原純友の孫で、伊予国(今の愛媛県)大洲に住んでいました。

 988年に祖父の罪が許され、肥前国の藤津、高木、彼杵の三郡を賜ります。

 994年直澄は、朝永、富永、久門、河野、堀池氏らの家臣を従えて船で伊予国を出発し、大村湾に入りました。途中、大串浦(現在の西彼町)の母衣崎に立ち寄り、軍装を整えて大村へと進みました。

 994年10月8日、大村に上陸したのが、この寺島といわれる。
久原の乙名たちの歓迎をうけ、久原城に入り、以後大村を治めたと云われます。

 今は市杵島神社が祀られています。


       大村市教育委員会設置の案内板より

 

 


キリシタン殉教の地

2008年03月08日 | ふるさとの史跡
 今日も青空が広がり、過しやすい一日でした。
やっと春らしくなり、庭の草花もここ2~3日で、見違えるほど元気になりました。蜜蜂も活発に活動しています。
 この蜜蜂は、近くの山に住んでいる日本蜜蜂と、思いますが、今の養蜂は西洋蜜蜂が多いのでしょうか?
昨年は我が家の床下に、大きな巣を造り1年間過しました。
 この蜜蜂は近寄っても、人を刺すような事は、ありませんでしたが、隣の人が、怖がるので夜に巣を取り除き、蜜蜂たちに引越ししてもらいました。

 蜜蜂を見かけたので本題から、それてしまいました。
キリシタン殉教の史跡が、旧大村藩には沢山残っていますが、今日は胴塚跡にいってみました。



              胴 塚 跡



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