今日は、晴天で穏やかな一日でした。ようやく春の気配を感じるようになりました。草木も春を感じて準備をしているようですが、桜の開花には時間がかかりそうです。
旧長崎街道を散歩して、私が知らなかったものを見つけました。昨日までの散歩の途中にありましたので、それについて書いて見たいとおもいます。
大村藩御用織物云々と書いてある石碑ですが、漢字ばかりで勉強不足の私には良く解りません。
朝廷から許可された西陣織りの、紺屋がありました。その工場あとです?
紺屋ですから藍染をしていた所ですかね‥‥
自分勝手に解釈しています。
藩御用織殿跡の石碑
大村市の説明文が、あったら良いのですが‥‥
紺屋といえば、紺足袋について大村の頓知話があります。
お城に登城する時は、白い足袋を着用するように、きめてありました。
ある日頓知の良い勘作さんは、わざと紺足袋を着用して登城しました。
早速家老から咎められましたが
家老が云いました
ご法度を破るのは、初めてなので
こんたびまで許すと‥
数日後、勘作さんは平気な顔で紺足袋を着用して登城しました。他の侍たちは、今度こそ処罰を受けるだろうと見守っていました。
殿様の前で家老から、厳しく叱られます、しかし勘作さんは言いました。
紺足袋を着用しているのは、この前家老から、
こんたび(紺足袋)まで許すと許可を受けていますと‥‥
それを聞いた殿様は、大笑い。
確かに、こんたびまでは(今度まで)許すと、云った家老は大弱り。
大村の方言
こんたび→今度、このたび
紺足袋まで許す→今度まで許す
大村の勘作さん物語は、まだ沢山あるのですが、
こんたびはこの辺で‥‥