うだうだ帳

心がヒリヒリするときにイタイ文章を書いています。
実生活は“うだうだ”していないので、そっとしておいてやってください。

闘う

2009年09月29日 18時28分15秒 | Weblog
大学・大学院と進みふつうの会社で働いたことのない私は、もしかすると自分がとんでもなく常識知らずで社会性が欠如しているのではないかと、時々思う。

#私には世間で常識知らずや社会性が欠如しているといわれている魅力的な知人が結構いて、それは楽しいことだし、常識知らずでも社会性が欠如していても、素晴らしい研究をしていれば(同僚は大変だけど)研究者としてはいいんじゃないかと思う。実生活では嫌な目に遭わされて好きになれないのに、研究は素晴らしくて研究者として好きな人もいる。(ちょっと脱線)

…というわけで。研究者でない同居人と住み始めて、ちょっとしたことで怒鳴られ罵られても、いつも常識知らずで社会性が欠如している自分が悪いのかなと思っていた。穏やかな家庭に憧れていたので怒鳴り返して本格的な喧嘩をしたくなかったということもある。謝れと言われれば納得できなくても謝っていた。

怒鳴られ罵られ続けていると、不思議なことに自分が怒鳴られて当然のような罵られても仕方ないような気分にだんだんなってくるのだ、これが。体調を崩す前は、怒鳴られるたびに自動車にぶつかったかのような衝撃で心身共にヘトヘトになっていた。

怒鳴られていることは恥ずかしくて誰にも話せなかったけれど、ぼちぼち話すと皆私は悪くないと言ってくれる。研究者の友人はもとより、専業主婦の友人も悪くないと言ってくれる。いろんなことがクリアに見えてくると、自分は社会的に常識的に同居人として十分にやっている、怒鳴られたりお前呼ばわりされて罵られるいわれはないと確信するようになった。そしてだんだん自信がついてきて、最後に怒鳴られたこの冬に、もう同居人に気を遣って話しかけるのはやめようと決めた。そうするとほとんど会話がなくなった。

昨夜、久々に怒鳴られたので、怒鳴り返して返事をしてみた。むこうが怒鳴るのをやめないかぎりこちらの返事も怒鳴ってみた。冷静に論理的に怒鳴り返して睨み続けてみた。

これからは闘おうと決めた。睨みながら、同居人の機嫌は日経平均に連動しているなと思って笑いそうになった。梱包の用意をしていた宅配便の箱をブチ投げられたのを、つい片付けてしまったけれど、こういうのも次回からデジカメで撮って記録しておこうと思う。

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