伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

疑問がよせられた離党した私が謝罪を受け入れなかったということと実際とは違いがあります

2019年04月30日 | 市議会
 4月28日付け赤旗日曜版等に、日本共産党いわき・双葉地区委員会名の「日本共産党いわき市議団の会派名変更について」(4月22日付)という声明が折り込まれていました。これを読んだ方から疑問をいただいたので、それについてお答えしておきたいと思います。



 私が離党に至った背景と理由は、すでに本ブログ(本日、会派名変更の届を市議会議長に提出しましたので、その事情等をお知らせします)に掲載した通りです。簡単に記載すれば、共産党地区の幹部役員及び一部県幹部役員は、こちらから示した問題の解決策――具体的には政治活動期間のたすきの着用の可否を公的に確認する事、あるいは、バーク(木の皮)はごみだとする根拠の文書を正しく読み取ること――等を無視して、法制度の独自解釈を押しつけようとてきました。こうしたことに、私はこれらの人々への信頼を失い離党の判断をし、その後自らの誤りを隠す陰謀めいた対応が検討されたり、彼らの自説への異常な執着を見たときに党を離れる判断をした正しさへの確信を深めてきました。

 こうして私が離党することになって、会派名を変更することになったわけですが、この変更にかかわる地区委員会名の声明は次の通りとなっています。




日本共産党いわき市議団の会派名変更について

2019年4月22日
日本共産党いわき・双葉地区委員会


 伊藤浩之市議団長の離党を受け、日本共産党いわき市議団は「日本共産党・市民共同」に会派名を変更しました。
 市議団の会派名変更にあたっての声明文にありますように、伊藤市議の離党は党地区常任委員会が誤った見解を押し付けたことに原因があり、責任は常任委員会の側にあります。
 地区常任委員会は、3年ものあいだ誤りに気づくことができず。この間に伊藤議員の不信は深まり、離党を決意するまで追い込んでしまいました。地区常任委員会を中心として昨年来このことを自己反省、自己検討し伊藤議員に謝罪しましたが、伊藤議員にとってこの反省・検討は十分でなく、謝罪を受けいれてもらうことも、離党の意思を変えて頂くこともかないませんでした。
 伊藤議員の離党は、日本共産党の政策等との間に重大なそごが生じたことによるものではなく、また市議選でも4人での活動を市民に訴えたことから、市議会の会派としては引きつづき4人の会派として活動することとし、この度会派名を変更する運びとなったものです。
 地区常任委員会の重ねた誤りによって、市議の離党という痛恨の結果をまねいたことについて、市民の皆様をはじめ支持者・党員・関係各位に心からお詫びを申し上げます。
 最後に、市民生活の向上と新しい政治の実現に向けて「日本共産党・市民共同」会派の皆さんと力を合わせられるようになるために、日本共産党いわき・双葉地区委員会は今後も常任委員会を先頭に自らの反省を深めてまいります。その決意も述べまして、市議団の会派名変更にあたっての報告といたします。

 引用終わり。



 問題の文章は、
「地区常任委員会を中心として昨年来このことを自己反省、自己検討し伊藤議員に謝罪しましたが、伊藤議員にとってこの反省・検討は十分でなく、謝罪を受けいれてもらうことも、離党の意思を変えて頂くこともかないませんでした」の部分です。

 ここを読むと、常任委員会は「自己反省」しているにもかかわらず、私が聞き入れなかったともとれるような印象です。しかし、実態はそうではないということを、事実の経過を振り返りながら明確にしておきたいと思います。

 そもそも、今回の離党に至る経過は、おおよそ次のようになります。


2016年

7月 新人候補のたすき着用街頭演説について選管が私に忠告。地区常任委員会に伝達するも、地区常任委員会のたすき着用の指導は改まらず。
8月 市議選立候補予定者の会議で、地区常任委員会及び県幹部がたすき着用は法的に問題がないとあらためて主張した。以後、人を変え、場所を変え、合法論が繰り返された。
9月 地区幹部が夜に私の自宅を訪問。たすきは合法と繰り返す。私は、「合法というなら公的に白黒をつけること」(司法あるいは国会での論戦)と求めたが、その後、公的に確認された様子はない。
9月11日 いわき市議選投票日
10月 選挙総括に事前運動期間中のたすき着用が選挙陣営を励まし得票を増やした旨の総括文書案が党内の一定部署に配布される。私はこの文書と配布の措置を批判した。結果、問題がある表記が消える。文書内容及び取り扱いに関する誤りに対する反省の公表がされて形跡はない。

2017年

4月 バイオマスボイラー活用によるペレット工場建設の説明会開催を、予定地区の上遠野住民に民間会社が通知。
5月21日 民間会社による説明会が開催される。
6月19日 遠野環境を考える会住民集会(約240名)が開かれ、民間会社が事業を説明。会が反対署名運動を開始。
7月 3日 予定地区でペレット製造は行わない旨の念書が会社側から会長に示される。
7月 5日 福島民報、河北新報、同日夕のテレビニュースが建設中止を報道。
7月 6日 福島民友、いわき民報が報道。同日、遠野地区配達の朝刊に「廃棄物処理施設の機能も持つ工場」と県議名で記載した日本共産党いわき・双葉地区委員会発行の「かけはし」が折り込まれる。
7月16日 私の「活動日誌」で「かけはし」の「廃棄物処理施設の表記は誤り」とお詫びと訂正を配布。
8月 8日 計画された工場を「廃棄物処理施設の機能」とする根拠となるバークはごみの証拠という環境省等の通知文書が地区常任委員から示される。
9月 8日 バークはごみとの見解は、国環境省文書の誤読によることを知らせる文書を常任委員会側に送付。
9月12日 バークはごみとする独自解釈とともに「バークが廃棄物であったらこまりますか?」と記載された「メモ」が返信で届く。
9月24日 「メモ」に対して、改めて間違いを指摘し、「この水準で議論をしても意味はないので、仮に反論があってももうこの問題を論じる気はありません」とコメントを送付。

※私の党費納入に関し、6月に3月から6月分を、12月に7月から12月分を支払い(記憶なので若干のずれがあるかもしれいないが、おおよそこんなもの)。12月の支払い時に伊藤から「これで党費は最後」と離党の意思を常任委員会に伝える。


2018年

1月 バークはごみとも、ごみでないとも言えない(ごみと言えない以上、ごみとはならないのだが)との認識を持ちながら「廃棄物処理施設の機能も持つ工場」は間違いとは言えないとし、この見解を隠して私と関係改善を図ることが会議で検討された。
 私は前月の通告通り同月より党費納入を止める。
2月 地区党会議が開かれる。その以前に地区委員を継続する要請があるが断る。
5月 県委員会の一部幹部から市議と懇談したい旨の地区常任委員会経由の連絡あり。早くから連絡を受けていた市議がいるが、私への連絡は指定期日の前日の夕方だった。当日、謝罪の言葉があったというものの、「不愉快な思いをさせた」という経過に対するもので、たすき合法論に「白黒」を付けるものではなかった。

※これ以降、私以外の3市議と地区常任委員の協議があり、10月以降に中央委員会の指摘を受けて、地区幹部らが反省文を書き始める。


■反省と謝罪、私の離党は時間軸がずれている

 以上のような経過をたどってきました。

 この経過で、特に党費の納入状況が示すように、私は、2017年の初頭から自分の身の処し方も含む対応について考え始め、同年6月頃には、日本共産党を離れるという意思を持ちました。その表れが12月までの党費納入の停止だったわけです。そこには党費を納めることに意味を見いだせなくなった、すなわち離党するという私の気持ちの動きが現われていました。

 しかし、けじめが必要なので、その年のほとんどの仕事が終わって心の余裕と時間ができた12月末の段階で党費等を一括して支払ったわけです。それまでの間、常任委員会側からは、新聞代の納入の請求が時折される以外は働きかけがない状況だったと記憶しています。そしてこの2017年12月の支払った直後に、離党の意思を常任委員会に伝えました。

 私が離党を決めた段階での問題は、経過から分かるように、たすきをはじめとした選挙運動にかかわる公職選挙法との関連で、地区常任委員会及び一部県幹部役員が独自解釈にこだわり、その解釈を押しつけようとした問題でした。

 私が離党の意思を固めて以降、1年余が過ぎた2018年10月から政党組織に具体的な動きが始まりました。そのタイミングで離党意志の撤回を求められたとしても、自分なりの深い逡巡があって決断したわけですから、撤回できるものではないことを初めから分かっていました。

 ですから私は、政党組織の新たな働きかけに対して、この間の経過とこれに対する私の考えとともに、「今回のケースから共産党として学ぶことがあるなら、それを活かして党活動のあり方の改善を図っていただければ、結構なのではないかと私は思っています」と明確に記載した3万4,000余字の手紙をまとめ送りました。あくまで、組織を立て直す事に協力する意味で、新たな働きかけに対応する意思を示したわけです。

 新たな組織の働きかけが始まった段階で関わったみなさんに、私の離党を撤回してほしいという思いがあったことは理解できます。しかし、私にとっては、市議選前後以降の体験から、人のあり方として妥当ではないと判断した姿勢をとった地区等の幹部とともに党員として生きることよりも、組織にこだわらず、自分の価値観に即して生きることにより大切な価値があるとの思いを抱いていました。離党の撤回を求められても、それに応ずることはありえない段階でした。

 常任委員会声明にある反省と謝罪及び私の離党の判断とは、時間軸が全くずれている事柄だったことをまずはっきりさせておきたいと思います。

 もちろん、私は共産党を全面的に否定する立場ではありません。共産党の基本的な考え方である、全ての人が平等で自由に生きることができる社会を実現するという理想には共感を覚えます。その理想と対局にある、保身や隠蔽といった地区委員会幹部や県委員会の一部幹部をはじめとした関係者の姿勢及びその姿勢を改善する必要性を感じていない現実への幻滅が、離党の背景にあったということをあらためて明確にしておきたいと思います。


■反省を感じられない謝罪文

 もう一つが、反省と謝罪の中身の問題です。

 常任委員会の「自己反省、自己検討」が始まった時期が、新たな組織として対応が始まった2018年10月以降のことになり、この時期に離党を思いとどまる状況になかったことは先に述べたとおりです。

 この時期に私に対して地区委員長名の、「反省と今後に生かすべき点」という総括の文書が届けられましたが、読んでみて何も伝わらないことにあ然としました。「反省」としながら、どこを反省したのかが私には全く伝わらない内容だったのです。

 例えればこういうことです。

 コップが壊れていた。誰が壊したか分からなかったが、やがて目撃者の証言から壊した誰かが分かった。誰かはこう言った。
「壊したのは私です。ごめんなさい。」
「壊したのは私です。怒られると思って、言い出せませんでした。ごめんなさい。」

 前者は謝ってはいるものの、とりあえず謝っただけです。一方後者は、壊したと言い出せなかった自分の弱さを自覚した上で謝っています。同じ過ちを繰り返さないために、どちらの謝罪に力があるでしょう。私は、自分の内面に踏み込んで、心の弱さを吐露して謝罪した後者にこそ本当の反省があると思います。原因を自覚することで、その克服のために努力する土台を作ることができるからです。

 こうした視点で見ると、地区常任委員会の総括文は、前者のとりあえず謝ったというものにすぎませんでした。なぜそういう行動をしたのか、そういう主張を押し通そうとしたのか、おおもとの原因に踏みいった総括はありませんでした。しかも謝ったきっかけは、上の機関に指摘されたからです。上部機関に言われたから謝った。そんな状況で、事実関係だけを記載してごめんなさいと言ったからといって、そこに本当の反省を見いだすことはできませんでした。

 こうした文書を見せられた私は、総括で不足している視点を指摘しながら検討することを求めました。しかし、2度、3度と見直しても反省の視点は全く変わらず、事実の記載と“間違っていたごめんなさい”のオンパレード。肝心の「なぜ」に踏み込んだ分析はありませんでした。しかも、自分の都合の悪い部分は言葉を濁してしまう、あるいは事実関係をずらしてしまう、そんな反省が次に生きるはずがありません。

 私は、書き直して3度目の反省文に意見を書いていたのですが、反省ごっこのような作業に付き合っていることに意味を感じなくなり、意欲もわかず、途中で放棄しました。一つ一つの事例にコメントしても、問題点に深く踏み込んだ反省がされることに期待を持つことができなくなったからです。深くしっかりと踏み込んで考えてこそ、その反省が生き、同じ過ちを繰り返さない土台をできると考えられるからです。それをしようとしない姿には、自己保身を優先させる幹部役員の姿勢をみることができ、その意味でも辟易しています。

 この2年半にわたる経過を考えた時に、こうしたところにしっかり踏み込んでいかない謝罪など、謝罪といえないと私は考えています。そして、この間の経験が次に生きることにもならないと考えています。共産党地区委員会等の今後のためにも、関係したそれぞれの者が、自分にしっかり向き合うことが必要なのでしょう。

 声明にある謝罪を受け入れてもらえなかったという点について言えば、受け入れに足る謝罪は未だされていないということを、私は明確にしておきたいと思います。

 以上、いわき・双葉地区委員会の声明に関する疑問について書いてきましたが、声明への疑問に対する回答をご理解をいただけますよう、お願いします。


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