伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

本日、会派名変更の届を市議会議長に提出しましたので、その事情等をお知らせします

2019年04月22日 | 市議会
 本日、日本共産党いわき市議団として、会派名を変更することになり、本日、議長に会派名を「日本共産党・市民共同」とする届け出を提出しました。

 その間の事情については、以下に掲載する会派としての名称変更に伴う声明、及び、私のコメント(6,000字を超える長文ですが、ご容赦下さい)でご覧いただきたいと思います。

 このような結果になって、みな様には大変申し訳なく思いますが、政党を離れても私自身の政治的立脚点は基本的にこれまでと変わりがないと考えています。みな様の引き続くご指導・ご鞭撻をお願いいたします。

 以下、会派名変更にあたって声明及び私のコメントを掲載しますのでご理解のほど、お願いします。




会派名を「日本共産党・市民共同」とすることについて


日本共産党いわき市議団


 これまで当会派は、「日本共産党いわき市議団」として活動してきましたが、今後「日本共産党・市民共同」と名称を変更し、これまで通り、伊藤浩之、渡辺博之、溝口民子、坂本康一の4議員で活動していくことになりました。

 会派名変更は、伊藤議員が日本共産党から離党したことに伴うものです。

 伊藤議員の表明を受け、市議団所属議員で検討してきた結果、①党を離れても伊藤議員の政治姿勢はこれまでと基本的に変わりがないこと、②前回市議選で4人の市議団で活動することを市民に訴えたことから引き続き4人の枠組みで市民のみな様の声を市政に活かす活動をすすめることが必要と考えたこと――から、伊藤議員が会派を離れるのではなく、今後も4人の会派として活動をすすめることが妥当であるとする考えを確認し、今回、名称を変更するとの合意に至ったものです。



 伊藤議員が離党に至った背景には、主に二つの事があります。

 一つは、先の市議選を前後して発生した選挙運動等にかかわる法解釈上の相違に関する判断の明確化の求めについて、日本共産党福島県委員会の一部幹部役員及び同いわき・双葉地区の幹部役員により放置されてきたこと。

 二つには、遠野地区に計画された民間のペレット工場設置計画に関わり、政党として市民に公表した内容を伊藤議員から誤りと指摘されたことに関し、その解明を幹部役員が放置し正誤について住民に公表することを回避し続けていること。

 以上中心的には二つの問題から信頼関係が崩れ、伊藤議員は政党人として行動を共にすることができないと判断したことにあります。

 この伊藤議員の判断は、日本共産党の基本的な政策等との間に重大な齟齬が生じたというものではなく、幹部役員の意見との越え難い隔たり、あるいは意見の誤りに対する役員の対応に原因があるものです。このため、会派所属議員の間では、今後選挙等の政党活動で一致できない部分が生じたとしても、市政に対する会派の役割という観点からは離党が会派活動の障害となるものではなく、引き続き4人の会派として活動することが妥当とする判断を共有しています。

 会派名変更に伴い、会派体制はこれまでどおり、代表に伊藤浩之、幹事長に渡辺博之、副幹事長に溝口民子、坂本康一とします。会派名は変更されますが、4人の会派で、これまで同様、みな様の声を政治に届ける役割を果たすために努力してまいります。引き続きみな様のご指導・ご鞭撻をお願いします。

2019年4月22日






政党所属を離れ無所属となる選択をしたことについて

いわき市議会議員 伊藤 浩之



 私は1980年に日本共産党に入党して以来、その一員として、多くの時間を日本民主青年同盟いわき地区委員会や党いわき・双葉地区委員会(以下、地区委員会)の専従者及び役員として活動し、2005(平成17)年の補欠選挙で初当選以来、日本共産党公認の市議会議員として活動してきました。しかし、2016年の4期目当選後、2017年には党活動にほぼ結集しないいわゆる「未活動党員」状況となり、2018年1月からは党費納入を止め、以来、1年以上が経過しました。そこで、現在の政治的立場を明確にするため、日本共産党を離党したことについて公表することにしました。

 日本共産党の規約では離党と除籍について定められています。

 まず、第4条で、「党員は、党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める」と党員の義務が定められており、第10条では「党員は離党できる」とし、「一年以上党活動にくわわらず、かつ一年以上党費を納めない党員で、その後も党組織が努力をつくしたにもかかわらず、党員として活動する意思がない場合は、本人と協議したうえで、離党の手続きをとることができる」とされています。また、第11条で「党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員」は本人と協議した上で除籍でき、「党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい」と規定されています。

 現在、私の党籍がどのようになっているのかを知るところではありませんが、2017年12月末に、「党費の納入をこれで最後にする」と通告し、実際に党費納入を停止し、以来1年以上が経過しています。このことにより、私が党員として議員活動を続ける意思がないことは、日本共産党いわき・双葉地区委員会(以下、地区委員会)及び常任委員会に明確に伝わっていると考えています。従って、地区委員会が私の党籍をどのようにしているか如何にかかわらず、今後、日本共産党の党籍を持たない市議会議員の立場で、残りの任期を務めていきたいと考えています。

 なお、会派声明にあるように、私が党を離れることにしたのは、日本共産党の路線と政策等との間に重大な齟齬が生じたという性格のものではありません。あくまでも、諸般の問題をめぐる日本共産党福島県委員会(以下、県委員会)の一部幹部役員及び地区委員会の幹部役員の誤りと、その誤りへの対応によって信頼関係が崩壊したことに原因があるものです。従って、政治家・議員としての考え方等は、これまでと基本的に変わることはないということを明確にしておきたいと思います。


■離党の原因となった幹部役員の問題点

 私が離党を判断する原因となった「幹部役員の誤りと、その誤りに対する役員の対応」には、大きく2つのものがあります。


■公職選挙法の独自解釈の候補者への押し付け

 一つは、2016年の市議会議員選挙にかかわり発生した公職選挙法の解釈にかかわる「意見の相違」、あるいは、それにかかわる幹部役員の責任放棄の問題です。

 「意見の相違」は、政治活動期間のタスキの着用等をめぐって発生しました。

 日本共産党から立候補しようとする者が、選挙前の政治活動期間に氏名入りのタスキを着用して街頭活動をしていたことについて、市民の通報を受けた選挙管理委員会が私に、「着用できない」旨の忠告をしたことがありました。この忠告を地区委員会の幹部役員に伝えたにもかかわらず、その幹部役員らは独自の見解を根拠に違法ではないとの立場から、タスキの着用に問題がないという指導を漫然と続けました。

 これに対し、私は、党と選挙管理委員会の見解が違う状況の中でタスキ着用を続ける事はできないと伝え、見解の違いがある状況を是正するために選挙活動期間以外のタスキ着用の可否に「白黒をつけること」と、法的決着も含め対応するよう求めていました。

 ところが、幹部役員らは、法的判断を含めこの問題を解決するための行動をとることもなく、私に違法ではないという自説を押し付けようとしました。このことにより候補者となる者は、タスキ着用は違法という世間一般の受け止めと、問題がないという考え方が周知された党員・支持者の間に置かれることになりました。すなわち、着用すれば違法と言われ、着用しなければ党員・支持者からなぜ着用しないのかという目で見られるという状況に置かれることになったわけです。

 あげく、選挙後、選挙活動の総括文書案に、政治期間中にタスキを着用していた新人候補者は選挙運動員等を励まし得票を増やした旨を記載し、この文書を機関会議で決定することがないままに党内に配布し事実上公表する措置をとりました。この総括案は、タスキの着用は合法であり、しかも、得票減の原因が着用を求めた指導に従わなかった候補者にあるとする意味を持つ一方的な見解を表明するものでした。

 私は当時、地区常任委員、本文書にいう幹部役員の一人でした。にもかかわらず意見を求められることもないまま、支部の党員も参加する別の会議で、公表された総括案を読むことになりました。当然にして、私は、党機関が決定する前の総括案を機関役員以外の党員に公表した措置の誤りとともに、前述した総括案の問題点を指摘し、常任委員会に意見を提出しました。その後、総括案からこの記載は削除されています。

 彼らの対応はここで終わりました。しかし、すでに党内の一定数が読んでいる状況を踏まえれば、削除で済む問題ではありません。事実上公表した取り扱いや記載の点で誤りがあったこと、及びその誤りが発生した原因を明確にして党内に報告し、このような誤った措置をとった事に関する謝罪を当人及び党内に明確に伝える必要がありました。そうでなければ、一方的にまな板の上で断罪された者は浮かばれません。しかし、そうした措置がとられた形跡は全くないまま、今日に至っています。

 これらは、タスキは合法という自説にのみ固執し、その妥当性を明確にする責任を放棄し漫然と党機関の活動を続けている状況を示すと私は受け止めました。私は、こうした無責任な対応をとる人々とともに活動を継続することは困難という思いを強めています。

 この選挙をめぐっては、氏名入りののぼり旗や連名ののぼり旗の問題等、その他にも幹部役員の指導と候補者となった者の意見が分かれた問題がありましたが、いずれの問題でも幹部役員は独自の解釈による指導を是とし、自らとった措置を顧みることもしない姿勢を続けてきました。連名のぼり旗については、私が作成も使用も拒否したにもかかわらず、選挙陣営に届けて使用させる措置をとりました。どのような考えがあったのか分かりませんが、結果としては候補者となる者の意見に、聞く耳を持たない姿勢を示したのです。

 ちなみに、連名ののぼり旗については、先の市長選挙の際に、連名の演説会告知ポスターと同じ性質のもので使用に問題はないという見解に至ったと選挙管理委員会から聴いています。しかし、市議選時には選挙管理委員会に見解を問うた上で使用したものではなく、連名のぼり旗に対する明確な見解がないことを前提にした、いわばゲリラ的な使用という性格だった事を明らかにしておきます。

 この3年間、これらの問題に関わって、県委員会の一部幹部役員から「市議団のみなさんと会いたい」と求められたことがありました。私が、その場に同席することはありませんでしたが、後日確認すると、その中で語られた幹部役員の反省の言葉は、「不快な思いをさせたことを謝る」という内容で、彼らの対応や問題の経過に対する謝罪に過ぎず、根本的かつ肝心な法的解釈等の内容に踏み込んで謝罪するものではなかったと聞きました。自らが押し付けようとした一方的な見解の誤りについては謝罪等の気持ちは全く持ち合わせていなかった事は、この時の対応ではっきりしています。

 また、この間の幹部役員の発言等の内容から、自らの見解に固執した問題など、問題が生じた根本的な原因には反省を欠いた状態にあるようです。発言の多くは自らの正当化と保身を図るだけのものとしか考えられない状況が続いてきました。このことから、私は、これらの信頼がおけない党幹部と組織を共にしながら、政治活動に取り組む事は全く考えられない心情になっています。


■民間計画に「廃棄物処理施設の機能も持つ」としたレッテル張りの是正せず

 二つ目に、遠野町の上遠野地区にバーク(木皮)等が燃料のバイオマスボイラーを熱源とするペレット工場建設が持ち上がり、住民の反対運動が起こった際の県議会議員及び地区委員会の対応の問題です。

 私は、住民からの相談と地元居住者で当事者である関係から、計画が具体的に上遠野地区に説明された2017年5月からこの問題に関わり、建設を危惧する地区住民のみな様からの相談に対応していました。

 事業者は、この地区住民の声を受けて事業計画を変更し、上遠野地区への設置を断念しました。私は、住民のみな様とは、こうした事業者の潔い姿勢を評価しつつ、その後の推移を注意深く見守っていきましょうと話しあってきました。

 問題が発生したのは、事業者が上遠野地区への工場設置を断念したことを伝えたその同じ朝刊に折り込まれた、共産党県議名が記された地区委員会の発行物「かけはし」でした。その中には、同ペレット工場について、「廃棄物処理施設の機能も持つ」と表記されていたのです。

 私は、この表記に問題があると考えました。それまでに知りえた内容からは、バークをゴミとすることはできないととらえていたからです。バークがゴミでなければ、これを燃やすボイラーを「廃棄物処理施設」とすることはできません。私は、発行する準備を進めていた「伊藤浩之の活動日誌」に、所属する共産党地区委員会の過ちを是正するために「廃棄物処理施設とはならず」と記載し配布しました。

 その後、幹部役員等から「バークはゴミ」とする見解とともに、その根拠として環境省等のいくつかの文書が示されました。内容を読んでみると、この判断に関係しない文書か、関係したとしても、ゴミとするか、資源とするかを自治体等が判断する際の留意点、いわば指針を示したにすぎないもので、バークをゴミとする根拠になるものではありませんでした。すなわち、県議名が記載された「廃棄物処理施設の機能も持つ」という主張そのものが、文書を正しく読みとれなかった誤解に基づく主張となっている事が明らかになったのです。

 私は、幹部役員に対しこの事実を指摘しました。これに対する回答は、目を覆いたくなるほど惨憺たるものでした。相も変わらず、指針に過ぎないものを規準とはき違えた誤解、あるいは恣意的解釈で持論を正当化しようとするものであり、それ以上の議論を続ける意味がない内容でした。私は、不毛な議論を避けるために「環境省等の文書をありのままに読む努力」をお願いするしかありませんでした。その後、幹部役員はもとより、地区委員会も、県議も、市民に対して誤った主張を流布したことも含め沈黙したままとなっています。

 その後、幹部役員の中で、バークはごみと言えないことを認識しながら、「廃棄物処理施設の機能も持つ」という記述の正確性は棚上げにして、私との関係改善を図ろうという方針が検討されていたことも分かりました。誤りを市民に流布した事実には蓋をして、私との関係改善を図ろうという謀略めいたやり口です。

 この提案には一部役員の良識的な反対があり、合意できなかったようです。しかし、未だにこの問題に沈黙し、私と会った幹部役員が、「当事者としてきちんと対応せよ」と求めても、「まぁーまぁー」と言葉を濁して立ち去る対応をとってたことから考えると、現実には、検討された方針が行動に生かされてきたとしか考えられない状況がありました。市民に対してウソをついたことを自覚しながら、そのことについての反省もなく、従って謝罪もしない。社会的にまともな存在なら、とてもできない芸当です。幹部役員の対応は、政党としての市民に対する責任を放棄しているとしか考えられないものです。


■問題がある体質の幹部と行動を共にすることはできない

 この3年間に体験したことから、一部の県幹部役員及び地区委員会幹部役員たちは、例え間違った見解であろうとも権謀術策を弄して押し通し、自分たちにとって都合の良い状況を作り出そうとする体質を持っていること、あるいは問題から目をそらして何もやらない無責任体質を持っていることを、私は痛いほど自覚せざるを得ませんでした。

 そこには、①誤りに真摯に向き合い反省することができないばかりか、場合によっては虚偽を押し通そうとする独善性、②「住民こそ主人公」を標榜しながら何よりも自分を大切にする強い自己保身性――を見ることができると考えています。幹部役員のその姿は、社会的集団の幹部として普通に持つべき機能の欠如を示していると思います。

 私は選挙後、タスキ等の問題での幹部役員の対応に嫌気がさし、関係を持たないためには党から離れるしかないという思いを募らせてきました。加えて民間が計画したペレット工場に「廃棄物処分場」との誹謗中傷を投げつけ、その誤りを指摘しても、謝罪もせずに正当化しようとする姿に、こうした主義主張を持つ人々と行動を共にすることはできないという考えが正しい判断であると確信を深めてきました。

 その幹部に対する不信の蓄積の帰結として今回、党を離れたことを表明するに至ったことをご理解いただきたいと思います。その主要な目的は、一部県幹部役員及び地区委員会の幹部役員と明確に袂を分かつことにあります。

 また、幹部の中には、日本共産党公認で選挙候補者となると決まっている者もおり、こうした者を支え選挙運動をすることなどとてもできないと考えていることがあります。私が仮に当選させるために選挙運動をするとすれば、有権者に対する裏切りにも通じる、このように考えています。


■今後のご支援、ご鞭撻のお願い

 党内には、この間、地区委員会幹部が引き起こしてきた事態を重視し、原因も含めて問題を解明し、今後、こういった事態を引き起こさないように党活動を改善しようとする動きがあるようです。老婆心ではありますが、組織的なことを考えるならば、この動きが活かされ、真摯な反省のもとに地区委員会の組織が再出発するよう祈るばかりです。

 こうした動きがあることは承知しながら、私は共産党という組織を離れることを選択しました。これまでの選挙で、私を支持して下さったみな様の中には、私が共産党の候補者であることに支持の理由があった方もいらっしゃると思います。その思いを裏切るようなことになって大変申し訳なく思います。ただ一つ、先の市議選前後から始まった諸般の問題があって、共産党を離れることになった事情は察しっていただきたいと思います。

 私は、職を持ちながら入党し、退職後、民青同盟や共産党地区委員会の専従者として主に政策面を担当しながら、同時に日本共産党市議団の事務局として市政や議会に関わって活動してきました。市政を揺るがしたサイクルパーク構想や民間の廃プラ発電所計画、いわき芸術文化交流館アリオスや駅前再開発ビル建設にかかわる市長公約問題、また、震災後の諸課題の解決など、この間に取り組んだ様々な活動を通じて育んできたものが私の政治的なスタンスの真ん中に座っています。党を離れても、私自身の中に育まれてきたこのスタンスは何ら変わることがありません。今後も、これまで同様に市政の諸課題に臨んでいく考えです。

 引き続くみな様のご支援、ご鞭撻を心からお願いし、無所属となるにあたっての報告とさせていただきます。

2019年4月22日 


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