伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

季節はずれの運動会を少しお手伝い

2024年03月23日 | 遠野町・地域
 遠野町の2つの小学校と2つの中学校がそれぞれ閉校となり、4月から新たに遠野小学校と遠野中学校となるが、このうち入遠野地区の小中学校にゆかりの方々を対象にした運動会が入遠野小学校校庭で開かれた。準備などほんの少しだがお手伝いをしてきた。

 この季節、運動会とはだいぶ季節はずれだが、主催して中心になって遠野町まちづくり検討会若者部会の入遠野地区出身の2人の若者は、みんなが集まる時間を作ろうと準備を進めたようだ。当日まで100名を超える参加申し込みがあったといい、当日の参加申し込みなども含め200名を超える同地区ゆかりの人々が会場に集まっていた。

 競技種目は、運動会でおなじみの玉入れや借り物競走、宝拾いやリレーに加え、全員参加の入遠野クイズやじゃんけんれっしゃ(じゃんけんに負けた人が飼った人の方に手を掛け、最後に先頭になった人が勝つゲーム)などで、紅白に分かれた参加者が、運と体力、知識を争っていた。

 手伝う合間・・というより、準備と受付時以外は片付け作業まで特にやることがないので、会場を徘徊しながら競技を見学し写真を撮っていた。


 年代別に分かれた玉入れの後には、子ども達による借り物競走。「きれいなお姉さん」だとか「やさしいおばさん」(だったかな・・)など、ユニークな視点の借り物もおり混ぜられ、子ども達が誰を選ぶのかが注目もされる競技だったが、競技のそれぞれの勝者がインタビューに答える姿に頼もしさを感じたりした。




 また、穏やかな競技と思っていた宝拾いが熱い競争になっていたのに驚いた。

 この競技は長者や年少者が参加するのが普通だが、


見出し画像のように景品が残って追加となった小学生(かな?)の回ではダッシュで景品を運び、競争心の強さを感じた。また、年長者の回にも思わぬ熱戦があり、観客を沸かせた。


 競技の花形、最後のプログラムのリレーは幼児から年長者までの競技者がバトンをつなぐ。昼前に降雨の予報があり進行を急いでプログラムがすすめられていたが、ポツポツと雨粒が落ちてくる気象条件でリレーがスタートした。




 写真を撮っている目前で転倒した子どももいた。写真で分かるようにラインがカーブしている左側がほんの少しへこんでいる。ここで脚をとられて転倒してしまったのだ。

 その結果遅れてしまったチームもあったが、アンカーまで無事にバトンがわたり競技が終了した。




 幸いプログラムは最後まで実施できたようだが、子ども達から大人まで心の底から競技を楽しんでいたようだ。

 さて競技の結果、総合優勝したのは紅白どっちだったのだろう。聞き逃してしまったのだが、協議終了後はノーサイド、校舎の前で参加者全員がそろって記念撮影して散会した。写真は運動会を長く思い出に残すだろう。

 ちなみに閉会式では入遠野小学校の校歌斉唱があった。すでに4校の校旗返納式は終了し、卒業式も終業式も終えていることから、校歌が歌われる機会はないものと思う。これが最後の斉唱となるかもしれない。



 同校の校歌を初めて聴いたのは招かれて出席した卒業式だったか、入学式だったか、いや学習発表会だったかもしれないが、歌詞に驚いことを思い出す。その1番の歌詞はこうだ。

入遠野小学校校歌

一、いわきの国の入遠野
  ゆたかにめぐる 過ぎの山
  われら 少年少女らは
  強いこころとからだをそだて
  親にもまけず はたらくと
  学ぶ入遠野小学校

 ここにうたう「親にもまけず はたらくと」が今まで聞いたことがない内容で、カルチャーショックを受けたのだ。

 別の機会に、昔の小中学校には農繁期に学校を休むことがあったと聞いた。機械化がされていない時代に、米の収穫の時期などは人手が何よりも必要になる。そんな時は、子ども達も大切な労働力として働いていたらしいのだ。そういう時代背景が校歌にも反映したのだろう。歴史と当時の社会状況を今に伝える歌詞だと思う。

 こうした校歌は、今後どうなっていくのか。新しい学校の歴史に残されていくといいのだが。

 それにしても大勢の人の参加で支えられた運動会だったと思う。企画したみなさまご苦労様でした。


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