伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

人気のない町ー原発被災地視察に同行して

2014年08月05日 | 原発
 議員だよりに原稿を書きました。昨日、ざっと書いた原稿を、あとは直すだけなのですぐに書き終えると午前中取り組んだのですが、直すごとに文章量が増え(本当は短くしなければならないのですが)、なかなか苦戦しました原稿の短縮はあきらめて、両面で編集してもらうことにしました。

 以下がその原稿です。



人気のない町・摩擦・誤解
被害の実情を伝えることが被災地の使命


 地震、津波に加え原発事故という三重の災害に見舞われた福島県。双葉郡に隣接する本市には、被害の視察に多くの方が訪れています。7月27日には、京都自治労連の関係者が被災地視察に訪れました。3度目です。本市の津波被災地から双葉郡の避難指示解除準備区域までを案内しながらめぐりました。除染を終えた楢葉町でも、除染を予定する富岡町でも、人の気配はほとんど感じませんでした。事故から3年半。いまでも人が住めない街に原発事故の深刻な被害を実感しました。



 未曽有の災害をもたたらした東日本大震災。いまだに被害をもたらし続ける原発事故。
 被害を克服し復興を成しとげること。災害や事故の実相を情報発信し、二度とこのような悲惨な体験を繰り返さないよう事故の教訓を全国共通のものにすること。
 この二つは被災地に与えられた使命と言っていいと思います。

 特に福島しかできない原発事故に関する情報発信は重要です。
 汚染による実害が発生し、汚染が確認されない農産物等にも風評被害が発生しました。また、その被害を長期にもたらし続けるという、自然災害とは異なる特徴があります。

 直接聞き、直接肌で感じてもらった被害の実情と教訓を、これからの施策の展開に活かしてもらうことは、再び事故を繰り返さない力になる。風評を含めた被害の克服につながり、被災地と被災者の願いにも合致する――そんな思いを持ちながら被災地を案内しました。

 27日は、津波被災地の薄磯から視察をスタートしました。1年半年前の視察時には、津波に被災した住宅の基礎が残されていました。復興区画整理事業がすすんでいる今、整地された土地が広がっています。すすむ復興の状況を確認してもらえたと思います。

 また、放射線量も確認しました。1年半前より確実に線量が低下していました。

■除染は終了したが・楢葉町

 その後、海岸線に沿って北上しました。四倉、久ノ浜、広野町を過ぎ楢葉町に入りました。除染が完了し、避難指示解除準備区域とされ、来年春以降の帰還をめざす町です。

 常磐線の運行が同町の竜田駅まで延伸され、7月31日には「ここなら商店街」という仮設商店街がオープンするなど、帰還に向けた条件整備が進んでいます。

 しかし、住民の心は定まっていないようです。現地でお話を聞きました。
 ある地域には130戸あるそうですが、そのうち帰町を表明しているのは7世帯にとどまっているそうです。

 住民が懸念しているのは、除染しても残留する放射性物質の影響と、原発事故が収束しないことへの不安です。地域に人が帰らなくてはコミュニティーを再建できません。また年配の方が多く、医師の配置、町内での交通手段の確保も問題になります。現状では帰ることができない――その思いがよく分かります。

■火発は復興、原発事故収束はめどたたず

 同町の天神岬からは除染後の地域の様子が良く分かりました。また東京電力の広野火力発電所が遠望できました。





 原発と同じく津波被害を受けながらいち早く復旧し稼働しています。一方では、収束の目途もつかない原発事故に思いが及びます。放射性物質を内蔵し、事故がおこれば回復が難しい原発の特異性をあらためて感じました。

■二つに裂かれた富岡町

 富岡町に移動しました。
 富岡駅周辺には、津波被災と地震被害の痕跡がそのまま残されています。原発事故でまき散らされた放射性物質が復興の足を止めたためです。



 この富岡町は避難指示解除準備区域と帰還困難区域に再編・分断されました。区域の境界には、ガードレールと道路に柵が設けられています。



 二つに裂かれた境界上の線量は、手持ちの線量計で数マイクロシーベルトありました。
 境界から5メートル内側も、外側も、その線量に大差はないでしょう。
線の内側だから住んではならない、外だから住むことができるという線引きの理不尽が実感されます。

 こういう線引きをしながら、政府が住民の帰還を急がせるのはなぜか。当初、住民の中に故郷に帰りたいという思いがあったことが要因の一つでしょう。しかしそれ以上に、倍賞の早期打ち切りや収束しない原発事故に人の目が向かない状態を作ることに動機があるのではないか。そんな思いがよぎります。

■原発推進の異常告発する被災地

 双葉郡の被害の状況を実際に見てみると、避難を余儀なくされた方々の帰還は困難な状況にあることが分かります。このような深刻な災害をもたらす原発を推進する政策を進めていいのか。3年半が過ぎた被災地の現実は、このことを鋭く告発しているように思います。

■摩擦

 原発事故による避難は、避難者を受け入れている本市市民との「摩擦と」いう問題も生み出しています。

 いわき明星大学人文学部現代社会学科がいわき市民を対象に調査したところ、72・2%が「避難者は生活の見通しがつかず大変だ」と答える一方、64・7%が「たくさんお金をもらいうらやましい」と考えていることが浮き彫りになったといいます。うわさに過ぎなかった問題が、実際の数字で明らかにされたのです。

 調査した准教授は「いわき市民と避難者との間に摩擦があることは聞いていたが、思っていた以上だった」(河北新報、7/8付)とコメントしています。

■事故責任隠す「イチジクの葉」

 摩擦の背景には、原発被害者に対する賠償のあり方や格差の問題があります。
この格差がいわき市と避難地域の被災者の意識を分断する効果を発揮しました。そしてこの分断は、国と東電の事故責任追及を弱める「イチジクの葉」の役割を果たしていると考えられるのです。意図的な施策だとしたら重大な問題です。

■誤解

 また「摩擦」には誤解もあります。
例えば「ごみ処理費用などいわき市で住むために必要な公的費用を、市民の税金で負担している」といったものなどです。「実際にそうなのか」と最近も知人に質問されました。

 現実には、避難者受け入れに必要な経費は、国から交付金として支給されおり、いわき市民が支払う税金で負担しているということはありません。

 また、本市に住宅を建てた方の固定資産税は、通常通り本市で課税されます。
 避難をされている方が隣組に入らないなど避難者と地域コミュニティーとの関係に問題意識を持っている方もいます。

 ここにも、避難者を早期に帰還させることを前提にしてきた国の対応策の問題があるように思えてなりません。

 短い期間だけ避難生活を送る仮暮らしという仕組みが、地域に向ける関心を弱めていると思われるのです。一時的な住まないと考えれば、そこであらたに社会的関係を築こうと考えないのではないでしょうか。

 被害の実情を知ること、対話を通じてこうした誤解を一つひとつ解きながら、いわき市民と避難者の融和をすすめることは、引き続く本市や国の施策としても大切な課題です。

 住民の分断をもたらしている様々な問題が取り除かれた時、被害の実像と教訓が純粋な形で浮き彫りになってくるように思います。被災地からの情報発信が、より大きな力を持つようになるのではないでしょうか。

 被害の実情を知ることで、被災者に思いを寄せながら原発の問題をさらに探求しなければならないという思いが強くなります。機会があれば現地にも足を運んでいただきたいと思います。

 


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