前作は「おちょやん」。喜劇役者から上方女優となった浪花千栄子さんの半生をモデルにしただけあって、ストーリーも、喜怒哀楽の振れ幅も大きく、楽しめ、かつ涙なしに見られない作品だった。ただ視聴率は最悪クラス。セリフが早いとか、声が大きくて聞きづらいとか、いろんな事が言われていた気がするが、私は、十分作品の世界を楽しんだだけに、何でかなの思いは強かった。
この作品の後を継いだのが「お帰りモネ」。戦前から戦後の時代を舞台にした作品から、現代の世界へ舞台が移ったが、作品はたんたんとしすぎていて、落ち着いていると言えば落ち着いているのだが、作品の面白さとしては分かりにくい。にもかかわらず、関連して書かれた記事を読むと、視聴率はともかくとして、作品や清原果耶さんの演技を高く評価する論調が溢れていた。
何でかな。面白さで言えば「おちょやん」の方がはるかに分かりやすく、ヒロインを演じた杉咲花さんも好演していたと思うだけに、あまりにひいき目といった思いを持っていたものだ。
「お帰りモネ」は東日本大震災の被災者を扱った作品だ。震災を取り上げた連続テレビ小説は、「あまちゃん」と「半分青い」の2作品があったと思う。
あまちゃんは、東京から「北三陸市」にこしてきたアキが、アイドルになりたい同級生「ユイ」に引きずられて、地元アイドルとなり、東京でのアイドル成功をめざし上京、ユイは久慈から離れることができなくなる中、苦労しながらアイドルの座を獲得したものの、初コンサートの前日に見舞われた東日本大震災を機に地元に戻り、同級生とともにアイドルとして地元の復興に貢献しようとするストーリーだった。今でも、津波被害を受けてガレキが散らばる三陸鉄道の線路上を、アキとユイが並んで歩く場面・・たぶん、ラストシーンだったと思うのだが、この場面が忘れられず、脳裏にこびりついている。
「半分青い」では、ヒロイン「鈴愛」とともに漫画家のアシスタントをしていた同僚「裕子」が、ともにアシスタントをやめ第二の人生として選んだ看護師になり、仙台近くの海の見える病院で、患者とともに病院に残り、震災で発生した津波に流され、遺体となり発見されるという形で、震災が描かれていた。
いずれの作品も、震災と直後の震災の復興に立ち上がった人々が描かれたが、今回の作品「お帰りモネ」は、震災後から10年の間に、震災を体験した人たちが、それぞれが異なった心の傷を負い、その傷を癒やして、新たなスタートを切ろうとする姿を描いた。そこに描かれる世界は、基本的に、それぞれの登場人物の心の揺れ。そう考えれば、抑制された演技で、セリフと表情が重視された演技が要求されたことも、何となく理解ができた。
実際に描かれた被災者の心の傷は三者三様だった。
震災後の場所と時間を共有できなかった自分を責め、自分は何もできなかったという無力感を持つモネ。
母を津波で失い、自暴自棄に陥る父への嫌悪感、その父を立ち直らせたいという自分の気持ちは誰も分かるはずがないと、周囲の人々との壁に閉じこもる同級生・亮。
津波が寄せる中、動こうとしない祖母を置いて逃げた自分を許せず、この場所で人に役立つことが贖罪と考え、地元に縛られる妹・未知。
それぞれが心の内底に隠した思いは、ドラマの終盤まで語られることがなく、あるきっかけで気持ちがすれ違う登場人物のエピソードが積み重ねられていった。
モネは、実家を離れた先の人々とのふれあいの中で、気象予報士に自分の道を見つけ、就職した会社の出張所の形で故郷に戻り気象予報と地場産業を結んで故郷に貢献する道を探す。
未知は、罪悪感を思い出すたび「未知は悪くないと言い続ける」というモネに、罪悪感で凍り付いていたここにいなければの思いが溶け始め、「今度は私がいる。好きなところに行っていいんだよ」と背中を押され、大学行きを決めた。
亮は、誰とも関わるまいとするが、「いっしょに居たいけではだめ」という未知に心を許し、父と率直に話し合い、自分の漁師としての人生は母の死とともに終わったと、自分の生きたいように生きろという言葉を納得し、自分のために足を踏み出した。
震災の痛みは三人三様だが、それぞれが痛みをぬぐい、新たな道に踏み出すことができた力は、結局、他人の理解と支えだったようだ。物語は2020年2月で終わる。震災で受けた心の傷の修復に10年もの歳月が費やされていた。
震災から10年、おそらく多くの方々が、同じような思いをしながら、被災の現実から立ち直り、震災後の新たな日常に足を踏み出してきたのではないだろうか。たんたんしたドラマで、見栄えこそ地味なドラマだったが、そこで描かれた心のストーリーは、深く引きつけるものがあったと思う。
さて、「お帰りモネ」の「お帰り」とは何のことかと常々思っていた。気仙沼市出身のモネが、故郷を出て、登米の森林組合で働き、気象予報士になって東京に出だ。そのモネが故郷・気仙沼に帰るので、「お帰り」なのかと単純に考えていた。浅はかだった。最終話で、はじめて「お帰り」の意味が明らかになる。
最終話、モネが、高校時代に使っていたサキソフォーンのケースを開く。震災後、1度も開かれたことがなかったケースだ。そこには、震災当日に予定していた卒業コンサートのパンフレットが入っていた。開かなかった理由を、最初の頃は、痛みを共有できないななどあの頃に向き合うのが怖かったが、今は、何もできないと思っていたあの頃の気持ちに戻ってしまうのが怖かったというモネ。しかし、今現在は、「戻ってたまるか。今は何もできないなんて思わない」という。
震災は、家族や友人との当たり前であった心のつながりを失わせていた。いわば、道に迷った状況にあったのだろう。しかし、震災で受けた心の傷に向き合うことができる所まで、自分を取り戻した。いわば、あるべき自分に戻ったねという意味での「お帰り」だったようだ。そのことから考えると、10年の歳月は、このドラマが書かれるまで必要な歳月だったのかもしれない。
「おかえり」。戻ってきたからには、この先に何をしていくのかが問われることになる。亮は船を持ち、父と同じように海で生きていくことを選んで、船出した。
未知は、大学に入り、研究を通して、モネは、気象予報を通して、故郷への貢献の道を選んだようだ。ただ、モネと恋人・菅波先生とは、これからどんな道を歩むのだろう。時間も場所も超越した関係のようなセリフがあったが、これからも、東京と気仙沼に分かれて、それぞれの仕事に邁進していくのだろうか。いや、そのうち、菅波先生は、たぶん地域医療の担い手として、近くで医療活動を始めるのだろう。そんな気がした。
この作品の後を継いだのが「お帰りモネ」。戦前から戦後の時代を舞台にした作品から、現代の世界へ舞台が移ったが、作品はたんたんとしすぎていて、落ち着いていると言えば落ち着いているのだが、作品の面白さとしては分かりにくい。にもかかわらず、関連して書かれた記事を読むと、視聴率はともかくとして、作品や清原果耶さんの演技を高く評価する論調が溢れていた。
何でかな。面白さで言えば「おちょやん」の方がはるかに分かりやすく、ヒロインを演じた杉咲花さんも好演していたと思うだけに、あまりにひいき目といった思いを持っていたものだ。
「お帰りモネ」は東日本大震災の被災者を扱った作品だ。震災を取り上げた連続テレビ小説は、「あまちゃん」と「半分青い」の2作品があったと思う。
あまちゃんは、東京から「北三陸市」にこしてきたアキが、アイドルになりたい同級生「ユイ」に引きずられて、地元アイドルとなり、東京でのアイドル成功をめざし上京、ユイは久慈から離れることができなくなる中、苦労しながらアイドルの座を獲得したものの、初コンサートの前日に見舞われた東日本大震災を機に地元に戻り、同級生とともにアイドルとして地元の復興に貢献しようとするストーリーだった。今でも、津波被害を受けてガレキが散らばる三陸鉄道の線路上を、アキとユイが並んで歩く場面・・たぶん、ラストシーンだったと思うのだが、この場面が忘れられず、脳裏にこびりついている。
「半分青い」では、ヒロイン「鈴愛」とともに漫画家のアシスタントをしていた同僚「裕子」が、ともにアシスタントをやめ第二の人生として選んだ看護師になり、仙台近くの海の見える病院で、患者とともに病院に残り、震災で発生した津波に流され、遺体となり発見されるという形で、震災が描かれていた。
いずれの作品も、震災と直後の震災の復興に立ち上がった人々が描かれたが、今回の作品「お帰りモネ」は、震災後から10年の間に、震災を体験した人たちが、それぞれが異なった心の傷を負い、その傷を癒やして、新たなスタートを切ろうとする姿を描いた。そこに描かれる世界は、基本的に、それぞれの登場人物の心の揺れ。そう考えれば、抑制された演技で、セリフと表情が重視された演技が要求されたことも、何となく理解ができた。
実際に描かれた被災者の心の傷は三者三様だった。
震災後の場所と時間を共有できなかった自分を責め、自分は何もできなかったという無力感を持つモネ。
母を津波で失い、自暴自棄に陥る父への嫌悪感、その父を立ち直らせたいという自分の気持ちは誰も分かるはずがないと、周囲の人々との壁に閉じこもる同級生・亮。
津波が寄せる中、動こうとしない祖母を置いて逃げた自分を許せず、この場所で人に役立つことが贖罪と考え、地元に縛られる妹・未知。
それぞれが心の内底に隠した思いは、ドラマの終盤まで語られることがなく、あるきっかけで気持ちがすれ違う登場人物のエピソードが積み重ねられていった。
モネは、実家を離れた先の人々とのふれあいの中で、気象予報士に自分の道を見つけ、就職した会社の出張所の形で故郷に戻り気象予報と地場産業を結んで故郷に貢献する道を探す。
未知は、罪悪感を思い出すたび「未知は悪くないと言い続ける」というモネに、罪悪感で凍り付いていたここにいなければの思いが溶け始め、「今度は私がいる。好きなところに行っていいんだよ」と背中を押され、大学行きを決めた。
亮は、誰とも関わるまいとするが、「いっしょに居たいけではだめ」という未知に心を許し、父と率直に話し合い、自分の漁師としての人生は母の死とともに終わったと、自分の生きたいように生きろという言葉を納得し、自分のために足を踏み出した。
震災の痛みは三人三様だが、それぞれが痛みをぬぐい、新たな道に踏み出すことができた力は、結局、他人の理解と支えだったようだ。物語は2020年2月で終わる。震災で受けた心の傷の修復に10年もの歳月が費やされていた。
震災から10年、おそらく多くの方々が、同じような思いをしながら、被災の現実から立ち直り、震災後の新たな日常に足を踏み出してきたのではないだろうか。たんたんしたドラマで、見栄えこそ地味なドラマだったが、そこで描かれた心のストーリーは、深く引きつけるものがあったと思う。
さて、「お帰りモネ」の「お帰り」とは何のことかと常々思っていた。気仙沼市出身のモネが、故郷を出て、登米の森林組合で働き、気象予報士になって東京に出だ。そのモネが故郷・気仙沼に帰るので、「お帰り」なのかと単純に考えていた。浅はかだった。最終話で、はじめて「お帰り」の意味が明らかになる。
最終話、モネが、高校時代に使っていたサキソフォーンのケースを開く。震災後、1度も開かれたことがなかったケースだ。そこには、震災当日に予定していた卒業コンサートのパンフレットが入っていた。開かなかった理由を、最初の頃は、痛みを共有できないななどあの頃に向き合うのが怖かったが、今は、何もできないと思っていたあの頃の気持ちに戻ってしまうのが怖かったというモネ。しかし、今現在は、「戻ってたまるか。今は何もできないなんて思わない」という。
震災は、家族や友人との当たり前であった心のつながりを失わせていた。いわば、道に迷った状況にあったのだろう。しかし、震災で受けた心の傷に向き合うことができる所まで、自分を取り戻した。いわば、あるべき自分に戻ったねという意味での「お帰り」だったようだ。そのことから考えると、10年の歳月は、このドラマが書かれるまで必要な歳月だったのかもしれない。
「おかえり」。戻ってきたからには、この先に何をしていくのかが問われることになる。亮は船を持ち、父と同じように海で生きていくことを選んで、船出した。
未知は、大学に入り、研究を通して、モネは、気象予報を通して、故郷への貢献の道を選んだようだ。ただ、モネと恋人・菅波先生とは、これからどんな道を歩むのだろう。時間も場所も超越した関係のようなセリフがあったが、これからも、東京と気仙沼に分かれて、それぞれの仕事に邁進していくのだろうか。いや、そのうち、菅波先生は、たぶん地域医療の担い手として、近くで医療活動を始めるのだろう。そんな気がした。
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