倉敷・大原美術館横「似顔絵・宏プロ」

倉敷・大原美術館横で長年・似顔絵を描き、お世話になっている者です。

倉敷にがおえエレジー 124回似顔絵の歴史32

2004-12-18 05:35:02 | Weblog
ところが近年の社会は高度成長という虚構のローラーでならした様に画一化され、人間の生活圏を一部を為してきた(異界)というモノを徹底的に隔離されつつある。
 ちなみにここで云う(異界)とは人間が互いの間のアンビヴァラントな違和のため身動きならなかった人間同士は、共同体異界とに違和の関係を負わせ代行させる事によって連帯を存在論的に可能なモノとして己達を「人間」への構造化してきた事をさす。まあ、分かり易くいえば潤滑油だな。具体的な例としてはアウトサイダー、大道芸人、露天商、ホームレス、破壊坊主、一種のエセ宗教家およぴ芸術家。最近ではノマドといった精神状
況の一群も含まれるであろう。
 彼等の存在はあらゆる怠惰な日常性に生きる人達に対して、手垢のついた愛や真実を破壊し、社会に依って飼い馴らされた抑圧を、心の解毒剤として神聖な力に転化する効用はアリストレスのカタルシス(浄化)の思想を紐解くまでもない。

 一見華やかで、良い事ずくめの繁栄の虚構裏には予備軍としての底辺で生きる(異人)あり様を注目することで見抜かれる。この方法は事実解明の鉄則であって、彼等は現代のカナリアであるのだ。ちなみにカナリアはかっての炭鉱の底にあって身を持って危険を知らせたのだ。
 しかし行政は衛生が悪いだの、外観がとうなの、都市の美観を損ねるだの基本的には道路交通法で撤去していくのだ。
 結果、全てシスマティックに整備され、人々は己だけの関係性に閉じこもり、社会の共同性は薄れ、孤立化したカプセルはシュミレーション習俗のプレート上でのみ、より豊かな生活や高い学歴を求める脅迫的な「幸せ競争」追い立てられていくのである。




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