不定期人生作業日報(仮)

ある時は医薬品卸商(正確には物流子会社)社員、ある時は通信制大学生、そしてある時は中途半端ヲタな、筆者の備忘録です。

ひぐらしのなく巡礼(13)本当にあった「鬼ヶ淵死守同盟」

2004年11月09日 20時22分45秒 | 「ひぐらし」関連
次は帰路を行きつつ、来た国道沿いにチェックしておいた地点を巡っていきます。
まず30分足らず南進し、この地方では最も大きい湖を形成している、
某ダムまで戻ってきました。
何故か作中では「雛見沢ダム建設跡地」の一風景なのですが、潅水し機能している
ダム湖とサイトの写真というのが、違和感ありという細かい突っ込みはなしにして、
とにかくこのアングルで撮影したものに、間違いないようです。
余談ですが、ここに立つ前にダムサイト前にあるPR館に立ち寄りまして、
そこでダム建設に至る経緯を説明するコーナーがあるのですが、作中同様
「○○○ダム絶対反対期成同盟決死会」という組織が、水没住民約1200人中8割の人
が参加して結成され、中央への大規模な陳情等約7年にわたる反対闘争の末、
高度成長化の大波には抗えずに和解、昭和35年にダムが完成し翌年共用されるという
事実が記されておりました。提示されていたパネルの中に決死会の首脳と政府会社の幹部が
合意の証として並んで写ったものがあるのですが、仮に雛見沢ダムでも御三家と政府とで
和解にいたり、村は水没で廃村になるものの興宮とかに移住して、差別されず溶け込み
仲良く暮らすことが出来たなら・・・、あの悲しい事件はなかったのでは?
などと更に勝手な思いを馳せたりしてました。
(実際にこのダムの場合は、村の役場等中心部に住む3分の1の方たちが離村を
余儀なくされ、村民の工夫により岐阜県で最も水稲の収穫率が高い、肥沃な故郷を
捨てる対価として得た保証金を元手に、東京でホテル事業を起こした方もいたそうです。)
※簡単にネットサーフィンして書いたものですので、間違い等ありましたら、
どうぞ遠慮なくご指摘下さい。

・・・あと最後の撮影スポットを残して、まだ「学校」は発見できませんでした。
心残り無いようもう一度国道を4kほど北進し、旧道沿いにある鄙びた温泉街を
車窓から見て通ったのですが、これでは到底探し切れるものではありませんでした。
時間が押す中、諦めて国道を南進、帰路を行くことにしたのです。







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