さてダム左岸の付け替え国道を上流に向け南進します。先述しましたが、ダム完成が昭和35年と
古いので、従って道路の規格も現在の交通量の割に貧弱なもので、トンネルで大型車同士が
離合できないため、時々渋滞しつつダム湖を抜けることが出来ました。
さてダム湖から大きな渓流に変わった右岸をしばし進み、図上調査で距離を置かずに架けられている
2つのつり橋を過ぎてすぐ、クルマを広くなった路側帯に止め歩いてまず橋柱が白い方の橋へ
歩きます。農作業をされてる地元の方が不思議な目で見る中、渡り詰まで進むと今度は西日に
反射する「銀の糸」が無数に・・・。そう蜘蛛の糸です。つまり地元の方も誰も通らないもののようです。
とりあえず写真を撮っておいて、もう一つの赤い橋柱の方へ歩きます。
数百m歩いて目前に迫ったそれへ近づいてふと左を見ると・・・。えっ、これってまさかアレ・・・。
朝からあれだけ歩き回っても、どうりで見つからなかった訳です。
やはり「前原屋敷」~「祭具殿」や「北条家」~「防災倉庫」の例と同様、ロケハンの皆さんは
相当広範囲を旅して回って、使えそうな景色を収集されてたのでしょうか?
デジカメの電池が僅かだったこともあって断念したのですが、この建物の敷地は国道から少し
低くなったところにあり、建物の前(写真では左前方)には、校庭としておあつらえ向きな
広さの土面が広がっておりました。写真にも写っている通り、ゲートが閉じている上1BOX車が
車庫に駐車されており人のいる気配も明らかにしました。とどめは国道をパトカーが走って
きましたので、最小限のショットで終わりにして吊り橋へと急ぎます。
(建設会社の建物というよりは、ゲートが道路閉鎖に使うような感じのもので、会社名を示す
看板や塗装も見られないので、作中同様村の土木・営林関係部署の出先作業所かも知れません。)
古いので、従って道路の規格も現在の交通量の割に貧弱なもので、トンネルで大型車同士が
離合できないため、時々渋滞しつつダム湖を抜けることが出来ました。
さてダム湖から大きな渓流に変わった右岸をしばし進み、図上調査で距離を置かずに架けられている
2つのつり橋を過ぎてすぐ、クルマを広くなった路側帯に止め歩いてまず橋柱が白い方の橋へ
歩きます。農作業をされてる地元の方が不思議な目で見る中、渡り詰まで進むと今度は西日に
反射する「銀の糸」が無数に・・・。そう蜘蛛の糸です。つまり地元の方も誰も通らないもののようです。
とりあえず写真を撮っておいて、もう一つの赤い橋柱の方へ歩きます。
数百m歩いて目前に迫ったそれへ近づいてふと左を見ると・・・。えっ、これってまさかアレ・・・。
朝からあれだけ歩き回っても、どうりで見つからなかった訳です。
やはり「前原屋敷」~「祭具殿」や「北条家」~「防災倉庫」の例と同様、ロケハンの皆さんは
相当広範囲を旅して回って、使えそうな景色を収集されてたのでしょうか?
デジカメの電池が僅かだったこともあって断念したのですが、この建物の敷地は国道から少し
低くなったところにあり、建物の前(写真では左前方)には、校庭としておあつらえ向きな
広さの土面が広がっておりました。写真にも写っている通り、ゲートが閉じている上1BOX車が
車庫に駐車されており人のいる気配も明らかにしました。とどめは国道をパトカーが走って
きましたので、最小限のショットで終わりにして吊り橋へと急ぎます。
(建設会社の建物というよりは、ゲートが道路閉鎖に使うような感じのもので、会社名を示す
看板や塗装も見られないので、作中同様村の土木・営林関係部署の出先作業所かも知れません。)