立川の踊る中幸年ブログ

立川自身の人生経験から色んな気付きをシェアして

私とまわりの人の幸せを追求して共に進化していきたいのです

蛇に睨まれた立川

2014-09-26 23:53:19 | 日記


むかーしむかし、大分の舞鶴高校という所に

世にも恐ろしい女教師様がおったそうじゃ。

その教師様に睨まれるとどんな男子も女子も冷え上がり、

決して目を合わせることができんかったそうじゃ。

その教師様は皆から、恐れられ鬼瓦と呼ばれておったんじゃ。



という様な昔話になりそうな実在のレジェンド教師が

私の母校、舞鶴高校にはいました。

この教師の私への一言が私の中に眠るすべての

負の感情を一気に噴出させ、決して忘れることの

できない、痛すぎる経験をさせられることとなったのです。

 

当時はひなびた温泉町の田舎娘の私にとっては

進学高で有名な舞鶴高校に入学することは憧れでした。

毎日、夜中まで受験勉強をして、合格できた時は

嬉しくて泣いてしまいました。


田舎の小さな中学校から、大分市内にある有名な進学校に

入学して、まず授業レベルの高さに驚き、東大を狙っている様な生徒も

何人もいて今までの田舎ののんびりした雰囲気とは180度違い、

ピリピリした空気の中で、私もかなり緊張していました。


特に女子が全体の三分の一しかいないので、

そこも今までとは違い違和感がありました。

なんか男子の目が気になる。

もちろん自意識過剰な私の思い込みでしたが。

でも思春期でウブな女子ってそんなものですよ。



 そんな憧れの高校に入学出来たのに

何もかもがコンプレックスの塊で、自分以外の周りの生徒は、

皆自信に満ちているように見え、田舎者の私は

自分の居場所が見つけられなかったのです。

もちろんそれも幻想だったのですけどね。


中でも一番嫌だったのは、体育の時間のユニフォーム。

当時はどこの学校も黒の伸縮性のブルマが定番でした。


しかーし、我が舞鶴高校のブルマは何処にもない

昭和初期、戦時中の木綿で出来たズロースのようなブルマでした。

    

  
どんなにスタイルのいい子が着ても滑稽なのです。

ましてや、私のように小さな女の子は余計にカッコ悪いのです。

そのブルマを履いて走ると腰からお尻当たりの布がぴらぴら波打ち、

それは笑えるものがありました。



そのブルマは伝説の女性体育教師様、鬼瓦こと永松先生推奨のもので、

県下の高校どころか、日本中の高校でも稀な代物だったと思います。

そしてそんな滑稽なブルマを履いてはじめての体育の授業。

場所は体育館。

私は恥ずかしくて恥ずかしくて、

なんとかこの大きく見えるお尻の部分を小さくしようと

あれこれやって見たけど、直ぐにまた滑稽なズロースに戻ってしまいました。

しかも3クラス合同なので、男子が100人ぐらいいるんですよ!

鬼瓦の指示で準備体操から始まりました。

私はこのブルマ姿では、絶対に目立ちたくなくて

小さくそーっと動いていたのです。

それが、私の高校生活のイメージを大きく変えた、

そして何かが私の中で壊れてしまう大きなきっかけだったとも知らないで。

何が起こったか想像つきますか?

立川の小さなプライドが木っ端微塵に吹き飛んだ出来事になったのです。


私の気恥ずかしそうな気の抜けた 動きに目をつけた鬼瓦。

後ろからこっそり忍び寄り、気づくと私の真横にいました。

ギョッとして、私は完全にコブラに睨まれたカエルで、

為す術もなく、全身凍りついていました。

全員がかたずを飲んで注視していました。


「あんた、名前は?」ドスのきいた声で詰め寄ります

私は声を震わせながら「立川広子です。」

もっと、大きな声で!!

うあー、もう気絶しそう!早く終わりにして!

なんね!その動きは!それでも体操か?

上に上がって一人で体操していなさい!

え!上って?

恐る恐る聞くと、鬼瓦の愛用しているこん棒の指し示す先は、

講堂、つまり、ステージです。

鬼瓦ははじめての体育授業で、伝説の滑稽なぶかぶかブルマ姿で、

しかもリハーサルなしのアドリブ・オンステージをソロでやれ!というのです。

観客は150人ぐらい。そのうち三分のニは男子。

中には私好みのいい男もいたのに。

凍りついていた心臓が今度は、いきなり皮膚を

突き破りそうな勢いでドックンドックン。

神様!助けて!これって悪夢じゃないの!?

 

正に、今から絞首刑者が死刑台へ向かう気持ちで

階段を一段一段上っていったのです。

後ろには150人のギャラリー。

恥ずかしがり屋でデリケートで多感な16歳の女の子にとっては、

死ぬより辛かったのです。

そんな気持ちを知ってか知らずか

「はい!他の人は続けて!」

あの魔界の鬼瓦は、私を無視して他の生徒に対して

淡々と指導をしていました。

 

私は1人、大きな講堂の上で

イチニ!サンシ!

アドリブの体操を授業が終わるまで

ずっとやらされ続けたのです。

あまりの恥ずかしさに生まれて初めて生々しい殺意を抱き、

その時は切実に「鬼瓦死ね~!」と思ったのです。(呪)

 

あまりのことにその後のことは何も記憶にありません。

ただ、死ぬより辛い経験をして、何かが、私の中で変わった瞬間でした。

その後も確実に目を付けられ遭遇する度に頭から足先まで

舐めるようにチェックされ、しょっちゅう注意を受けました。


でもそれも三年間も続くと、なんと言うか、

鬼瓦に対して愛着みたいなものを感じるようになり、

睨まれる度に顔を見つめていると、怖い顔ではあるけれど、

何処か愛嬌のある顔だってことにも気付くようになったのです。

つまり耐性がついたというか、慣れたというか。

卒業の頃には離れるのが淋しくなっていたほどです。


私より、二つ下でやはり舞鶴高校に入学して来た妹の優子は、

よりにもよって鬼瓦が顧問のバレー部に入り、

あんたはあの立川の妹かい?と聞かれ

なぜか娘のように可愛がってもらったらしく

お弁当とかもよく作ってくれたらしいです。

とても信じられなかったですよ!

なんで、姉妹なのにこんなに扱いが違う?


恐怖の三年間でしたが、私の心臓の毛は確実に太くなり、

図太い性格に変えられたようです。

その時はとても耐えられないような出来事だったけど

乗り越えることで一回り強くなれました。

昔、ダンサーとして踊っていた頃、ステージがそんなに

怖くなかったのも、そんな経験があったからかもしれませんね。

先生のおかげだと今では感謝しています。

永松先生は今はもうおばあちゃんですが、

まだまだ 色々ご活躍みたいですよ。

鬼瓦は不滅ですね。いつまでもお元気で。



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1 コメント

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Unknown (橋本 亮子)
2014-09-28 16:28:51
こんにちは
 
本当に、広子さんとは、シンクロしますね~

私も、青森の田舎の進学校に、進み、当時女子は
男子の人数の三分の一

高校時代の思い出が、よみがえってきましたよ!

お互い、乙女でしたね
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