立川の踊る中幸年ブログ

立川自身の人生経験から色んな気付きをシェアして
私とまわりの人の幸せを追求して共に進化していきたいのです

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乳房を失って・・・そして得たものは?

2018-06-18 18:27:29 | 日記

立川です。

本日は乳がんになって辛い闘病から復活したお客様の山内さんのことを書きます。

彼女はパロマさんのお教室の生徒さんですが、ナジャハウスとも長くお付き合い

していただいています。

 

山内さんはとっても明るくひょうきんな女性でして

パロマさんのお教室の中でも一番の古株で、毎回発表会では、群舞の一員として

頑張っていました。

長くフラメンコを習ってはいたけれど、先生が教えてくれる曲目の振付を

何となく習得し、レッスンが終わった後は次の練習日まで復習をすることもなく

これといった目的もなく、仲間とワイワイ楽しくフラメンコライフを送っていて

それが彼女の生活の一部となっていました。

別にプロを目指すわけではないし、楽しいのが一番!って感じですね。

 

そんな生活が20年以上続いた3年前に晴天の霹靂(へきれき)とも云うべく

まさかの乳ガン宣告でした。

当然すぐには受け入れられず、大きな葛藤もあったでしょうが

他に選択肢はなく、すぐに左胸全摘出手術、それから抗がん剤治療で

これまでの平穏な生活から一転、過酷な闘病生活へ突入することになりました。

 

ご自身の急激な体の変化に驚きながらも、くよくよしている間もなく次々と治療は

続き、やはり・・・ついにきた髪の抜け毛。  

 

そんな辛い思いをしながらも、しみじみ感じたことは、

マイペースでフラメンコやっていたけど、それがどれほど幸せなことだったのか!

このまま病気に負けて、大好きだったフラメンコを手放したくない。

もう一度舞台に立ちたい!

そんな想いで必死に病気と闘ったそうです。

肉体はボロボロできつかったと思いますが、

それよりも頭をよぎる死や再発、転移への恐怖と不安の方が

ずっと苦しかったことでしょう。

 

そんな山内さんの強い想いが乳がんに打ち勝ち、教室に戻ってきた時は

先生や、仲間も驚いたようです。

金髪のウィッグつけて、思ったよりずっと元気そうで。

 

すぐにレッスンというわけにはいかなかったけれど

久々に靴を履いて床を踏むことのできる喜びで、自然治癒力が上がったのか

彼女はどんどん回復していきました。 

 

でも、以前の彼女とは決定的に違っていたことがあります。

それは、踊れることへの感謝の気持ちです。

以前も頑張ってはいたけれど、どこか惰性になっていたレッスンに対して

全く気持ちが変わって、

「先生が真剣に教えてくださっていたのに、今思えば軽い気持ちでレッスンを

受けていた自分に気づき、先生に対して申し訳ないし、

勿体ないことをしていたと反省しています」とおっしゃっていました。

そんな山内さんの変化を先生も見逃さず、なんと、発表会で初ソロデビューを

勧めてくれたのです。

びっくり仰天の山内さんでしたが、じわーっと嬉しくなって、心機一転、

衣装も新調しにナジャハウスに来てくださいました。

とても元気そうで相変わらずひょうきんな様子でしたが、話をしているうちに

色々こみ上げるものがあり、涙がぽろぽろ。

そして、以前の自分を振り返ってみると、本当はソロで踊っている人をとても

羨ましく思っていた。でも自分にそんな日が来るなんて夢にも思わなかった。

今まで、並みの練習しかしてこなかったから、課題ばかりで全く時間が足りなくて

焦るけど、最後までやれるところまで頑張ってみます。とおっしゃっていました。

 

衣装は元気の出る色や柄を選び、マーメイドランジェリーで手術した胸を

サポートし、見た目は全く分からなくしました。

 

本番は私も観に行きまして、最後まで元気いっぱいに踊り切った彼女に

心からの拍手でした。うるっときましたね。

 

本番も無事終わり、その後山内さんから以下のメールが届きました。(一部抜粋)

 「実は発表会の2週間前くらいに、会社の健康診断の胃の検査で要精密検査になってしまい

「え?まさか胃に転移ってことはないよね???」という不安がありまして(涙)。。

(緊急メールだったのでかなり焦りました)

発表会間近で検査へ行くヒマもなく、不安を抱えたままの本番だったので

心の底からの笑顔が出せなかったのが残念でした(>_<)

(最後のポーズの時だけは笑顔でした!)

 女性として片方の胸を失う事や抗がん剤治療で髪の毛が抜けて

ウィッグ生活を余儀なくされたのはとても辛くシンドイ事でしたが😢

 

病気になって改めて気づいた大事なことも沢山あり、

周りの人達の優しさに救われたり励まされたり感謝だったり、

今こうして普通に過ごせてる事には本当に感謝しかなく、

病気は辛い事だけではないんだなぁと思いました😃

 立川さんにも山内さんの力になりたい!と言って貰えてとても心強かったし嬉しかったです😢

改めてありがとうございました😊」

 

キャンサーギフトという言葉もありますね。

ガンになることで価値観も変わり、幸せになるという神様からのプレゼント。

 

皆さんの中にもそして家族や仲間も同じようにガンにかかってしまって

大変な思いをされた方もいるかと思いますし、私の仲間も神様からの

ギフトを受け、考え方が変わり、自分や周りをいたわるようになり、生活習慣も

大きく変わった人も何人かいます。

残念ながら神様からのギフトを感じないまま他界された仲間もいます。

それでも、そんな回復することなく亡くなってしまった大切な人から私たちは

多くのことを教えてもらえたと思いませんか?

それはとても尊いことで、今自分が元気で好きなことが出来ることに対しては

感謝以外のなにものでもありません。

それに気づいただけでも、亡くなった方たちの死は、私たち周りの人たちに大きな

プレゼントを与えてくれたと思います。

 

今回は山内さんの赤裸々な気持ちを私のブログを通して

伝えていますが、

彼女自身が辛い時に、同じような辛い境遇の人が病気を克服したブログに

とても励まされたそうです。

だから、ご自身もこうして元気になれたということを

今辛い想いをして頑張っている誰かに伝えたい。ということでした。

 

山内さんもこの気付きを風化させることなく、踊れる喜びを胸に

これからもずっと自分磨きを続けてほしいですね。がんばってください!

それではまた。立川でした。

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エグザイルに仲間入り!!!!

2017-12-20 12:09:05 | 日記

久々の投稿になります。

なんと、明日の私の誕生日を前に素晴らしいニュースが飛び込んできました。

息子の大介と0歳児の頃から仲良く、大きくなってからも親友だった

八木勇征君がエグザイルの新ユニットファンタスティックスのボーカルに

大抜擢されました。

総勢3万人の中から2人のボーカルの一人に選ばれたのです。

一次審査、二次審査とクリアし、最終的に三次審査の9名の中に残り

それでもすごいと思っていました。

私はテレビで見ていたのですが、エグザイルのヒロ達から八木 勇征!の

名前を聞いた時には、げー!うっそー!!奇声とともに、

椅子からずり落ちそうになりました。

https://light-shade.net/fanta_vocal

 

勇征とうちの大介は同じ保育園で、母親がシングル同士で、

0歳から保育園でずっと育ち、いつも一緒にくっついていました。

勇征はどの子よりも一回り大きく大介は一回り小さく

凸凹コンビでしたね。

母親同士も仲良くて、何だか家族のようにお互い子供の面倒を見ていました。

私たちが世田谷区から大田区に移ってきてからは、私は勇征親子とは会えなく

なったけど、大介たちは時々会って、お互いの成長を確かめ合っていたようです。

真ん中がイケメン勇征。右の帽子の子(凌太)もいつも私の家にいて家族のように

過ごして、3人兄弟のようにつるんでいまいした。

3人とも、まるきしキャラが違い見ていて本当に面白かったなぁ。

そんな勇征がエグザイルグループのオーディションに受かるなんて・・・・・

信じられない!信じられないよー

勇征のママも信じられなくてボーゼン状態でした。

 

でも今考えてみると、昔から目立つことが好きで、目立つポジションに

いつもいましたね。歌は上手かったけど、あんなに上手になっていたとは・・・・

なにもかも驚きだね!

これからはテレビの中で彼を見ることになるなぁ。これはこれで嬉しいような

遠くに行ってしまったようで寂しさも感じます。

きっと息子はもっとその感覚が強いかもしれません。

これから人気者になってスターの階段駆け上って行くのかな?

芸能界は厳しい世界だけど、あの熾烈なオーディションを勝ち抜いた勇征なら

生き抜いていくでしょう。

それに性格的には調子がいいから(いい意味で)、きっと大丈夫

勇君がんばってね!

皆さんもこれからの勇征君を注目してやってください。よろしくお願いします。

 立川でした

 

 

 

 

 

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愛する湯布院が被災地に。

2016-04-30 20:11:54 | 日記

立川です。

熊本、大分で震災が起きている困難な時期に私の親戚の叔母ちゃんが

亡くなってしまい由布市の湯布院に戻っていました。

叔母ちゃんの長男家族は避難していたり、

次男家族の家は壊れて私の実家に駆け込んできたり

みんな大変な想いをしていました。

毎日たびたび起こる地震におびえながらも遺族は、お通夜、葬儀の

打ち合わせをし、斎場に亡骸を移動したのですが、その斎場もかなりの被害を

受けていて、あちこち壁や地面に割れ目が見えていました。

読経の後、お寺の和尚さんのお話しで知ったのですが、お寺そのものも大打撃を受け

寺に入ることも出来ず、和尚さん達はテントの中でしばらく生活されていたようです。

そんな中、本当に多くの人々が弔問に参列してくれ、変な話ですが

斎場はとても賑やかでした。

湯布院にある火葬場も地震で使えなく、隣町の火葬場を使うことになりました。

火葬はちゃんとできたのですが、先祖代々の墓が破壊され、骨壺から骨が飛び出し

どのご先祖の骨かわからなくなってしまったようで、叔母ちゃんの遺骨もどうしたものかと

遺族は途方に暮れています。

本当に何から何まで大変でしたが、何とか葬儀も終わり

ちょっと時間があったので湯布院の街を歩いてみました。

多くの家の屋根や瓦にブルーシートが張られているのが目立っていました。

そして、いつもたくさんの観光客でごった返す湯布院のメイン通りは

ほとんど歩いている人がいない初めて見る奇妙な光景でした。

それでも、食事処やカフェ、ミュージアム、旅館の多くは

客もいないのに、気持ちだけは明るくと、健気に働いていました。

売り上げもなく、いつ回復するかの見通しも立たず、本当に苦しい胸の内でしょう。

でも、どの店も同じ状況なので、みんなで励ましあい、困難を笑い飛ばし

時々来てくれる観光客の温かい言葉に感動したりしながら

この試練を乗り越えていくしかないのでしょうね。

被災者にはなりたくはないけれど、被災したことで確実に

強くなり、優しくなれ、価値観も変わるでしょう。

今までぬるま湯の中にいて、変わりたくても変われなかった人も

変わらざるを得ないことも多く、災害は人を強く成長させる

特効薬なのかもしれません。

生きて前を向いてさえいれば、今までは何も感じることのなかった

ささやかなことにも感動できるようになり、それって幸せな気づきだと思います。

日本は自然災害が多発する国です。あらゆる地域で様々な災害が起き

本当にたくさんの人々が被災者を経験して、だからこそ、

精神的にも強く、助け合いの精神がどの国よりも発達しているのだと思います。

熊本、大分の人々が立ち直った時、今度は違う地域で起きた災害被災者を

助けたいと思うようになり、そんな心と心の循環が国民性となり

世界の人々から称賛される所以だと思います。

世界に目を向ければ、人が人を殺すテロ行為が憎しみの連鎖を生み出し

これほど悲しいことはありませんよね。

奪い合うのではなく与えあい、助け合う精神が発達していけば

テロも起きにくく、平和な国でいられると信じています。

世界に日本の助け合い精神がもっと広がれば世界ももっと

平和になれるでしょうね。

それではまた!

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息子のビフォー&アフター

2015-11-05 14:08:58 | 日記
私の息子は18年前に2000gの低体重児で生まれ、しかも心臓に異常が見つかり、暫く保育器の中で育てられました。お乳も私が毎日、乳牛のように絞り、それを冷凍して、病院に届けていました。

幸いにも心臓は手術しなくて、薬で回復しましたが、身体は痩せて、弱々しい赤ちゃんでしたね。
それでも0歳で保育園に預けられ、その中で揉まれ段々と元気になってきました。
リーダータイプではなく、周りを気遣いながら、ナンバー3ぐらいのポジションが好きだったみたい。

高校生になってからは勉強は完全に落ちこぼれ、2年で退学になり、バイトと音楽活動に熱中しています。
ライブでは、ボーカルでMCやって
「オマエラ、ついてきてるか‼︎」とか
檄を飛ばしているらしいです。
そんな姿見たこともないし、想像も出来ないですけど。

本当に赤ちゃんの頃から見れば、逞しくなりました。
最近は母親の私に意見したり、生意気な盛りで、会話にも気を使います。

でももっと成長して大人になれば、親を労わるようになるでしょう。

どんな子でも私から生まれて来てくれ、色々と学ばせてくれ一緒に成長させてもらえるだけで幸せです。苦労もあるけれど、数え切れないほどの喜びも与えてくれました。
きっともうすぐ巣立っていくけど、思い切り彼の人生を生き抜いて欲しいですね。
大介、ありがとう。


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どうしても解りあえない時

2015-10-09 09:42:51 | 日記
自分がすごく大切にしている人とケンカになる事ってよくありますよね。ケンカの原因は些細な事。でもそれに対してお互いの解釈が全く異なり、どんなに自分の正当性を主張しても、相手も負けじと同じように主張してくるので、いつまでも平行線のままただお互いを傷つけ合うだけ。

とても不毛で心も疲れ果て消耗してしまいます。

解決策はどちらかが大人になって許容範囲を広げ、相手を受け止める事でしょうが、簡単ではありません。
それが出来りゃ苦労はしないし、戦争もおこりません。

物事の解釈の違いは、生まれた環境にもよるし、お互いの精神の習熟度、価値観の違いなどから起こる摩擦ですから、あまりにも激しい摩擦は火花が散って大火事になりかねません。

そんな時私はどうするかというと
一旦相手に自分の中で死んで頂きます。事故でも、病気でも自殺でもなんでもいいです。
そしてその時の感情をどんどんイメージしていくのです。最初は少し清々して、でもじわーっと浮かんで来るのは相手の笑顔だったり、助けてくれた事だったり、一生懸命に生きている姿だったり。

大切な人が本当に死んでしまった時って思い出すのはその人の優しい人間的な部分なので、寂しくて、泣けてしまいます。
そして、思わず、私ももっと優しく理解してあげれば良かったって、後悔したりします。

そんな状況をケンカ相手に当てはめて想像していくと、だんだん相手の事が愛おしく、可哀想になって、自分も言いすぎたって気持ちになるのです。
そうやって心を広げて相手を受け入れるように努力しているのです。
だって我が強く、心の狭い私はそこまでしないと相手を許せないから。

これも人生の修行、苦行ですね。
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