立川の踊る中幸年ブログ

立川自身の人生経験から色んな気付きをシェアして

私とまわりの人の幸せを追求して共に進化していきたいのです

愛する湯布院が被災地に。

2016-04-30 20:11:54 | 日記

立川です。

熊本、大分で震災が起きている困難な時期に私の親戚の叔母ちゃんが

亡くなってしまい由布市の湯布院に戻っていました。

叔母ちゃんの長男家族は避難していたり、

次男家族の家は壊れて私の実家に駆け込んできたり

みんな大変な想いをしていました。

毎日たびたび起こる地震におびえながらも遺族は、お通夜、葬儀の

打ち合わせをし、斎場に亡骸を移動したのですが、その斎場もかなりの被害を

受けていて、あちこち壁や地面に割れ目が見えていました。

読経の後、お寺の和尚さんのお話しで知ったのですが、お寺そのものも大打撃を受け

寺に入ることも出来ず、和尚さん達はテントの中でしばらく生活されていたようです。

そんな中、本当に多くの人々が弔問に参列してくれ、変な話ですが

斎場はとても賑やかでした。

湯布院にある火葬場も地震で使えなく、隣町の火葬場を使うことになりました。

火葬はちゃんとできたのですが、先祖代々の墓が破壊され、骨壺から骨が飛び出し

どのご先祖の骨かわからなくなってしまったようで、叔母ちゃんの遺骨もどうしたものかと

遺族は途方に暮れています。

本当に何から何まで大変でしたが、何とか葬儀も終わり

ちょっと時間があったので湯布院の街を歩いてみました。

多くの家の屋根や瓦にブルーシートが張られているのが目立っていました。

そして、いつもたくさんの観光客でごった返す湯布院のメイン通りは

ほとんど歩いている人がいない初めて見る奇妙な光景でした。

それでも、食事処やカフェ、ミュージアム、旅館の多くは

客もいないのに、気持ちだけは明るくと、健気に働いていました。

売り上げもなく、いつ回復するかの見通しも立たず、本当に苦しい胸の内でしょう。

でも、どの店も同じ状況なので、みんなで励ましあい、困難を笑い飛ばし

時々来てくれる観光客の温かい言葉に感動したりしながら

この試練を乗り越えていくしかないのでしょうね。

被災者にはなりたくはないけれど、被災したことで確実に

強くなり、優しくなれ、価値観も変わるでしょう。

今までぬるま湯の中にいて、変わりたくても変われなかった人も

変わらざるを得ないことも多く、災害は人を強く成長させる

特効薬なのかもしれません。

生きて前を向いてさえいれば、今までは何も感じることのなかった

ささやかなことにも感動できるようになり、それって幸せな気づきだと思います。

日本は自然災害が多発する国です。あらゆる地域で様々な災害が起き

本当にたくさんの人々が被災者を経験して、だからこそ、

精神的にも強く、助け合いの精神がどの国よりも発達しているのだと思います。

熊本、大分の人々が立ち直った時、今度は違う地域で起きた災害被災者を

助けたいと思うようになり、そんな心と心の循環が国民性となり

世界の人々から称賛される所以だと思います。

世界に目を向ければ、人が人を殺すテロ行為が憎しみの連鎖を生み出し

これほど悲しいことはありませんよね。

奪い合うのではなく与えあい、助け合う精神が発達していけば

テロも起きにくく、平和な国でいられると信じています。

世界に日本の助け合い精神がもっと広がれば世界ももっと

平和になれるでしょうね。

それではまた!