ひろじいのエッセイ(葦のずいから世の中を覗く)

社会と個人の関係という視点から、自分流に世の中を見ると、どう見えるか。それをエッセイ風にまとめ、ときには提案します。

人物破壊-誰が小沢一郎を殺すのか- ウォルフレン 角川文庫

2013年02月21日 | 読書日記
人物破壊-誰が小沢一郎を殺すのか- ウォルフレン 井上実訳 角川文庫
 小沢一郎が嫌いという人は多い。一時は私も同様に、彼のことを駆け引きがうまく、人をまとめていく力もあるが、その時々の情勢で、自分で作った組織を壊して別の組織に乗り換えるといった行動を続ける、豪腕の壊し屋だと思っていた。彼の政治理論はもっともであるけれども、それは政治家なら誰でも本の1冊くらい書いて自己の所信を述べるのと変わりなく、メディアから得る情報に関する限り、印象はあまり良くなかった。
 しかし、このウォルフレンの本を読んで、その印象が逆になった。ウォルフレンは日本通として知られるオランダのジャーナリストで、官僚国家日本を批判した「日本/権力構造の謎」が有名である。彼は検察とメディアが組んで小沢一郎に対する「人物破壊」を行っていると分析している。
 人物破壊とは、政界や学会でライバルや自分にとって厄介な人物の世評を貶める手段で、欧米ではしばしば使われる表現である。狙いを定めた人物の評判を悪くする手段は多岐にわたっているが、たとえば、中傷はごく一般的な手法である。相手に対し長期にわたって中傷が加えられ続ければ、その人物は自然に悪者扱いされるようになる。そして世間はその人物に対して冷たい視線を向け、少しでも悪い評判が立てば、誰もが簡単にそれを本当だと信じるようになる。
 検察とメディアが手を組めば、この種の仕事はそうむずかしいことではない。通常メディア側は、検察、警察関連の取材が簡単ではなく、当局から情報提供を受けないと記事が書けない。記者は多くの場合検察、警察のレクチャーをそのまま記事にする。ここに検察とメディアが癒着する構造ができ、検察がやろうと思えば、かなり世論を誘導できるようになる。
 検察は小沢一郎を標的にした。政治献金にかかわる虚偽記載を取り上げて検挙しようとしたが、嫌疑不十分で不起訴にせざるをえなくなると、次には、検察審査会を使って強制起訴した。これまで検察審査会が手がけてきたのは、道交法違反とか詐欺などの案件で、小沢は同審査会の起訴決議に基づいて起訴された初めての政治家である。
 政治家なら誰でもやっているような、いわば微罪を取り上げて仰々しく騒ぎ立てたのだ。この程度の罪で有罪にしていたら、国会議員の半分は検挙され、国会は成りたたなくなる、とある議員が言ったそうだが、全くその通りだろう。
 なぜ、検察はいったん不起訴になった人物を執拗に追いまわし、メディアは騒ぎ立てるのか。2009年の選挙で民主党の勝利は少し前から予想されていた。そうなれば、小沢が首相になるのは明らかである。小沢が首相になっては困る人々が彼を貶める側にまわった。
 そういう人々のなかでまず挙げるべきは、旧態依然とした日本の政治システムを維持しようとする勢力である。小沢はその非凡な能力ゆえに、強力な日本のリーダーになる可能性があり、小沢を脅威と感じる連中は、隙あらば小沢を叩き抹殺しようとする。
 これは、強いリーダーを好まない日本社会の体質にもよっている。長い歴史の中で、「和をもって貴しとなす」という気風が出来上がり、皆で協調ないし談合しつつ社会運営をしてきたので、強力な指導者が牽引する必要がなかったし、そういうことを好まなかった。
 次に挙げるべきは、アメリカの日本担当官僚や政策立案者たちである。彼らが反米的な思想の持ち主を貶めようとするのは当然で、親米でない小沢の足を引っ張るよう仕組んだという疑いはぬぐいきれない。
 もう一つつけ加えるならば、長年にわたって小沢を批判してきた検察とメディア(体制側勢力)は、彼が首相になったら報復するのではないかと恐れたということも挙げられる。
 以上が私なりにこの本から読み取った情報の要約である。文庫本1冊を自分流の解釈でまとめているので、著者の意図を忠実に写していないかもしれないが、大筋では間違いないと思っている。
 著者に一つ注文がある。これは欧米人の著書に共通する問題点だが、一つのテーマについて表現を変えてああ言ってみたり、こう言ってみたりと長々文章が続くのにときどき閉口する。もっと核心をついてズバリ言うべきだ。
 ただし、訳文はこなれていて読みやすかった。

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