恥と恥じらい
アメリカのコロラド州立大学で日本語教育の手伝いをした時に、日本語上級クラスでこんな経験をした。テキストに日本の大学生の会話が出てきて、そのなかに次のようなやりとりがある。
「さっきの君のレポート発表、なかなかよかったね。よく調べているし、まとめ方もい
い。話し方がうまいのにも感心したよ」
「そんなにほめられると、てれちゃうなあ」
ところが、この「てれる」という心理がアメリカ人の学生にはよく理解できない。日本語の教授が苦労して説明して、どうにか分かったようだが、なんとなくまだ不審顔である。
どうしてそうなるかといえば、一般にアメリカ人は、他人にほめられたら、すなおに「ありがとう」と言うことが多く、日本人のように謙遜して「いや、私なんかまだまだですよ」などと言ったり、照れ隠しに笑ったりすることはないからであろう。
これも国民性ないし文化の違いといえる。もちろん、アメリカ人にもみんなの前で賞賛されてちょっと当惑した(embarrassed) とか、子どもや若い女性が人前に出ることを恥ずかしがる(be shy)とかこれと似た感情はあるけれども、ここでいう「てれる」とは微妙に差異がある。
私もこれと似たような経験をドイツでしたことがある。ミュンヘン滞在中に通っていたドイツ語学校の初級クラスで学期終了時のパーティをすることになり、先生が私にバイオリンを弾けという。みんなの前で演奏するほどの腕前ではないから恥ずかしいと言ったが、「別に悪いことをするわけじゃなし、なんで恥ずかしいの」と理解されず、結局弾かされてしまった。
話は少し飛ぶけれども、2012年のロンドン・オリンピックのバドミントン女子ダブルスで銀メダルを取った垣岩令佳・藤井瑞希のペアにインタービューした記事が新聞にのった。垣岩は温泉好きでよく行くらしいが、「温泉でもよく声をかけられます。めっちゃ恥ずかしいですけど」と言っていた(2012・9・18朝日夕刊)
声をかける人には賞賛の気持ちがあるはずで、それを感じた当人が「恥ずかしい」というのも、日本人独特だ。
われわれは「恥ずかしい」という言葉を倫理・道徳的に不名誉なことをしたときにも使うし、何か面はゆいと感じたときにも使う。英語のshame(恥)は道徳にもとる行為についてだけ使われる。欧米人の恥とわれわれの恥は、意味内容が少し食い違っているようだ。
この問題を分析しようとすると意外に根が深く、一筋縄ではいかない。ルース・べネディクトは欧米の文化は罪の文化、日本の文化は恥の文化と言ったけれども、そのあたりと関係があるように思われる。しかし、まだ考察が十分でないので、もう少し時間をかけて考えをまとめ、その2として発表したい。
アメリカのコロラド州立大学で日本語教育の手伝いをした時に、日本語上級クラスでこんな経験をした。テキストに日本の大学生の会話が出てきて、そのなかに次のようなやりとりがある。
「さっきの君のレポート発表、なかなかよかったね。よく調べているし、まとめ方もい
い。話し方がうまいのにも感心したよ」
「そんなにほめられると、てれちゃうなあ」
ところが、この「てれる」という心理がアメリカ人の学生にはよく理解できない。日本語の教授が苦労して説明して、どうにか分かったようだが、なんとなくまだ不審顔である。
どうしてそうなるかといえば、一般にアメリカ人は、他人にほめられたら、すなおに「ありがとう」と言うことが多く、日本人のように謙遜して「いや、私なんかまだまだですよ」などと言ったり、照れ隠しに笑ったりすることはないからであろう。
これも国民性ないし文化の違いといえる。もちろん、アメリカ人にもみんなの前で賞賛されてちょっと当惑した(embarrassed) とか、子どもや若い女性が人前に出ることを恥ずかしがる(be shy)とかこれと似た感情はあるけれども、ここでいう「てれる」とは微妙に差異がある。
私もこれと似たような経験をドイツでしたことがある。ミュンヘン滞在中に通っていたドイツ語学校の初級クラスで学期終了時のパーティをすることになり、先生が私にバイオリンを弾けという。みんなの前で演奏するほどの腕前ではないから恥ずかしいと言ったが、「別に悪いことをするわけじゃなし、なんで恥ずかしいの」と理解されず、結局弾かされてしまった。
話は少し飛ぶけれども、2012年のロンドン・オリンピックのバドミントン女子ダブルスで銀メダルを取った垣岩令佳・藤井瑞希のペアにインタービューした記事が新聞にのった。垣岩は温泉好きでよく行くらしいが、「温泉でもよく声をかけられます。めっちゃ恥ずかしいですけど」と言っていた(2012・9・18朝日夕刊)
声をかける人には賞賛の気持ちがあるはずで、それを感じた当人が「恥ずかしい」というのも、日本人独特だ。
われわれは「恥ずかしい」という言葉を倫理・道徳的に不名誉なことをしたときにも使うし、何か面はゆいと感じたときにも使う。英語のshame(恥)は道徳にもとる行為についてだけ使われる。欧米人の恥とわれわれの恥は、意味内容が少し食い違っているようだ。
この問題を分析しようとすると意外に根が深く、一筋縄ではいかない。ルース・べネディクトは欧米の文化は罪の文化、日本の文化は恥の文化と言ったけれども、そのあたりと関係があるように思われる。しかし、まだ考察が十分でないので、もう少し時間をかけて考えをまとめ、その2として発表したい。