若い人と派遣労働
「労働者派遣法」が改正され、9月30日から施行される(9月12日東京新聞朝刊)。改正法は、これまで最長3年となっていた同じ職場での派遣受け入れ期間の制限をなくし、人を替えれば派遣を使い続けられるようにした。派遣社員として働いていた人は、3年以上同じ職場には居られなくなって、別の職場を探さなければならない。
採決前の国会討議でも「改正案は正社員になりにくくなり、一生派遣の若者が増える。女性に多い専門業務(通訳など)は3年で雇い止めになる。安倍首相の政治は弱い者いじめだ」と批判された。批判的論調はこのほかにもあまたある。それにもかかわらず政府が強行するのは、経団連などの経済団体とその傘下にいる企業が強く望んでいるからである。
企業はコストをさげたいから派遣を多用する。昔はこうではなかった。私が勤務していた電機メーカーでは、約30年前の1980年代には、東京の本社や都内に散在する事務所、技術センターなどの補助職として、短大新卒者を毎年500人前後正社員としていた採用していた。
だが、今はほとんど採用していない。コンピュータ・システムによる大幅な省人化が可能になったからである。もちろん、まだコンピュータ化できていない補助的な仕事も一部残っているが、それは派遣社員がこなすので、補助職正社員の新規採用が激減したのだ。
こういう実態は工場でも同じである。昔生産ラインにはりついていた作業者は自動化によってほとんど姿を消し、昔と変わらないのは、製品設計や自動化設計を担当する技術者と工場内で掃除、雑役などの仕事をする作業者である。しかも掃除、雑役などは派遣社員に依存している。
いわゆる中間職は日本の企業から姿を消しつつある。中間職というのは、半年やそこらで仕事を覚えられるような単純労働でもなく、高度の知識・技術や熟練が必要な仕事でもない、中間的な仕事である。
高度の知識・技術を要する仕事は能力的に無理でも中間職ならこなせる若者も、今はそれも少ないので、単純労働の派遣をするしかない。昔なら中間職であっても、仕事に必要な知識・技術、あるいは仕事を進める手順や段取りを覚え、職場の人々と円満に仕事を進める人間関係術を身につけていけたが、その機会も失われつつある。
いったん派遣労働に身を置くと、仕事に必要な知識・技術を身につけられず次の雇用機会もまた派遣になって、一生派遣が続くことになりかねない。
それでも、企業はコスト重視だから安上がりの派遣で間に合う仕事に正社員をつけることはしないだろう。労働の需給関係を変えないで雇用だけ変えようとしてもうまくいかない。この種の企業行動は法律で規制しようとしても、抜け道が考え出される。
そもそも、派遣社員と正社員はどこが違うのだろうか。第一に賃金が違う。身分保障(簡単には解雇されない)や福利厚生も正社員に手厚い。昔は中間職がたくさんあったから、企業は良質の労働力を確保するために、新規学校卒業者を採用して手間暇かけて育成した。社員側も育成を受けている半人前のときにやめるのは、本人の損失だから簡単にはやめない。
30年ほど前からこのような雇用慣行が一気に崩れたのは、今述べた技術革新による省人化と、もう一つ製造業の海外移転のためである。この二つによって消費者は低価格の商品を手に入れることができるようになった反面、生産、販売の単純労働に従事する労働者の低賃金と技能未習熟を招いている。
この国会ではもう一つ「同一労働同一賃金推進法」という、注目すべきだが生煮えの法が成立した。「同じ労働ならば同じ賃金を支払う」ことを推進し、正社員と派遣社員との賃金格差の解消を狙っているが、事業主には努力義務を求めるだけで、強制力には乏しい。
この問題を論議するためには、同一労働とは何かということをはっきりさせる必要がある。仮に正社員Aと派遣社員Bの二人が見た目は同じ仕事に従事しているとしよう。しかし、そこだけを見てこの二人の仕事を同じ仕事と決めつけてはいけない。
機械が故障した、部品が足りなくなったといった緊急時に対応ができるのは、普通は正社員のほうである。かつては正社員が一つの仕事を覚えると、管理者は別の仕事にまわし、次々と仕事を変えて数種類の仕事を覚えさせ、いわゆる多能工を育てた。
誰かが病気で欠勤しても、多能工がいればすぐ代わりに仕事ができる。職場に新人が入ってくれば、その指導もする。資材の入手、出荷日程の調整などで他職場と交渉することもあるだろう。ある日ある時の仕事が同じであっても、二人の仕事は同一労働とはいえない。
ある派遣社員の女性がこんなことを言っていた。「職場に高卒の新人が入ってきたけれど、右も左も分からないから、私が仕事を教えています。それなのに給料は新人のほうが高いのです。こんな矛盾したことがありますか」
これも見た目でした判断である。企業は賃金を仕事の内容だけでなく、世間相場、労働能力、期待度(将来どれほど仕事の能力を伸ばせるか)などを総合勘案して決めている。これらの要素の中で、最も大きな要素になるのは世間相場であろう。
将来の監督職、管理職、技術職などにあてる人材が必要な企業は、通常、新規学校卒業者の中から選考して正社員として採用する。賃金は、いくら仕事ができない新人でも、学歴別に出来上がっている初任給相場を支払うのである。
よく欧米では同一労働同一賃金なのに、どうして日本はそうでないのか、という疑問を耳にする。これは欧米と日本では、雇用の仕方、賃金相場の成り立ちがまったく違うからである。
欧米の雇用では仕事を提示してそれができる人を雇う。面接の時に「できます」といって採用されて、実際には十分できなかったら即刻解雇される。賃金は、こういう仕事ならいくらと職種別に世間相場ができている。雇った企業が大企業か中小かはあまり関係がない。
また欧米では企業内で人材を育成することは原則としてない。仕事の能力を身につけるのは本人の責任で、先輩社員や上司が手間暇かけて育成はしてくれない。
また企業内では一旦雇い入れれば、その仕事につけたままで、本人の能力が上がっても上級の職に就けることはあまりない。上級の職にはすでに相応の人が就いている。日本の企業のように「彼もかなり能力をつけてきたから上級の仕事をあてがうか」というような配慮はないのである。
欧米では、自分の給料を上げたかったら、会社をやめて社外で仕事を探すか、社内で上級のポストが空いたときに「その仕事私にやらせてください」と挑戦し、上司の評価を受けてそのポストに上がるか、どちらかである。
欧米でも仕事の情報化、電子化によってして職務内容が変動することも多いから、必ずしもこの通りではないにしても、育成とか昇進は基本的にこのパターンである。こういう労働事情だから同一労働同一賃金がなり立つ、というよりも同一労働同一賃金でなかったら、労働市場が混乱して、採用も就職もうまくいかなくなってしまう。
だから日本では、同一労働のように見えてもそうでないことが多く、仮に同一労働であっても、正社員には将来更に上級の仕事についてもらうという期待が込められているから賃金が高くなる。
実は今から50年くらい前に、どこの会社で働いても仕事が同じなら賃金も同じという横断的な労働市場がなぜ日本でできないか、という議論が労働組合団体、企業の人事担当者、労務管理を研究する学者の間で盛んにおこなわれた。しかし、それは日本企業の労務管理が上述のように欧米企業と違うことや、日本企業の著しい躍進によって日本型経営が絶賛されたことによって、沙汰止みになった。
「同一労働同一賃金推進法」は、そのような過去の歴史も踏まえず、中間職減少への危機感もなしに成立させた一時しのぎのように見える。
「労働者派遣法」が改正され、9月30日から施行される(9月12日東京新聞朝刊)。改正法は、これまで最長3年となっていた同じ職場での派遣受け入れ期間の制限をなくし、人を替えれば派遣を使い続けられるようにした。派遣社員として働いていた人は、3年以上同じ職場には居られなくなって、別の職場を探さなければならない。
採決前の国会討議でも「改正案は正社員になりにくくなり、一生派遣の若者が増える。女性に多い専門業務(通訳など)は3年で雇い止めになる。安倍首相の政治は弱い者いじめだ」と批判された。批判的論調はこのほかにもあまたある。それにもかかわらず政府が強行するのは、経団連などの経済団体とその傘下にいる企業が強く望んでいるからである。
企業はコストをさげたいから派遣を多用する。昔はこうではなかった。私が勤務していた電機メーカーでは、約30年前の1980年代には、東京の本社や都内に散在する事務所、技術センターなどの補助職として、短大新卒者を毎年500人前後正社員としていた採用していた。
だが、今はほとんど採用していない。コンピュータ・システムによる大幅な省人化が可能になったからである。もちろん、まだコンピュータ化できていない補助的な仕事も一部残っているが、それは派遣社員がこなすので、補助職正社員の新規採用が激減したのだ。
こういう実態は工場でも同じである。昔生産ラインにはりついていた作業者は自動化によってほとんど姿を消し、昔と変わらないのは、製品設計や自動化設計を担当する技術者と工場内で掃除、雑役などの仕事をする作業者である。しかも掃除、雑役などは派遣社員に依存している。
いわゆる中間職は日本の企業から姿を消しつつある。中間職というのは、半年やそこらで仕事を覚えられるような単純労働でもなく、高度の知識・技術や熟練が必要な仕事でもない、中間的な仕事である。
高度の知識・技術を要する仕事は能力的に無理でも中間職ならこなせる若者も、今はそれも少ないので、単純労働の派遣をするしかない。昔なら中間職であっても、仕事に必要な知識・技術、あるいは仕事を進める手順や段取りを覚え、職場の人々と円満に仕事を進める人間関係術を身につけていけたが、その機会も失われつつある。
いったん派遣労働に身を置くと、仕事に必要な知識・技術を身につけられず次の雇用機会もまた派遣になって、一生派遣が続くことになりかねない。
それでも、企業はコスト重視だから安上がりの派遣で間に合う仕事に正社員をつけることはしないだろう。労働の需給関係を変えないで雇用だけ変えようとしてもうまくいかない。この種の企業行動は法律で規制しようとしても、抜け道が考え出される。
そもそも、派遣社員と正社員はどこが違うのだろうか。第一に賃金が違う。身分保障(簡単には解雇されない)や福利厚生も正社員に手厚い。昔は中間職がたくさんあったから、企業は良質の労働力を確保するために、新規学校卒業者を採用して手間暇かけて育成した。社員側も育成を受けている半人前のときにやめるのは、本人の損失だから簡単にはやめない。
30年ほど前からこのような雇用慣行が一気に崩れたのは、今述べた技術革新による省人化と、もう一つ製造業の海外移転のためである。この二つによって消費者は低価格の商品を手に入れることができるようになった反面、生産、販売の単純労働に従事する労働者の低賃金と技能未習熟を招いている。
この国会ではもう一つ「同一労働同一賃金推進法」という、注目すべきだが生煮えの法が成立した。「同じ労働ならば同じ賃金を支払う」ことを推進し、正社員と派遣社員との賃金格差の解消を狙っているが、事業主には努力義務を求めるだけで、強制力には乏しい。
この問題を論議するためには、同一労働とは何かということをはっきりさせる必要がある。仮に正社員Aと派遣社員Bの二人が見た目は同じ仕事に従事しているとしよう。しかし、そこだけを見てこの二人の仕事を同じ仕事と決めつけてはいけない。
機械が故障した、部品が足りなくなったといった緊急時に対応ができるのは、普通は正社員のほうである。かつては正社員が一つの仕事を覚えると、管理者は別の仕事にまわし、次々と仕事を変えて数種類の仕事を覚えさせ、いわゆる多能工を育てた。
誰かが病気で欠勤しても、多能工がいればすぐ代わりに仕事ができる。職場に新人が入ってくれば、その指導もする。資材の入手、出荷日程の調整などで他職場と交渉することもあるだろう。ある日ある時の仕事が同じであっても、二人の仕事は同一労働とはいえない。
ある派遣社員の女性がこんなことを言っていた。「職場に高卒の新人が入ってきたけれど、右も左も分からないから、私が仕事を教えています。それなのに給料は新人のほうが高いのです。こんな矛盾したことがありますか」
これも見た目でした判断である。企業は賃金を仕事の内容だけでなく、世間相場、労働能力、期待度(将来どれほど仕事の能力を伸ばせるか)などを総合勘案して決めている。これらの要素の中で、最も大きな要素になるのは世間相場であろう。
将来の監督職、管理職、技術職などにあてる人材が必要な企業は、通常、新規学校卒業者の中から選考して正社員として採用する。賃金は、いくら仕事ができない新人でも、学歴別に出来上がっている初任給相場を支払うのである。
よく欧米では同一労働同一賃金なのに、どうして日本はそうでないのか、という疑問を耳にする。これは欧米と日本では、雇用の仕方、賃金相場の成り立ちがまったく違うからである。
欧米の雇用では仕事を提示してそれができる人を雇う。面接の時に「できます」といって採用されて、実際には十分できなかったら即刻解雇される。賃金は、こういう仕事ならいくらと職種別に世間相場ができている。雇った企業が大企業か中小かはあまり関係がない。
また欧米では企業内で人材を育成することは原則としてない。仕事の能力を身につけるのは本人の責任で、先輩社員や上司が手間暇かけて育成はしてくれない。
また企業内では一旦雇い入れれば、その仕事につけたままで、本人の能力が上がっても上級の職に就けることはあまりない。上級の職にはすでに相応の人が就いている。日本の企業のように「彼もかなり能力をつけてきたから上級の仕事をあてがうか」というような配慮はないのである。
欧米では、自分の給料を上げたかったら、会社をやめて社外で仕事を探すか、社内で上級のポストが空いたときに「その仕事私にやらせてください」と挑戦し、上司の評価を受けてそのポストに上がるか、どちらかである。
欧米でも仕事の情報化、電子化によってして職務内容が変動することも多いから、必ずしもこの通りではないにしても、育成とか昇進は基本的にこのパターンである。こういう労働事情だから同一労働同一賃金がなり立つ、というよりも同一労働同一賃金でなかったら、労働市場が混乱して、採用も就職もうまくいかなくなってしまう。
だから日本では、同一労働のように見えてもそうでないことが多く、仮に同一労働であっても、正社員には将来更に上級の仕事についてもらうという期待が込められているから賃金が高くなる。
実は今から50年くらい前に、どこの会社で働いても仕事が同じなら賃金も同じという横断的な労働市場がなぜ日本でできないか、という議論が労働組合団体、企業の人事担当者、労務管理を研究する学者の間で盛んにおこなわれた。しかし、それは日本企業の労務管理が上述のように欧米企業と違うことや、日本企業の著しい躍進によって日本型経営が絶賛されたことによって、沙汰止みになった。
「同一労働同一賃金推進法」は、そのような過去の歴史も踏まえず、中間職減少への危機感もなしに成立させた一時しのぎのように見える。