チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

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プッチーニ「蝶々夫人」に出てくる日本の歌と田邊尚雄

2014-09-27 15:54:16 | 蝶々夫人

プッチーニに日本の歌の楽譜を送ってあげたという音楽学者田邊尚雄氏(1883-1984)ご本人がプッチーニとのやりとりについて書かれていました。(音楽之友昭和25年12月号)

「一体何うしてプッチニから私に手紙が来たのかというと、その頃徳川頼貞(※1)さんがイタリーへ漫遊された時にプッチニに逢い、談隅々『お蝶夫人』のことに及び、プッチニは徳川さんに『此のオペラは日本音楽の旋律を採り入れたが、今から考えて見ると失敗であったと思う。それは当時は日本音楽の神髄を知らなかったからだ』と話されたという。それで『これから後に東洋の材料を用いて新しいオペラを作る場合には、東洋音楽に精通された人に相談をして、充分な資料を提供してもらいたい。頂度今一つ新らしい東洋のオペラを作って居るから(※2)、誰か然るべき学者を紹介してもらいたい』ということであった。徳川さんは『それには幸い私の友人に田邊尚雄という東洋音楽の研究家がいるから、此の人を紹介しよう。早速私から手紙を出して東洋音楽の楽譜を送ってもらうようにします』と答えられたら、プッチニも非常に之を喜ばれたという。

 そこで徳川さんから早速私に手紙が来て、『之々の理由でプッチニへ至急東洋音楽の代表的なものの楽譜を成るべく沢山送ってもらいたい』という依頼であったので、私は大至急に日本の雅楽や中国音楽の代表的なものの楽譜を取敢えず二十曲ばかり纏めて別封として送り、別に之等の曲の解説を英文で認めて書状にて封じて送った。そこで前記の如くその返状としてプッチニから私にあてて手紙が来た次第なのである。

(註 楽譜はスパイの手紙と間違われ、遂にプッチーニの東洋オペラは再現出来なかった。)

田邊尚雄」


※1 徳川頼貞(1892-1954) 音楽学者。
※2 トゥーランドットのことではないのか?

このブログの記事「蝶々夫人」に続く日本オペラ第2弾?(実現せず)では「蝶々夫人」に日本の歌が出てくるのは田邊氏が楽譜を送ってあげていたためと書きましたが、実はそうではないようですね。プッチーニは一体どうやって日本の歌を知ることになったのでしょうか。

(追記)音楽之友社『学生の音楽事典』(昭和32年発行)の「お蝶夫人」の項には、「プッチーニは駐伊公使、大山綱介夫人から、日本に関する材料を入手し、オペラの中に「君が代」「越後獅子」「さくらさくら」「かっぽれ」「元禄花見踊り」「宮さん宮さん」などの旋律を入れている」、とあります。

 

↑ 三浦環(1884-1946)の蝶々さん。カワイイ!昭和11年歌舞伎座にて



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