チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

群馬交響楽団発足(1946年『群馬県音楽の歩み』より)

2015-02-25 21:34:36 | 日本の音楽家

地方オーケストラの雄、というより、もはや日本を代表するオーケストラの一つである群馬交響楽団!

自分も映画「ここに泉あり」を見てから群響により親しみを覚えるようになりましたが、たまたま、先日『群馬県音楽の歩み』(1965年発行、後藤重樹・山田直次郎ほか著 みやま文庫)を読んだら群響設立のことがちょっとだけ書いてありました。

↑ 左に指が見えるから人間ということはわかるけど、いったいこれは何なんです!? Mamoru Kanoさんてば

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群馬交響楽団が高崎に発足したのは昭和21年(1946年)の8月で、アマチュアの音楽愛好家が集まって合奏を楽しみ、井上房一郎氏(いのうえ ふさいちろう、1898-1993)、丸山勝広氏(1914-1992)等の努力が実を結び、音楽教室を開くまでに発展し、現在では押しもおされもしない日本の群響となったのである。
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群響も最初は映画のとおりアマチュアの集まりだったんですね。それがこんな立派なオーケストラに!

その映画「ここに泉あり」についても書かれていました。

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全国音楽教育研究大会が、群馬県で開かれる時に封切りできればと、群馬交響楽団の方々、後援会、音楽関係者、高崎市民の皆様の希望もむなしく、1955年2月12日に封切りとなったのである。

この映画は本県唯一の群馬フィルハーモニーの苦闘を材料にはしているが、楽団も、個人も、事実そのままではなく、全然新しく創作されたものである。しかし本県出身の市川喜一氏が製作に加わり、井田亀夫になった小林桂樹氏は、前橋市桃井小学校から前橋中学校に進んだ群馬県出身者で、「ここに泉あり」を一層引き立たせたように思われた。

他府県で開かれた音楽研究会に出席すると必ず、「ここに泉ありの群馬フィルハーモニーはどうしていますか」と尋ねられる。そのように全国の人々が注目していることを思うと、いやが上にも盛り立てていかなけらばならない義務があるのではなかろうか。
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実像と虚像の間で群響は一躍有名になったんですね。


↑ 人数少なっ。モーツァルトか何か? 35人しかいません。

会場の「群馬音楽センター」は現在の群響ホームページの写真と変わりないですね。

1961年完成ということなので築半世紀を越えてますが、きっと熟した、カツンとしたいい音してるんでしょうね。一回ここで群響を聞いてみたい!