goo blog サービス終了のお知らせ 

チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

日本最古(?)の洋楽の太鼓譜(ヤッパンマルス、1868年)

2016-07-22 22:56:47 | メモ

『音楽現代』1971年8月号に「慶応年間の太鼓譜見つかる」という記事がありました。

↑ 太鼓譜の表紙。

↑ 古代文字みたい。左下には「ヤッハンマルス」「ヤッハンヲワリ」というカタカナが見えます。



宗像喜代次氏による文章を要約します。

-------

日本で最も古いと思われる洋楽の太鼓譜が福島県史の編纂の過程で発見された。それは「ヤッパン・マルス」というもの。つまりこれは「日本行進曲」という意味であろうか。慶応4年のものである。

当時西洋式の軍隊がいかに合理的なものかと感じていた薩長の武士は、洋式軍事訓練を行う場合どうしても洋式の軍楽隊を必要としたし、行進曲も必要としたことは当然である。

ここに発見された太鼓譜は慶応3年1月から六ヶ月間、福島県の須賀川にあった横田藩の下級武士が江戸でヤッパン・マルスを習得し太鼓二つを持ち帰ったという記録である。この下級武士の名は「岩谷愛造朝明」といい、このヤッパン・マルスのことが出ている古文書は「岩谷愛造朝明横田領溝口家江被 召出侯次第」という。

-------

↑ よくわからないけど岩谷愛造(蔵?)さんがヤッパン・マルスを習ったということが書いてあるらしいです。

 

。。。上の太鼓譜は現在では解読されているんでしょうか?日本人初の洋楽パーカッショニストかもしれない岩谷さんがどんなふうに太鼓をたたいていたのか確かめたいです。


イタリーオペラ音楽団「イタリーの夕べ」(1925年、松本高等学校)

2016-06-18 23:53:54 | メモ

昔の雑誌にコンサートのプログラムが挟まっていました。

大正14年(1925年)4月11日に松本高等学校講堂で催された「イタリーの夕べ」です(松本高等学校は信州大学の前身)。

出演はイタリーオペラ音楽団(Italian Opera Music Society)。昼の部と夜の部がありました。

 

↑ 「コンサート」の綴りが間違ってますね。

 



メンバーは
ソプラノ メリコニ嬢 Miss Meliconi
テノール ファウダ氏 Mr. Fauda
テノール カミサッシ氏 Mr. Camisassi
ヴァイオリン フサリオ氏 Mr. Fusario
ピアノ ロッシ氏 Mr. Rossi

↑ もとの持ち主のものと思われる書き込みが微笑ましいです。

。。。大正時代の末期にイタリアの曲をイタリア人の歌唱で聴けたなんてすごいですね。

しかしメンバーの名前をネットで検索しても、どんな人たちなのか全くわかりませんでした。くやしー

アマチュアなのか、プロなのか?

謎を解くには松本まで行ってこないとダメかもしれません。


野外オペラ「ローエングリン」(1959年、国立競技場)

2016-05-31 20:06:41 | メモ

今から57年前、国立競技場で「ローエングリン」が上演されていました。藤原歌劇団と二期会の共同公演。オーケストラは森正指揮ABC交響楽団。

1959年8月15日(土)午後6時30分から3時間にわたってスタンドを埋めた6万人の観衆を魅了したということです。

スタッフ及びキャストに関しては昭和音楽大学オペラ研究所オペラ情報センターのウェブページに詳しいです。


↑妹尾河童氏デザインのプログラム表紙。

 


↑第3幕第2場。馬事公苑、清風会、東急アバロン乗馬学校による騎馬隊。競馬みたい。装置は岡本太郎ですが、いかにもそれっぽいオブジェが見えます。

 


↑第一幕より。スヘルデ河畔

 


↑第3幕第1場、婚礼の場。小牧バレエ団による踊り。

 


↑同じく婚礼の場。「婚礼の合唱」に祝福されるけど花婿の騎士が誰だかわからず不安なエルザ(砂原美智子)。

 


↑騎士はフリードリヒを一撃で倒す


。。。画像を見る限りなんだかとってもパワフルな公演!日本人だけでよくここまでやりましたね。

(画像は『国際文化画報』1959年11月号より)


NHK『音楽の花ひらく』(1967年)と当時のFM番組

2016-05-22 00:36:02 | メモ

「グラフNHK」1967年4月号より、新登場の音楽公開番組「音楽の花ひらく」です。



司会は三橋達也。ピンク服の4人は解散半年前の元祖ジャニーズ。

出演は
山本直純(ピアノの前のヒゲの人)指揮東京ロイヤル・ポップス、
東京フィルハーモニー交響楽団、
中村八大クインテットのほかアマチュアの合唱団や子供たちも歌ったそうです。

放送時間は水曜日午後9時40分~10時30分、再放送は木曜日午後4時10分からでした。32回放送。

良くも悪しくもNHKらしい番組ですね。

「東京ロイヤル・ポップス」の母体は日本フィルなんでしょうか?
オーボエにこの方がいらっしゃいます。



ところでこの号のグラフNHKには当時のFM放送番組時刻表も載っています。
ステレオ番組が徐々に増えてきていた時代なんですね。


音楽雑誌『楽苑』1935年6月号より集合写真3点

2016-04-20 22:38:01 | メモ

古本屋で150円で買った戦前の音楽雑誌『楽苑(がくえん)』1935年6月号の表紙です。この時代の左から右への横書きってハイカラ?

監修は
小松耕輔(作曲家、1884-1966)
牛山充(音楽評論家、1884-1963)
津川主一(牧師、1896-1971)

エフレム・ジンバリストの「最近の」6回目の来日の様子などが書かれていて楽しいのですが、一番心ひかれたのは三つの集合写真でした。

1.原信子門下生発表会



「5月12日の夜日比谷公会堂で衣装つきで催された原信子女史門下の発表会に出た方々が当夜の扮装で記念撮影されたものです。中央に和服で立って居られるのが原信子女史で蝶々夫人のこしらへ、其他は椿姫の船越富美子嬢、ルチアの平林梅乃さん、エルザの矢追婦美子さん、ムガッタの鈴木末子さん、マルゲリータの和田英子さん、カルメンの宮崎好子さん、フィガロの森民樹氏、ピンカートンの金山穆氏です。」



2.救世軍参謀楽隊



「デイヴィスン中校の指揮する救世軍参謀楽隊でブラス・バンドとして異色ある存在を誇るものです。既に数回の演奏会によって宗教音楽界に見るべき進出を試み、前途に望みをかけられて居ります。」



3.東京シンフォニック・コーラス



「本誌編輯同人津川主一氏の指揮する東京シンフォニック・コーラスの最近の全員です。五月中旬より予報の如く関西、九州地方の演奏旅行に出かけ、6月8日7時半より第七回公演を神田駿河台YWCAで行うことになっております。」


。。。戦争でボロボロになる前の日本って、音楽的にも豊かだったんですね。各々の団体について情報を書き加えていきたいです。

裏表紙↓