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HIRO's Diary

上を向いて歩こう。前を向いて歩こう。
時には下も向いて小銭も拾おう(笑)。

実母

2006-05-08 23:13:49 | ジジ(父)・ババ(母)とhiroの日記
やっぱり、実母と相性が・・・と思うことも色々。

長女が来春小学校に行くのにあたって、
仕事のこと、その他色々と考え中。

手始め?に学童のことでご近所さんから情報を得てみると、
学童に入ってない子は集団下校になるらしいが、
学童の子は個別下校になるらしい。

決して遠い距離ではない。
でも、比較的大きな道路があって、物騒な世の中、
ちょっと不安もよぎった。

実母に学童に入れない方法も相談してみたら、
「実家に帰ることができんようになるから、預かってもらって」
との返事。

長女を学童に入れることについては、別に承知している。
ただ、事実上の同居に近い形をとっているので、
せめて安全にみんなで帰宅できる手段をとることは可能かと思って
実母に話をしてみたら、そういう返事。

養ってもらったかも知れないが、今は私らで両親を養っている。
実父のことにしても、ほとんどを「わからんから~」と
私に任せているのに、やっぱり実母には通じないらしい。

私が疲労感たまっているので、実家への送迎は・・・と言っても、
「用事があるから」と私の送迎は当たり前のようだった。
私が昨日、捻挫状態でも実家へ戻る予定を変更はしなかった。
今昼になって、頻回になるからと中止にしてくれた。
(元々、今日・金曜日・次日曜日・次水曜日で、
往復3時間近い実家送迎の予定が入っていた。今日以外はすべて仕事終了後の話。)

私が行くのがしんどいと言っても、
「ババも○○せなあかんから、実家に帰らんと困る」
これですべて終わり。
実母にとって、私が動くことは普通のことなのだとしか私には思えない。

確かに、実父の運転を止めた背景には、私の言葉があったからだけど、
認知症の実父が運転して事故を起こすよりマシだろう。
そうなったら、自分(実母)が動く代わりに私が動いて当然なのだ。

両親の協力が得られるなら、みんなの通う幼稚園でも可能だった。
でも、親は私らで、ジジ・ババに頼むわけにはいかないと、
保育所のままでやってきた。

長女の面倒をみるのは、長女の保育所が休み&私ら夫婦が仕事のとき
そのスタンスは実母は変わらないらしい。

だったら、
今のまま同居している私も苦しいのだが・・・、
それを言うこともできない。

実母は知らない。気づいていない。
こんなドロドロな母娘の関係。

ふぅ。
気持ちがドロドロになって落ちていく前に、
思い切って吐いてみた。
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Happy Birthday!

2006-04-01 21:34:44 | ジジ(父)・ババ(母)とhiroの日記
今日はじーちゃんこと、私の実父の誕生日。

小さくてもいいので、ケーキでお祝いをしようと考え、
仕事終わってからシャト○ーゼに立ち寄り、5つ分のケーキを買って帰った。
余談を付け加えると、明日の分も入れて9つ(笑)。
長女はケーキ好きではないので(汗)。

じーちゃん、もちろん誕生日なんぞ忘れてた。
ってか、「今、春か?」なんて言ってたけど、
長女に「じーちゃん、お誕生日おめでとう」と言ってもらって嬉しそうやった。

長女は、やっぱりケーキは食べず

Happy Birthday!

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介護

2006-03-27 01:23:50 | ジジ(父)・ババ(母)とhiroの日記
日記にも出てくるが、認知症(アルツハイマーでほぼ確定らしい)となった父。
その症状は、今は薬で若干安定しているように思われるが、
それでも、半年前と比べると格段と進行してるなと感じるし、
3ヶ月前と比べても微妙に進行したと、そう思う。

さて、母は以前と比べるとずいぶん受け入れたようにも思う。

けど、母の何気ない言葉や行動から
"自分の理想としていた老後はこんなはずではなかった"
そうひそかに訴えていると感じさせられる時もある。

今日、叔母と(私が)話をしていて、やっぱりそう思うよねと。

私は母ほどの結婚生活はない(当然だが)。
でも、もしも旦那が病気になったならば、
経済事情に全く不安がないのなら、
看護も、介護も、
私以外の人にはさせたくない。

家事労働は人手に頼んでも、
旦那のことは私の手でしたいと思う。

逆に、私が介護を受けることになったとしたら、
旦那は・・・。
きっと言葉はないだろうけど、うまく手抜きをするだろうけど、
それでも私の横でパソコンでもしているような気がする。
そうやって側にいてくれるような気がする。

そう思っていられるのは今だけなのか?
現実になったら違うのか?

今の母親を見ていると、
そんな自分の考えが甘いのか、
それとも、母親にとって父親がそういう存在でないのか、
一体どっちなのだろうか?と、
それをすごく思う。

父と母の立場が逆だったなら・・・、
父は家事はできないと豪語して私に任せる代わりに、
母のことは愚痴をこぼさず笑顔でいる様子が
娘の私には見えてしまう。

いや、父親の愚痴もあるだろうけど、
それは笑ったり真剣な顔をして母親の心配する、前を向いた愚痴だろうと、
そんな風に思えるのだ。

今の母親を見てると、
なにか腑に落ちなくなる自分がいる。

そういう私も、
父親に対して、
外部から見た社会的役割は果たしていると思うけど、
内部から見た娘の役割は受け入れられていないのが現状か・・・というところ。

旦那ならできると思うんだけど、
父親にはできないでいる、親不孝者でもあります。
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ここでだけ・・・

2006-02-13 00:30:04 | ジジ(父)・ババ(母)とhiroの日記
仕事ネタもあって、昔の音楽を聴くようになった。
車でかけていたら、母親が「最近いい曲かかるなぁ。和むなぁ。」と言うので、
小さいCDラジカセを買った。

しかし、そういうものを使ったことのない母親、チンプンカンプン。
しかも、目が悪いので字も見えない。
仕方がないので、ネームランドでわかりやすいようにシールを作って貼った。

これでバッチリだろうと思って母親にシールを貼ったからと説明。
母親が困った表情で「これ・・・。」と言う。

"再生"では意味がわからないだろうと思って、"聞"と書いて貼った。
「"聞く"やで。」と言ったが表情は変わらず・・・。
そう、母親はこの"聞く"という字が読めない。大きさでなく、知らないのだ。
いや、例えば"新聞"と書けば読めるだろうが、この"聞"が"聞く"と読めることを知らない。

母親は幼いころ病弱で、家も貧乏で、義務教育の学校にもほとんど行ってない。
昔話みたいかも知れないが、貧乏だったから身体の調子の良いときは子守をして家計の足しにしてたらしい。

だから、小学校低学年程度の識字があるかどうか・・・なのだ。

遠い記憶にある、私が寝てから父親に漢字を教えてもらっていた母の姿。
私が(小)学校に行くようになって恥をかいてはいけないと、こっそりやってた両親の姿。
ここで声をかけてはいけないような気がして、そのままトイレにいけずに2階に戻った。

母親がこの字を知らない。それを悟って、
「ひらがなにしようか。そのほうが見やすいな。」
そう言ったら、安堵した表情で
「ごめんな。見えにくいねん。」と言った。

だから、プライドという鎧を着る母親。
鎧を脱がないために、私にすべてお任せコースにせざるを得ない母親。
唯一、私の前でだけその鎧は脱ぐときがあるけど、ほとんど脱ぐこともない。

母親も当然のように私に頼る。
自分を守るためにも。

父親の状況に対する母親のせいで、今の私がとても辛い状況になっているのもある。
実家への送迎や介護保険に関することなど、すべて私がしないといけないから、休日も思うように休息が取れないことも多々。

父親がこういう状況になって母親が前面に出ないといけなくなった。
しかし、鎧を脱げない母親は"娘に頼る道"を選んだ。

"かわいそうな人"
この言葉が適切かどうかはわからないけど、
母親をそう思うことで、踏ん張っている私がここにある。

そして、母親のような鎧は着たくないと、反面教師にしながら。
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今日は実家へ

2006-02-12 23:30:38 | ジジ(父)・ババ(母)とhiroの日記
今日は両親を実家に送っていく日。
1回/2週、日曜日と水曜日は両親を実家(片道1.5時間)の送迎。

最近の母親は、父親の進行を母親なりに受け止めた様子。
父親の暴言は相変わらずだけど、以前のように愚痴は言わなくなった。
「"病気が父ちゃんをそう言わせてる"って思うようにした」
そうも言ってた。

では、実際の私は・・・。
仕事なら普通に笑顔で対応もできるのに。
毛布かぶせて、背中トントン・・・みたいなこともなんか安堵感さえ感じるのに。

でもなぜか、父親にはできない。
短期記憶も認知できなくて、同じことを繰り返し執着するように言う父親。
ここ数日、背中が痒いとずっと言っていた。

しかし、今日は
「こんなに痒くなったんはウン年ぶりや。公園(で今朝会ってた)のおじいさん、なんか悪い病気持ってたんとちゃうやろか?」
「今度、"おたくのせいでひどい病気移された"って言ったらなあかん」
実家に帰る道中、そんな内容の話ばかり。

興奮させないように、適当に同意したように頷きつつ、
「じーちゃん、元々冬になったら痒くなりやすい体質やからなぁ・・・」
そう言ってみても通じない。
2~3分もしたら、また↑の会話が始まる。

繰り返しが嫌になってきて黙ってたら、
「何黙ってんねん。こんな痒いの初めてやって言ってるやろが」
逆にチョイ興奮。

父親と同じペースにはまって、私も逆切れ。
「じーちゃん、元から冬になると湿疹ができる体質や言うてるのに、いっこも聞かへんから黙っただけやんか。」
「何でも人のせいにして、文句言うのやめとき。みっともない。」って。

・・・自己嫌悪。

父親だから受け止められないのか?
まだ私は思案中。の段階
コメント (1)
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