ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『アルネ』 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン 著 小林英夫 訳 岩波文庫

 

 1932年、昭和7年の初版本である。
 当然、ご覧の通り、書名も作家名も翻訳者名も、右から書き始められている。
 こんな画像を見つけて、チョイ、嬉しくなってupしてしまった。

 私が、読んだ『アルネ』はこちら。 
 読んだのは、『悲しみよ こんにちは』と同じ頃の1970年代中頃の学生時代。で、こちらも再読してみた。
 当時は、綴られている世界の美しさに感嘆さたのだったが、あらためて、読んで見ると、なかなか興味が沸いてあれやこれやと、関連書を読んでしまった。
 読書って、やっぱり、面白い。
 私は、散歩が好きなんだけれど、読書って、なにか散歩に似ているかも。
 目に映るもの、ふと、目に飛び込んでくるもの、みな、興味が湧いてくるところ。

 Bjørnstjerne Bjørnson ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(1882年ー1910年)は、ノルウェーの詩人で作家。因みに1903年にノーベル文学賞を受賞している。

 柳田國男が、『峠に関する二、三の考察』(青空文庫)の冒頭に、「ビョルンソンのアルネの歌は哀調であるけれど、我々日本人にはよくその情合がわからない。日本も諾威(ノルウェー)に劣らぬ山国で、一々の盆地に一々の村、国も郡も村も多くは山脈を以て堺としているが、その山たるや大抵春は躑躅山桜の咲く山で、決してアルネの故郷の如く越え難き雪の高嶺ではない。」と書いている。

 この文章を読んだ時、「そう、確かにそうだ。本州の山々はね」と私は思った。
 人生の大半を北海道で暮らした私は、十五年ほど前、北関東に転居することになった。
 転居した北関東の町で、私がまず、とっても、感じた違和感は、山々だった。
 本州の山々には、人の匂いを感じた。
 どんな峻険な山々でも、人は越えるんだということに驚いた。
 柳田國男が、ビョルンソンの『アルネ』に感じた違和感と真逆な違和感だったのである。

 遠く、秩父の山並みを見て、そこを越えて、更に、南アルプスを徒歩で越えて行った人たちが、近代まで、その足跡をしっかりと歴史に遺している。
 北海道の山々は、柳田國男が書いているように、「越え難き雪の高嶺」なのである。
 「我々日本人にはよくその情合がわからない。」という柳田國男の言葉だが、北海道人の私、「我々日本人」の一人として「ビョルンソンのアルネの歌は哀調」は、とても、よく解ると、まずはひと言、記しておきたい。

 さて、肝心の『アルネ』だが、ちょい悪オヤジと、真面目な村娘の間に生まれた一人息子アルネの成長物語である。アルネは、母に文字を教わり、父に詩というか歌を習う。
 内向的で生真面目な少年が、やがて働き者で、信仰深い好青年になり、一人の娘に恋をするといった、とても素朴な物語なのだが、その牧歌的な自然描写、心模様を、ビョルンソンは、まるで吟遊詩人のように綴る。
 1800年後半のヨーロッパ、とりわけ、北欧の山間の村での、日々の生活に於ける人間模様と日常の暮らしぶり、風景。そして、詩というものが、日常に生きている暮らしぶりが、素晴らしい。
それは、それは、静謐で美しい物語だ。
 作為もなく、淡々と語られる言葉、つまり文字。
 「繊細」とは、かようなことをいうのだと、と私は思う。


<追記>
昨晩、9時半ごろ、熊本で、震度7の地震があった。
東北の大震災が想起される。
今更の如く、東日本大震災の地震、津波、原発の爆発の、記憶の大きさ、重さを認識する。
熊本では、まだ大きな余震が続いている。

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