ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『知と愛』 ヘルマン・ヘッセ 著 高橋健二 訳 新潮社

 
                  (マウルブロン修道院 表紙の絵と同じ場所かも)

ヘッセの『知と愛』です。
原題は『NARZISS UND GOLDMUND』(ナルチスとゴルトムント)。
邦題が、なんとも、内容を象徴しています。
象徴し過ぎていて、ちょっとね、という感も否めないというのが、私の個人的感想でもあります。
本文の高橋健二の訳は、とても詩的で、素晴らしいと思います。

マリアブロンというドイツの片田舎にある修道院のモデルとなったマウルブロン修道院へ、昨年の夏に行ってきました。
実はヘッセもこのマウルブロン修道院の神学校に入ったのです。
シュッツガルトから電車に乗り、たった四人しか乗らないバスに乗り換えて、シュバルツヴァルト(黒い森)へ、分け入って行きます。
この道を、馬車に乗って、ヘッセは、マウルブロンまで、行ったのだと思うと感慨深いです。
でも、即刻、ヘッセは脱走してしまうのですが。
マウルブロン村で、バスを降りたら、なんと馬の蹄の音。馬車です。
まさに、『車輪の下』……。


(坂道の向こうから、蹄の音。この道の左側に、修道院があります。人がだれも歩いていません)

 
(マウルブロン修道院)

ナルチスは、豊かな才能に恵まれた少年見習僧です。
そこへゴルトムントと言う金髪の美少年が、やってきます。

あまりにも対照的な性格の違いからか、互いに興味を抱き、二人は直ぐに親しくなります。
ナルチスは、論理、克己心の塊のような、知性を象徴するような少年です。
一方、ゴルトムントは愛を象徴しており、直感、情感豊かに、己の感性に率直に為らざるを得ない、ナルチスより、ちょっと年上の少年です。

ある日、ゴルトムントは修道院を、ヘッセと同じに、脱走してしまいます。

それからというもの、ゴルトムントは、放蕩の日々を過ごします。
時には人を殺し 貧に窮し 行き倒れにもなります。
遂に、行く場を失ったゴルトムントは、木彫り彫刻師の家に転げ込みます。
そしてそこで親方に才能を見出され、そこに暫く落ち着いたゴルトムントは、彫刻に精を出し、ナルチスを模し聖ヨハネの像を掘るのですが、その出来映えに満足したゴルトムントは、再び放浪の旅に出てしまいます。

ゴルトムントの放浪は、幾数年を経て、ナルチスと出会うことになります。

 
(マウルブロン修道院)

ナルチスは縛り首の執行前の囚人の懺悔を聴きに来ただけですが、罪人がなんと、ゴルトムントだったのです。
ナルチスはゴルトムントを修道院に連れて帰ります。

ゴルトムントは、また彫刻を始め、マリアの像を完成させますが、放浪の情、断ちがたく修道院を出て行きます。
この放浪は、長く続かず旅に病んで修道院に戻ります。
そして間もなく、ゴルトムントはナルチスに看取られて亡くなります。

ゴルトムントとナルチスは、歩いた道は全く異なっています。
でも、きっと、ゴルトムントとナルチスは、ヘッセ自身に他ならないと、私は思うのです。

小説のなかに、象徴的に描かれたリンデの巨木は、マウルブロンの修道院の庭に、今も、在りました。
マウルブロン修道院は、小鳥の声が響くだけの、静かな佇まいでした。


(マウルブロン修道院 前庭のリンデ、菩提樹の巨木)

追記
ゴルトムント、GOLDMUNDですが、これは、"金の口" と言う意味です。
この物語が、最終的に、口伝というふうになっていることを、思うと、なんと、GOLDMUND って、そういうことだったのですね。ヘッセって、やっぱり、すごい。

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