クィーンが大人気だった当時は、全然興味がなくて、フレディ・マーキュリーがゲイでエイズで亡くなったということを、リアルタイムに知っていたけれど、それはまるで他人ごとのような感じしかなかった。
その死は、当時、私にとって大きな出来事ではなかった。
今回、映画を観て、後半、世評通りに、なんと私にも涙が流れ落ちた。
あの時代も、ここ最近までも、セクシャリティの問題をまったく私はわかっていなかったと自覚させられた。
というかやっぱり他人ごとだったのだろうと思う。
『人魚姫』や『マッチ売りの少女』を書いたアンデルセンもバイセクシュアルだったという。
18世紀のことだから、その異端感は、想像を絶する。
先日、ある雑誌に書いたアンデルセンの評論には、共感共苦がなかった、と今になって手遅れな後悔をしている。
そして、『ボヘミアン・ラプソディ』を観ていて、思わず耳をそばだてたのは、彼がパールシーだということだった。
私は、その言葉を聞いた瞬間、脳が突如泡立ち、予想しない作動を開始してしまい、映画の画面の展開に乗り遅れるほど、あっけにとられてしまった。
家族は、ゾロアスター教だったのだ。
ゾロアスター教、
日本語では拝火教。
現在は極めてマイナー宗教になってしまったけれど、私に取ってとても魅惑的な意味を持つ語彙だった。
キリスト教圏では異端なバイセクシュアルだが、パールシーでは、必ずしも排他されるセクシュアルティではない。
フレディ・マーキュリーは、ゾロアスター教にのっとって、火葬されたという。
なんか、それが一番、フレディ・マーキュリーにとって幸いだと、そう思った。
フレディ・マーキュリーにとって、ジム・ハットンは、きっと最良な伴侶パートナーだったろうし、メアリーは彼を理解できる最高の親友となったのだろう。
映画を観ていても、ジム・ハットンの彼の表情とメアリーの表情が映し出される時、なぜか、私は心が安らいだ。
良い映画だった。
クィーンを演じた四人の演奏が、本当に良かった。
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