ベルリン便り

ドイツの大学でドキュメンタリー映画を制作しています。

9日目 ヴィシェグラード

2016年09月18日 | 小さな旅のお話


9月7日 夕方

2007年世界遺産に登録されたメフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋。旧ユーゴ圏に知らない人はいないと言われるほど有名。
ボスニア・ヘルツェゴビナの作家イヴォ・アンドリッチの「ドリナの橋」はヴィシェグラードの街が舞台の歴史小説でこの場を訪れる前に読むといっそう学びがあるように思う。


橋のそばのホテルのテラスで小さな休憩をとった、席から橋を見渡せる。ミントティーとリンゴ煮ナッツクリーム入り。彼はミントティーとアルコールの効いたケーキ。”チャイをお願いします”と彼が注文するとミントティーが。後のセルビアで知ったのだけれど、このあたりはお茶はミントティーとカモミールティーが定番。
お茶には蜂蜜とくし切りのレモン(これも後の何度かのお茶でスタンダードだと知る、ホテルやレストランに限らず多くの場所で)、ここで当たり前の形式はヨーロッパとも日本とも少し異なり、だけどとびきり美味しくて、わたしたちは大好きになった。

時間の関係でアンドリッチグラードには立ち寄れなかったので、ここは次回尋ねたい。




9月19日 追記
ヴィシェグラードは山に囲まれ、セルビアとの国境沿い、それから側に大きな川があることから、過去におきた争いの中でいつも重要な拠点となった。ボスニア紛争の時もそうだった。
紛争以前ボシュニャック人(ムスリム)が半数以上を占めていたこの土地、彼らはユーゴスラビア人民軍の攻撃を受けた。避難した人たち、家を仕事を失った人たち、身内を失った人たち、虐殺された人たち、強制労働させられた人たち、脅された人たち、女性という性を男性の性の発散に利用された人たち。
紛争以前に暮らしていた多くのボシュニャック人がこの土地を去った。現在はセルビア人が大半を占めている。

同様セルビア人の暮らすバンニャルカは、人が人を見ない息苦しさがあった。ここにはそれが無かった。
この街には世界的に評価されている橋がある。この橋には紛争時の悲しい歴史があるけれど、この橋がある事でこの街の再生の早さもある。民族を問わず他者から評価される何かがあるのは、その土地に暮らす人たちの生活に人柄に影響を与えるように思った。(もちろん、他の理由もたくさんあると思う。)
この街でも皆さんに親切にして頂きました。ありがとう。

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