世界諸国の一番切手を収集する事は容易ではありませんが、「切手の切手」に描かれた一番切手の収集は容易です。手元にあるものをご紹介して見ますが、ついでにそれぞれの諸国の初期の切手も合わせて展示しました。
世界に200数十ヶ国の国があり、多くの国で一番切手を「切手の図案」に使っていますが、今回はこれで取りあえず終わりにします。
世界諸国の一番切手を収集する事は容易ではありませんが、「切手の切手」に描かれた一番切手の収集は容易です。手元にあるものをご紹介して見ますが、ついでにそれぞれの諸国の初期の切手も合わせて展示しました。
世界に200数十ヶ国の国があり、多くの国で一番切手を「切手の図案」に使っていますが、今回はこれで取りあえず終わりにします。
切手の「珍品・名品」の基準などありませんが、やはり「希少品」がその類いになります。 5億円も、10億円もする希少品は買えないどころか、実物を見る機会もありませんが、そうした希少品が「切手の中の切手図案」として登場しますので、容易に入手する事が出来ます。手元にあるものを少しばかりですがご紹介します。
米国郵政は特定な人達への利益防止の為に、不完全製品であるエラー切手の大量生産と言う馬鹿げたことをやりましたが、日本の場合だったらどうしたでしょうか?
日本では初期の切手で、例えば「龍切手の龍の片手落ち」、「銭五百文切手の逆刷」、「鳥15銭切手の額面漏れ」などの珍品がありますが、その後は品質検査の厳重さにおいて世界一と言われる大蔵省印刷局でしたから、目打エラーなどを除けば、逆刷りなど印刷上のエラー切手の販売はありませんでした。
ただ、大正12年「皇太子(裕仁)結婚式記念切手」は不発行でありながら、何故か流通していて4種類300万円ほどで取引されている。結果として、当時の日本国郵政は特定な人達への金儲けに協力したと言う事になるのではと考えるが・・。
トピカル(topical)とは話題のテーマを意味しますが、郵趣の世界ではデザイン別(図案別)での切手収集を総称しています。世界の切手は100万種に迫っているのではと想像しますが、そのデザインの項目(テーマ)も何百、何千あると考えます。ほんのその一端ですが「切手の中の切手」で、トピカル切手の世界を綴ってみました。
(公)日本郵趣協会で「デザイン別・切手収集大百科」が1997年に発行され、日本で人気の高いテーマ100項目が、当時のその専門収集家によって執筆・紹介されています。
「虎」は、100項目には入らないテーマですが、切手で綴る「虎の物語」を次に展示しました。
切手でみる「黄道十二宮」=「サイン」(西洋占星術)
十二宮や黄道十二宮と言われる西洋占星術(サイン)の切手が世界各国から発行されています。その図案は国によってさまざまですが(デザイナーによって様々が正しいかも知れませんが・・)、いろいろなデザインが楽しめますので手元にあるもので一寸ご紹介します。
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最後の亥(いのしし)を見て下さい。牙(きば)がないのです。日本と二、三の国を除いて、どこの国の猪にも牙が無く、諸外国のデザイナーは猪とブタの区別がつかないのかと思っておりました。
しかし、最近、外国の「十二支の亥」は、猪でなく「ブタ」である事を知り、自分の浅はかさを笑った次第です。 「十二支」のwikipediaからの引用ですが、「十二支の国による相違」は、
・亥に当てられるのは本来、ブタであり、日本のいのししが特殊である。
・ベトナムでは丑は水牛、卯は猫、未は山羊に変わる。
・タイでは未は山羊に変わる。
・モンゴルでは寅の代わりに豹を用いることがある。
・インドでは酉(取り、鶏)はガルダ(インド神話の神鳥)に、アラビアでは辰(たつ、龍)はワニに、イランでは辰(たつ、龍)はクジラに、ブルガリアでは虎(トラ、虎)は猫にと書かれており、所(ところ)変われば、品変わるで、干支(えと)は国によっていろいろと置き換わる様です。 (終)
昨年2012年はタイタニック号の沈没から100周年で、世界から沢山の記念切手が発行された。その一部で「タイタニック号遭難」を綴ってみたい。
↑ 「これは、75周年時のトルクメニスタンの記念切手」
参考図書:「The TITANIC」 by Geoff Tibballs
Wikipedia:「タイタニック」
タイタニック号の遭難では、救命ボートに女性と子供の移乗を優先し、乗組員が身を犠牲にし、船員魂を発揮した事はよく知られており、深甚な敬意を払わずにはいられない。
しかし、 参考図書によれば、救助された船客と乗組員の割合は、一等船客62%、二等船客41%、 三等船客38%、 乗組員24%と書かれていて、一等船客が優先された事実に、無情(金で左右される命)と哀れさを感じる。
切手で見る「広重・名所江戸百景」
平成19~23年に日本郵便で、「広重・名所江戸百景」の切手が25種類発行されましたが、何故かそれだけで終わってしまいました。残念だったので、残りを海外のジャポニカ切手で埋めてみましたのでご観覧下さい。
スポーツ切手の初日カバー
切手の発行日当日の消印がある封筒を初日カバー(FDC=First day Cover)と言い、郵政当局、切手商、或いは個人で、絵柄(「カシェ」と言う)などを入れた封筒に記念印などを捺印します。趣味性が強い郵趣品ですが、その対象の関係者には思い出の記念品となるのですが、手元にあるものを少しご紹介します。
FDCは、1920年代米国で作られたのが最初と言われますが、南北戦争でも、日露戦争でも、お土産用に作られた記念カバーは存在します。ここでは、米国の五輪に係わる記念カバーを楽しんでください。
丁度半世紀前、東京五輪が開催され、それを讃えて世界78ヵ国で、約500枚ほどの切手が発行されました。その全容を「50年前の東京五輪の世界の切手」として当ブログに掲載しています。 ご興味がございましたら当ブログ左欄のカテゴリーの「東京オリンピック」をクリックして見て頂ければ幸いです。
(スポーツ切手のFDC、終わり)
「半世紀前のジャポニカ切手」
欧米人の間における日本趣味を“ジャポニカ”と言うが、郵趣の世界でも“外国切手に描かれた日本”をジャポニカ切手と言っています。
半世紀前の1960年代(東京オリンピック~大阪万博)、日本の切手ブームに呼応して、諸外国(特にアラブ土侯国)で沢山のジャポニカ切手が発行された。手元にあるものを紹介して見たい。
まず下のジャポニカは、昭和天皇が1971年(昭和46年)9月27日から17日間、イギリス、オランダ、スイスなどヨーロッパ諸国7カ国を訪問した際、マナーマ(バーレーンの首都)と パラグアイから発行された記念切手です。
画像は、聖徳記念絵画館、山口 蓬春「岩倉大使欧米派遣」の壁画で、1871(明治4)年11月使節団を乗せた蒸気船アメリカ号が横浜港からの出航する際の通い船を描いた有名な絵画で、日本の切手にも、歴史を語る上でそんな画像が欲しかったのですが、残念ですがマナーマとパラグアイに先を越され今更発行の可能性はないでしょう。
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冒頭で昭和天皇の外遊を述べたが、元首の肖像切手で(或いは全ての人物切手でも)一番発行が多いのは英国のエリザベス女王であり、ついでヒトラーであった。
昭和天皇は生涯、日本の切手に登場することはなかったが、諸外国で訪欧の際に記念切手が発行された。
次は、有名野球人のジャポニカを紹介して見ます。下は国民栄誉賞の長嶋茂雄氏の立体印刷切手と同様の技術を使って、見る角度によって絵が変わる切手です。(マナーマ発行)
以上、半世紀前のジャポニカ切手のほんの一部を紹介したにすぎませんせん。ジャポニカ切手には、大阪万博や皇室切手以外に、東京オリンピックや浮世絵を題材としたものが外国諸国(主にアラブ土侯国)から何百枚も発行されています。
ジャポニカ切手を乱発し、土侯国と言われた7か国 .[ アジュマン(Ajman)、アブダビ(Abu Dhabi)、ウムアルカイワイン(Umm al Qaiwain)、シャルジャ(Sharjah)、ドバイ(Dubai)、フジャイラ(Fujairah)、ラスアルハイマ(Ras al Khaimah) ] は、1972年アラブ首長国連邦の成立により、外貨目当ての各国独自の切手乱発は一応終わりを告げました。
135年前の今日(明治10年2月14日)、維新の英傑・西郷隆盛は、明治新政府へ不満を募らせ暴走する鹿児島私学校生徒に担ぎ上げられ挙兵する。
2万人を超える武装蜂起となった西郷軍と、陸軍卿・山県有朋率いる3万人(最後の最大動員は5万人)の政府軍との激突の物語である。
(終)
2010年 NHKで「坂本龍馬」が放映されていた頃の作品です。
参考:山本 大 著「坂本龍馬」(新人物往来社)
作品出展:2010年 スタンプショー「オープン切手展」
第一次世界大戦で、日本の捕虜となったドイツ軍の捕虜は約4千人で、日本国内の18ヵ所ほどの「俘虜収容所」に分散収容され、11名の病死者を出したものの、大戦終結後の大正9年1月末までに残る全員が帰国した。未完収ですが、12ヵ所のドイツ俘虜郵便をご紹介します。
参考文献:吉田景保訳注「ドイツ俘虜の郵便」(駅逓郵趣会)