先日ちょっと大き目の地震が関東であり、私も少なからず不安になりました。京都のライブハウス都雅都雅に予約を入れていた時だったんで『ごめん。揺れが収まるまで待って』・・幸いに地震は収まりましたが、10年前の神戸では収まりませんでした。この時の恐ろしさはやっぱりその場にいないと判らないと思うのです。
震災の2日後に現地に入り、家の中で四隅から外が見えるという(窓じゃありません、隙間から)状況で『えらいこっちゃ。これからどないするかいなぁ・・』と思っても恐怖感はありませんでした。その時は避難所の便所掃除位はやってきましたが、いつまでもやっている訳にもいきません。
災害が起きてすぐはそれ自体が大きな関心事ですし、マスコミも騒ぎます。問題はそれからなんでしょうね。災害が忘れ去られようとしている時に周りが出来る事、それは忘れない事、いつまでも覚えている事ではないでしょうか。忘れないから相手の立場に立とうと努める、何か出来ないか考える。そういうことにつながるのだと思います。
10年前の神戸。避難所で小さなコンサートがあったそうです。みんなを元気付ける為開こうとしたのですが、なにせあちこちで道がふさがれており会場になんとか辿り着けたのはベーシストだけ。しかたなく彼はベース1本で弾き語りをやったそうです。この時にベースのアルペジオとでもいう彼独特のスタイルが完成しました。
それから10年、彼は毎月末にLast Sunday Nightというソロコンサートを開く事になりました。『地震を思うと止められんようになった。』と彼は言います。これとは別のチャリティコンサートを何本も抱え、普通の演奏活動とは別のソロですので、その労力は大変なものだったと思います。
この試みは震災10年に当る今年の11月をもって幕引きとするそうです。残念な事ではありますが、これからはひとりひとりがしつこく地震の事を思いながら生きてゆけばと思っています。ただLast Sundayが無くなってもベースの弾き語りは続けていって欲しいものです。
彼の名は天野SHOといいます。神戸屈指のハードロッカーです。
10月のLast Sundayの様子です。
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