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焼き林檎忌

中学に入ってすぐ、英語の教師でありバスケット部のコーチだったフリン神父が放課後に十数人を引き連れ、校舎横を流れる川を上流に向かった。目的はバーベキュー。とはいっても金のない我々、焚き火をたいてソーセージやマシュマロを焼く程度。それでもみんなワクワクとして参加した。

上記以外にも変わったものを食べたが、フリン式焼きリンゴとでも言おうか。焚き火が落ち着いた頃を見計らい、紅玉を丸ごと熾きの上に置いては小まめにひっくり返す。リンゴから蒸気が噴き出した頃、引き上げて熱いうちに皮をむく。熾きで炙られたリンゴは熟した桃のようにするっと皮がむけた。

果肉は飴色になり、食感はまさに焼きリンゴなのだが、砂糖やバターを使わないだけに素朴で、焼き芋にも似た不思議な味だったことを思い出す。それから何度か山に行ったが、1グループが10名前後で学年全員が対象、一回りするまでにはかなりの時間がかかった。

幸い、バスケと授業の両方でお世話になっていたので、他よりは若干回って来るのが早かったかもしれない。成人し、会社の仲間とキャンプに行くようになって、何回か試した覚えはあるのだが、当時紅玉が入手し難くなり、仲間内の評判もイマイチ(この焼きリンゴ、絶対に酒の肴にはならんwww)だったので、最後の頃はやらなくなってしまった。

師が亡くなった後に残したものは僅かダンボール2箱分の私物だった。それも自分のものというよりはほとんどが生徒と一緒に映った写真などで我々としても処分がし難いものであった。丁度、校内にあった木工場が閉鎖され、マイスターでもあったヒルケル、メルシュ両修道士の工具類を別館で保管中という事を同級生の一人が聴きつけた。

早速、この工具記念館?の空いた場所にフリン師の遺品を展示出来るよう学校に申し入れたところ、快く聞き入れてもらえたのが去年の夏だった。ホントは2月7日が師の命日なのだが、部屋を作って1年経ったと言う事で皆が集まり大掃除。



この日は母校で不要になったロッカーに師の著書である教科書Progress in Englishを収める。持ち主は勉強家だったようでボロボロだ(笑)。



驚いたのは12年上の先輩が、師の手作りプロトタイプを保管していたことだ。表紙には1957年とある。お宝探偵団に出してみるか??(笑)。



今や予備校でもこのプログレスが使われていると聞くが、師の志までは伝わらんだろうな。



師は中1から高3まで持ち上がりで担任をしており、6歳ずつ歳の離れた5学年の面倒を見て来た。この後の懇親会では、75歳から44歳までの元悪ガキが酒を酌み交わす。さてこの焼き林檎忌いつまで続くだろう?
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