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ノスタル爺(その2)


↑ 阪急六甲駅の南。この辺に洋菓子のロックと我々の不細工な制服を作っていたH洋服店があった。H洋服店は甲南の制服はカッコ良く作るのに、我々にはブカブカの制服を作るけしからん存在だった。それも高校生になって作り直してもデカイのを作る。文句を垂れると『あんた、おかあちゃんおらんのか』オカンの手直しが無かったら着れんようなモン売るな!と啖呵を切ったのは慶應の教授になったWだったか。


↑ オカンが弁当作りをサボった時に我々の腹を満たしてくれたパン屋の福井堂はすでに無い。場所は白いシャッターの辺りだったか。


↑ 六甲教会入口には阪神大震災犠牲者鎮魂の塔が。教会もモダンな建物になってしまった。教会の扉を叩き、卒業ごっこ(ダスティン=ホフマンの真似)をしたのは40年前。アホやった・・・。


↑ 教会の北側。同じく鎮魂のモニュメント


↑ 六甲川。昔は3~40mおきに波が立つ不思議な川だった。上に水車でもあったのか(笑)。いまだ原因不明のまま、普通の川になってしまった。阪急のすぐ北で杣谷川と合流し都賀川となる。08年の夏、増水で園児が亡くなると言う痛ましい事故のあった川であるが、普段はネズミですら泳げば膝がつかえる程の水量しかない。


↑ 神鋼の寮はマンションに。溝を跨ぐパイプの上部がボコボコになっている。今や後輩諸君の偏差値はかなり上がったそうだが、やることは変わらん(笑)。5人は落ちたな。


↑ 第3運動場の南は小さな公園に。また通学路が溝の西側に出来ていた。最初から作っておけば、インド人のおっちゃんと命の張り合いせんで済んだものを。(大昔、我々の通学態度が気に食わないらしく、坂の上から車に乗って猛スピードで突っ込んでくるおっちゃんがいた。K本が苦情を言いに行ってからは、彼の奥さんが通学時間帯に旦那を縛り付けて出さないようにしていたそうだ。)


↑ とりあえず扉の開いていた第3運動場に入る。グランドが柔らかいというか砂場になっていた。近所のネコは喜ぶだろうが、野球部・サッカー部はしんどいだろう。

ここに続く

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