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120kmのライブ(その1)

日曜日は忙しかった。元々は福生のブルースフェスティバルを諦め、溜まりに溜まった雑用を片付けるはずだった。そう、だった。出たのだ・・・昔からの悪い癖、しなければならないことがあると別なことがしたくなる、こいつだ。なにせ試験勉強中に部屋を片付けだし、最後は模様替えしたこともある位だ。この時はさすがに親からこっぴどく怒られた。

関東では聞く機会が限られる伸ちゃんが関東ツアー中ということあった。加えて、入道さんや照夫さんがこのフェスティバル出るというのも大きかったのだが、更にもうひとつ理由があった。それは福生の先、五日市市でジャズコンサートが同じ4日の朝からあった。そこに行きたかったのだ。

今更ジャズとブルースは兄弟と言う正論を吐くつもりはない。出演者の一人が高校時代のツレと同姓同名で、担当も同じトランペットというのが引っかかった。ネット上のやや不鮮明な写真も何となく面影が残った感じだった。1972年高校最後の年、ぼーずのバンドは文化祭オーディションに落ちた(笑)。学校祭としてはやや格の落ちる高校3年生を送る予餞会に、在校生として出ることは可能だが、その春の文化祭には出られないことになってしまった。

一年下にサックス、ペット、タイコという変則トリオのジャズバンドを組んでた連中がいた。音楽部ではあったが、マイルスやコルトレーンのコピーは朝飯前、何でこんなに上手いんかなという奴らだった。もちろんこいつらは合格だった。サックスの男とは気が合ってちょくちょく一緒に遊んでいた仲だったのだが、こいつがいきなりベースで参加しないかと誘ってくれたのだ。

いやー今のバンドの仲間に悪いからと断る・・・ほどぼーずの人間は当時から出来ていなかった(笑)。まぁ、バンドは落ちた途端に解散状態だったし。これからは小沢一郎と呼んでくれ。あっさり連立の誘いに乗った(小沢以下かも・・・)。その頃のジャズではベースでリフを刻み、タイコはアクセント、管楽器でアドリブというスタイルがある程度認められていた。ヘタなベースにはもってこいや~。

唯一ぼーずにとっての難曲であったマッシュケナダというボサノバは前のバンドのレパートリー(笑)。幸運に恵まれ、練習を重ねているうちに何とかなるかなと思うようになっていた。・・・が、好事魔多し。昔の人はぴったりの言葉を残してくれたと思う。
  
ここに続く
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