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鼻先過ぎて・・・

中学に入って直ぐ、校舎を出た所に巨大な岩があった。中一なら50人弱のクラス全員が上にのれるほどの巨石だったが、何の為に置かれていたかが判らなかった。暫くして年配の教師・・・多分校長(笑)・・から、『1938年に起きた神戸大水害の時に山から流れて来たんや』とおそわる。

巨大な桃なら流れても、岩は流れんだろと半信半疑で聞いていたが冗談と本人の髪はゆーたことが無い(ハゲ?)堅物のドイツ人校長だったので、転がって来たのは確かだと思う。この巨石、今は縦に置かれ、初代校長の銘がはめ込まれた愛想のないオブジェと化し校舎前に鎮座している。



今回の大雨は3日間絶え間なく降り続けたという点で、生まれて初めての長雨じゃなかったかな。神戸の被害が意外に少なかったのは、上記大水害の反省から植林に励んだためだと思う(お上が言う程、砂防ダムに効果があるとは思えん)。その後にあった戦争のせいかもしれないが、ガキの頃の六甲山は風化した花崗岩むき出しの禿山だった。

この花崗岩が風化してできた砂をマサ土と呼ぶそうで、今回広島大被害の原因の一つはこのマサ土のせいだと公表されている。広島名物はマサトさん(めっちゃ上手なギタリスト)とお好み焼だけにしてもらいたい。最初は被害者数名としか公表されなかったがその後大幅に増えており、最終的には200名を超えるかもしれない。

被害者の中には避難所で亡くなった方も含まれているそうだ。雨は止んだがこれから本格的な夏が来る。劣悪な環境でこれ以上の犠牲者が出ないようにしてもらいたい。些少ではあるが義援金を送らせてもらった。大した額ではないが10名集まればクーラー位にはなる。100名、1,000名と増えていけば大きな力になるはずだ。

喉元過ぎれば忘れやすい我々だが、この大雨を忘れずに植林や治水に知恵を凝らして欲しい。38年の水害写真が新聞に掲載されていたが、灘校の真ん前にドでかい岩が2つ転がっていた。これを校門にすれば卒業するまでに大雨の怖さが伝わって良かったのに。

母校の石碑も初代校長の言葉だけでなく、大雨で山から流れてきた由来も書き加えるべきだと思った。費用が掛かる?そんなもん新校舎から旅立ったOB達から徴収しなはれ。ワシャもう新校舎に支払ったし、いまや振る袖が無い。
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