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Walkin’ The Dog(その2)

今から30年以上前の話だ。可愛がっていた何代目かの犬が死んだ時、死んだ親父が『こういう悲しい思いをこれ以上したく無いから、もう犬は飼わない』と宣言した時期があった。ワンコのいない生活がそれから数年間続いた。

1977年の11月、ぼーずは就職して、翌年の4月から家を出ることが決まった。12月になって『俺は、歴代の飼い犬が死んでいくのを見てきた。その時はものすごく悲しく、落ち込んだ。でも犬たちと暮らした楽しい思い出はその悲しみより数十倍も強い』と親父を押し切り、自分の代わり?の柴犬を家族の一員にと放り込んだ。

それまでの飼い犬はもらってくるか、自分で?勝手に住みついた奴らだった。犬を実家に置いていこうと思い立った12月に、都合よく犬をやろうという人は現れず、初めてペットショップで買ってきた犬だった。店で贅沢な癖を付けられ、味噌汁かけご飯には見向きもしない悪癖があった。なにせ、ぼーずが漬物で茶漬けを食っている横で鳥雑炊を召し上がっておられたというとんでもない奴だ。

この犬はミキと名付けられ、小柄であったが見た目が良かったためか、オス犬の飼い主から請われ、3~4回お産をした。それまでは子犬が産まれるたびに大変な思いで貰い手を捜したが、柴犬の場合、余ったら犬屋が引き取ってくれると言う。血統書なるものに何の興味も無かったが、この点だけはあり難かった。もっとも芝の子犬はめちゃめちゃ可愛いいので、苦労せずとも、見に来た知人達に次々ともらわれていった。

多産の象徴であるワンコだが、最後のお産に生まれたのは子犬1匹であった。くれと言う人は多かったが、親犬の年齢から見ても最後の子であろうということ、1匹だけで家族が猫可愛がりした結果、他人に譲る気が失せ、親子で飼う様になった。驚いたことは、これをしてはいけないと母犬に教えたことを、ワンコが子犬にしつけた事だ。玄関に子犬が上がろうとすると、しかって止めさせたのだ。

単に子犬のほうが可愛がられて、やきもちを焼いただけだったかも知れないが、電車の中でクソガキを野放しにしているバカ親を見ると、ミキの方が偉かったと今でもつくずく思ってしまう。ミキの娘犬ユリは柴犬としては大柄で、ケンカも強かったが、フィラリアにかかり、親より早く死んでしまった。やはり小さい方が、寿命が長いのか。我が身を振り返っては溜息のぼーずである。

※いつものよーに日付はダミー(19/Dec)まだまだここへ続く
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