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マイ・ストーリー⑧

2019-12-25 15:08:00 | お話
マイストーリー8

まだ終わりに至ってはいないものの、私はこれまでの総決算をはじめていた。

といおりふと過去を振り返り、

得たものと失ったものを数え上げている自分に気づく。

この国のために、そして家族のために、犠牲にしたものは何か。

進歩と呼べる成果は何か。

自分たちにできることをすべてやり尽くしただろうか?

本当に、この任務を無事終えられるのか?

私は自分の人生の岐路について思い出そうとした。

それまでずっと思い描いてきた、予測可能で、すべてをコントロールできる夢のような人生。

安定した給料に、ずっと住める家に、毎日変わらない日々。

いったいどの時点で、予定の道をはずれてしまったのだろう?

自分の内に混沌が入り込むのを許してしまったのは、いつだったのだろう?

アイスクリームのコーンを持った手を下ろし、身を寄せて、

バラクとファースト・キスをしたあの夏の日だったのだろうか?

それとも、きちんと積み上げられた書類の山と法律事務所でのキャリアに別れを告げ、

もっと充実した何かがあると信じて歩み出したときだろうか?

思いは、シカゴのファー・サウス・サイド地区、ローズランドの教会の地下室に戻っていく。

25年前のことだ。

私はあの時バラクに呼ばれ、そこで彼の地区住民に向けた演説を聞いた。

希望のない生活や周囲の無関心に苦しみながら、

それでも立ち上がろうとする人々がそこには集まっていた。

その夜交わされた会話を聞いて、私は自分にとってなじみ深いものが新たな言葉で語られているのを感じた。

2つの次元で同時に生きていくことは可能なのだ。

現実という地面にしっかり足をつけ、同時に進むべき方向に目を向ける。

それは、私がユークリッド通りで子供時代に身につけてきたことであり、

私の家族が、そして、より広くは、社会から取り残された人たちが、常にやってきたことだった。

そしてよりよい現実を、たとえ最初は頭の中だけでも築き上げることができれば、人はきっとどこかにたどり着ける。

そう、あの夜バラクの語った言葉を借りれば、

今ある世界に生きながら、「あるべき世界」を築くために努力することは可能なのだ。

あの時は彼と知り合ってまだ数ヶ月しか経っていなかった。

けれど今思うと、あれが私の人生の分岐点だった。

あの瞬間、私は言葉ひとつ交わすことなく、契約を結んだ。

私たち2人の人生を、今に続くこの人生を選んだのだ。


それから長い月日を経た今、私はこれまでに実現された進歩に感謝していた。

私は2015年も引き続きウォルター・リード陸軍医療センターへの慰問を続けていたのだが、

訪れるたびに負傷兵の数が減っていった。

海外で危険にさらされるアメリカ兵の数が減っているのだ。

負傷して収容される兵士の数も、悲しみに心が張り裂ける思いをする母親の数も。

私にとって、それは進歩だった。

進歩は他にもある。

アメリカ疾病予防管理センターの報告によれば、

子どもの肥満率は、特に2歳から5歳の間で、上昇から横ばいに転じたという。

それに「リーチ・ハイアー」プロジェクトの一環として推し進めてきた「大学入学デー」には、

デトロイトの高校生2000人が駆けつけてくれた。

「大学入学デー」は、若者が入学する大学を決め、同意書を交わすことを祝う日だ。

進歩はまだある。

最高裁判所は国の新たな医療保険制度の根幹部分に対する異議申し立てを却下した。

その結果、アメリカ国民すべてに医療保険加入を保障するというバラクの内政における象徴的な成果は、

彼が大統領職を退いた後もほぼ確実に効力を持ち続けることになる。

バラクの就任当時にはひと月に80万人の雇用が失われていた経済も、

今では5年連続で雇用の拡大が続いていた。

これらはすべて、この国によりよい現実を築くだけの力があることを示す証拠だ。

それでもなお、私たちは「今ある世界」に留まり続けている。

ニュータウンの小学校乱射事件から数年が過ぎても、

議会は銃規制の法案を1つたりとも通さなかった。

オサマ・ビンラディンは去ったが、代わりにイスラム過激派組織イスラム国ISが現れた。

シカゴの殺人事件発生率は下がるどころかむしろ上がっている。

ミズリー州フィーファガソンではマイケル・ブラウンという名の10代の黒人青年が警察官に射殺された。

その遺体は道路の真ん中に何時間にもわたり放置されたという。

シカゴでは、やはり黒人青年のラクアン・マクドナルドが警察官に16発もの銃弾を浴びせられて殺害された。

うつ9発は背中からの銃撃だった。

クリーブランドでは、おもちゃの銃で遊んでいた黒人少年タミル・ライスが警察官に射殺されている。

ボルティモアで負傷したまま留置場に放置されたフレディ・グレイという名の黒人男性が死亡した。

スタテンアイランドでも、やはり逮捕時に背中から首を締められたエリック・ガーナーという黒人男性が窒息死している。

これらはどれも、アメリカに変わらず存在し続ける悪しきものの証拠だ。

バラクの初当選時、さまざまなコメンテーターが、「脱・人種」時代の到来を宣言した。

この国は肌の色などもはや意味をなさない時代に入ったのだ。

それは大きな誤りだったことは、これらの事件が証拠証明している。

アメリカ人の多くはテロの脅威に怯え続ける一方で、

人種主義や排他的な同族意識が国を分断しているという事実を見過ごしている。


2015年6月下旬、バラクと私はサウスカロライナ州チャールストンに赴いた。

またも悲劇にくれるコミュニティの葬儀に出席するためだ。

今回のそれは、「マザー・エマニュエル」の略称で知られる

エマニュエル・アフリカン・メソジスト監督協会の牧師、クレメンタ・ピンクニーの葬儀だった。

この教会では同月中旬、人種差別主義による銃乱射事件が起こっている。

ピンクニー牧師は殺害された9人の犠牲者のうちの1人だった。

犠牲者は全員が黒人だ。

彼らはその日、教会を訪れた無職だという見知らぬ21歳の白人男性を迎え入れ、

聖書の勉強会を始めた。

男はしばらく教会内に座っていたが、

信者たちが頭(こうべ)を垂れて祈りだしたところで、

突然立ち上がって銃を乱射したという。

そのさなが、彼はこう言ったと報じられている。

「こうするしかないんだ、お前らは俺たちの女性をレイプして、国を乗っ取ろうとしている」


葬儀の席で、バラクはピンクニー牧師への感動的な追悼の言葉を述べ、

その深い悲しみに浸った。

それから彼がとった行動は、その場にいた誰もを驚かせた。

バラクは列席者を促すように、ゆっくりと魂のこもった『アメイジング・グレイス』を歌い出したのだ。

それはシンプルな希望の祈りであり、耐え抜くことを求める訴えだった。

おそらく教会内にいた全ての人が、その歌声に加わった。

バラクと私はもう6年以上、ある自覚とともに生きている。

それは、私たちの存在自体が挑発的なのだという自覚だ。

今、この国では政治の場で、ビジネスの場で、 そしてエンターテイメントの世界で、

少数派の人々が徐々に重要な地位を占めつつある。

私たち一家はその最も顕著な例だった。

私たちはホワイトハウス入りは大勢のアメリカ国民を喜ばせた。

けれどそれは同時に、それ以外の多くの人々の反動的な恐怖心や恨みを呼び起こしている。

その憎悪は根強く、深く、依然として危険をはらんでいる。

私たちは家族として、国として、常にその自覚とともに生きてきた。

そしてこれからも、そうして生き続ける。

できる限り、気高く。


(つづく)

(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)


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