体に語りかける⑦
子どもによくない考え方を植えつけていると思ったら、
なぜそうしてしまったのかを素直に伝えることが一番です。
たとえば、「早くしなさい」と怒鳴ってしまったとします。
そのときは、
「大きな声で怒ってごめんね。
お母さんは小さいころ、いつも『早く早く』って怒られていて、
そうしないと、また怒られてしまうんじゃないかという恐れがあるの。
だから、あなたにこうして怒っちゃうの」
などと、自分の恐れを伝えます。
「勉強しなさい!」といいすぎてしまったら、
「いつも口うるさくてイヤだよね。
お母さんの時代は、人から評価されることを気にして生きてきたからつい勉強しなさい、といってしまんの。
今勉強をしておかないと、
あなたがどんどん落ちこぼれてしまうのが心配なんだ」
と、親がもっている不安や恐れを素直に伝えればいいのです。
親は自分の恐れや不安をさらけ出して接すると、
子どもも建前と本音を使い分けずに、
裏表のない人間関係を築くことができるようになります。
私の思い出話ですが、あるとき、息子に心から謝ったことがありました。
私は小学校低学年から中学生まで腎臓病のため運動制限があり、
やりたかった野球をすることはかないませんでした。
そんな私も父親になり、息子を授かりました。
その息子が小学一年生のとき、少年野球チームに入部したのです。
というより、私が入れたようなものでした。
私はまるで自分が野球部に入ったような感覚になり、
息子が初試合に出られたときにはうれしくて泣いてしまったほどでした。
当然、自分が野球をすることで喜ぶ父親の姿を見てきた息子は、
「お父さんのために野球をしなければいけない」
という気持ちを抱いたことでしょう。
一度、4年生のときに「野球をやめたい」といった息子に、
「せっかく健康な体で恵まれているのに、どうして続けないんだ」
という気持ちを押しつけたこともありました。
私は息子の野球を応援しているといいながらも、
実は、自分が子どものころにかなえたかった夢を息子にたくているだけなんじゃないか。
そんな思いが芽生えて、その罪悪感は日に日に大きくなって心にのしかかっていました。
息子が小学5年生のとき、家族で旅行していたときのことです。
ふと、息子に強いてきた思いを解き放ちたいという衝動にかられました。
私は、ホテルの部屋で家族を呼び寄せ、みんなの前で謝りました。
「パパは謝りたいことがある。
パパはお前が野球をやって、試合に出たり活躍するわ姿が本当に嬉しかった。
自分が子どもの時できなかったから余計におまえに期待していた。
本当はもうやめたいんだろうなと感じたことも何回もあったけど、
それをいわれないように、いわせないようにしてきた。
パパの気持ちを押しつけてきて、ほんとにごめんね。
おまえのこと、家族のことが何より大切だよ。
ありがとうね」
息子にも伝わるものがあったのでしょうか。
これまでなんとなく感じていた違和感がふっと昇華したのかもしれません。
泣きながら「うん、うん」とうなずいてくれました。
私自身も自分を責めつづけていた気持ちから解放され、気づくと涙があふれていました。
いつのまにか妻も娘も泣いていて、
家族みんなが自分の中にある恐れや不安を手放すことの大切さに気づけた瞬間でした。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
子どもによくない考え方を植えつけていると思ったら、
なぜそうしてしまったのかを素直に伝えることが一番です。
たとえば、「早くしなさい」と怒鳴ってしまったとします。
そのときは、
「大きな声で怒ってごめんね。
お母さんは小さいころ、いつも『早く早く』って怒られていて、
そうしないと、また怒られてしまうんじゃないかという恐れがあるの。
だから、あなたにこうして怒っちゃうの」
などと、自分の恐れを伝えます。
「勉強しなさい!」といいすぎてしまったら、
「いつも口うるさくてイヤだよね。
お母さんの時代は、人から評価されることを気にして生きてきたからつい勉強しなさい、といってしまんの。
今勉強をしておかないと、
あなたがどんどん落ちこぼれてしまうのが心配なんだ」
と、親がもっている不安や恐れを素直に伝えればいいのです。
親は自分の恐れや不安をさらけ出して接すると、
子どもも建前と本音を使い分けずに、
裏表のない人間関係を築くことができるようになります。
私の思い出話ですが、あるとき、息子に心から謝ったことがありました。
私は小学校低学年から中学生まで腎臓病のため運動制限があり、
やりたかった野球をすることはかないませんでした。
そんな私も父親になり、息子を授かりました。
その息子が小学一年生のとき、少年野球チームに入部したのです。
というより、私が入れたようなものでした。
私はまるで自分が野球部に入ったような感覚になり、
息子が初試合に出られたときにはうれしくて泣いてしまったほどでした。
当然、自分が野球をすることで喜ぶ父親の姿を見てきた息子は、
「お父さんのために野球をしなければいけない」
という気持ちを抱いたことでしょう。
一度、4年生のときに「野球をやめたい」といった息子に、
「せっかく健康な体で恵まれているのに、どうして続けないんだ」
という気持ちを押しつけたこともありました。
私は息子の野球を応援しているといいながらも、
実は、自分が子どものころにかなえたかった夢を息子にたくているだけなんじゃないか。
そんな思いが芽生えて、その罪悪感は日に日に大きくなって心にのしかかっていました。
息子が小学5年生のとき、家族で旅行していたときのことです。
ふと、息子に強いてきた思いを解き放ちたいという衝動にかられました。
私は、ホテルの部屋で家族を呼び寄せ、みんなの前で謝りました。
「パパは謝りたいことがある。
パパはお前が野球をやって、試合に出たり活躍するわ姿が本当に嬉しかった。
自分が子どもの時できなかったから余計におまえに期待していた。
本当はもうやめたいんだろうなと感じたことも何回もあったけど、
それをいわれないように、いわせないようにしてきた。
パパの気持ちを押しつけてきて、ほんとにごめんね。
おまえのこと、家族のことが何より大切だよ。
ありがとうね」
息子にも伝わるものがあったのでしょうか。
これまでなんとなく感じていた違和感がふっと昇華したのかもしれません。
泣きながら「うん、うん」とうなずいてくれました。
私自身も自分を責めつづけていた気持ちから解放され、気づくと涙があふれていました。
いつのまにか妻も娘も泣いていて、
家族みんなが自分の中にある恐れや不安を手放すことの大切さに気づけた瞬間でした。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
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