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人生の三つの転機

2017-10-27 15:24:10 | お話
🍀🍀人生の三つの転機🍀🍀


私の人生には3つの転機があり、それぞれに「絶望」がありました。

でも振り返ると「あの絶望は終わりではなく、始まりだった」と思えます。

転機の1つ目、それは息子の出産です。

出産2日後に私はお医者さんから

「息子さんはダウン症です。

一生歩けず、一生話せず、ずっと介護の生活かもしれません。

諦めてください」

と言われました。

私は

「あきらめなければいけないって何?

誰からも喜ばれない命って何?」

と、ずっと自分を責め、後悔しました。

でも息子はゆっくりですが成長し、3歳を過ぎると歩けるようになりました。

今は就労支援を受けながら1人でバスに乗り、作業所に通い、

楽しそうに仕事をしています。

自分でできることも増えてきました。

私はそんな息子みてい思いました。

「他人と違うことに落ち込む必要は無い。

違いがあるからこそ、他人と違う視点を持っているんだから」

と。

2つ目の転機は、夫の突然の死でした。

今から12年前、急性の心筋梗塞でした。

当時、中学2年生の娘は反抗期の真っ只中で、些細なことで父親とケンカしていました。

娘はいつも最後に

「パパなんか大嫌い。死んじゃえばいいのに」

と言っていました。

夫が亡くなった日も、そうでした。

そんな私たちに大きな後悔が残りました。

それは、夫が生きている間に

「ごめんなさい」



「 ありがとう」

を言えなかったことです。

夫の死後、私たちはルールを決めました。

「『ありがとう』と『ごめんなさい』は、必ず24時間以内に言う」

です。

難しいのは「ごめんなさい」です。

この一言は、悔しいというか照れくさいというか、

なかなか言えません。

でも夫に誓って決めたルールですから、何としても伝えるようにしています。

命は永遠ではありません。

今日と同じ明日がくるとは限らないのです。

だからこそ大切な人に、後悔のないメッセージを伝えなきゃいけないのです。

夫は40歳の誕生日の数日前に亡くなりました。

「だから私たちはパパの意思を継ぎ、パパの分まで生きていこう」

と決め、私たちは、またスタートを切りました。


三つ目の転機はその3年後にやってきました。

突然私は「大動脈解離」という病気が襲ったのです。

救急搬送された病院で、先生が高校2年生の娘に告げました。

「お母さんが助かる確率は2割。

意識が戻る確率は、それ以下です」

と。

娘は先生に

「母の命を助けて下さい」

と泣いてすがりつきました。


10時間の手術後、幸運にも私は意識を取り戻しました。

でも病気の後遺症が残りました。

胸から下が麻痺し、寝返りも食事もトイレも、

何一つひとりではできない体になったのです。

閉ざされた病室の中で私は毎日

「死にたい」と考えるようになりました。

でも子供たちの前では必死でウソの笑顔を浮かべました。

ある時、病院の先生から

「そろそろ岸田さんも外に出る練習をしてくださいね」

と言われました。

娘は喜び

「ママと一緒にお洋服を見にいきたいし、カフェにも行きたい。

明日、予約しておくね」

と楽しそうな予定をたくさん立ててくれました。

私もワクワクした気持ちで出掛けました。

でも街に出ると坂道や段差や狭い道ばかりで、

「すみません」

「通してもらえますか」

とずっと謝らなければなりませんでした。

後ろで車いすを押す娘もずっと謝っていました。

「やっぱり私は、死んだほうがましだ」

と思いました。


夕食を食べるために入った店で私は娘に打ち明けました。

「ママはね、手術から今までずっと死ぬことばかり考えてきた。

これ以上生きているのはつらい。

もう死なせて」

「なんてこと言ってしまったんだ」

と後悔しましたが、

娘の気持ちまで考える余裕はありませんでした。

「娘に自分の本当の気持ちを打ち明けてから死のう」

と思っていたのです。

「『ママ、死なないで!』と娘はきっと泣きすがるに違いない」

と思っていました。

でも娘は、まるで私の言葉が聞こえていないかのように、まったく無反応でパスタを食べ続けました。

そして、娘は予想もしなかった一言を言いました。

「わかってる。ママが死にたいなら、死んでもいいよ」

私は驚きました。

「ちょっと待って。ここは『ママ、死なないで』の場面でしょ。

なぜ止めないの?」

でも、その後に気づきました。

「私の『死にたい』は、実は『生きたい』の気持ちの裏返しだったんだ」

と。

娘は続けました。

「ママはもう十分頑張ってる。

死にたいなら死んでもいいよ。

でもちょっとだけ待って。

今ママに死なれたら私は頑張れない。

もうちょっとだけ私を考えて。

そしたら今度は、私がママを大丈夫にしてあげる」

それは娘からの精一杯の励ましでした。

たとえ歩けなくても寝たきりでも娘にとっては私は母親なのです。

「歩けなるくてもできることがある」

と教えられました。


あの日、私は人生の再スタートを切りました。

それ以降は今の自分を受け入れ、

「できることを見つけて生きていこう」

と思えるようになりました。

そして今、私は「講師」という仕事を始めました。

車いすに乗った私の目線の高さは110センチです。

その高さからしか見えないもの、

車椅子である私にしか届けられないもの、

をこれから皆さんにお話ししていきたいと思います。


(「みやざき中央新聞」岸田ひろ美さんより)


アトリオ辻口さんの店の天然酵母のパン、ココナツオイルで焼いた玉子焼き、能登産ベビーリーフ、のサンドイッチ。味付けは塩だけ。
美味しい💕


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