体に語りかける②
英語で「病気」は「disease」と書きます。
「dis-ease」つまり、楽(easy)ではない(dis)状態です。
体が普通に動いていても、
心穏やかでない状態が長く続いていれば病気です。
怒りをため込んだり、自分を無力だと嘆いたり、
どうしようもない悲しみを引きずっていたりなど、
感情的なことがらに長く執着していると、
病名はつかなくとも、楽な状態ではありませんから、
「病気の状態にある」といえるでしょう。
実際、こうした状態が長く続くと、生命エネルギーがよどみ、自律神経のバランスが崩れ、体に病気を呼び込みます。
「今の自分の心の状態を見つめて」
と体がメッセージを送るようになるのです。
では、私たちは病気やケガをして何をしているのかというと、本当の自分を知ろうとしているのです。
本当の自分を知らないから病気になる。
病気になって、本当の自分を知ることで治る。
しばらく経つと、また違った本当の自分を知る必要が出てきて、
病気になる… 。
この繰り返しなのです。
病気と健康は両極端にあるように思いがちですが、
そうではありません。
生命エネルギーの滞りを解消するために人は病気になり、
自分本来の「楽な状態」に生命エネルギーの流れを戻すために、
体がサインを出しているのです。
つまり、アンバランスになった生命エネルギーを元の状態に戻そうとする体のプロセスこそ、病気の本質です。
「私はなぜ不安になっているんだろう?」
「なぜこんなに心配ばかりしているんだろう」
と、今ある心の詰まりに気づいて、
自分を楽な状態にしてあげる必要があるのです。
そういう私は、とても心配性な性分です。
心配の種をそのままにしておくと、自分が楽な状態ではなくなることがわかっているので、
その状態を取り除くために、勤務医時代は早朝6時には病棟に行って、まだ誰も出勤していないなか、
1日の準備をしたり、回診をしたりしていました。
「長田は熱心だ」
という人もいましたが、私にいわせれば、ただ自分の心配や不安をなくすためにしていた行動です。
私たちは生きている限り、さまざまな感情が生まれます。
そのなかには、不安、心配、怒り、悲しみ…など、目を背けたくなる感情もあるでしょう。
しかし、自分のネガティブな感情に気づいて、そこに目を向ける。
そんな日々の積み重ねが、
自分らしく、心を解放して生きることにつながり、
病気の状態(楽ではない状態)から脱することにつながるのです。
あなたは、「体の声」を聞いたことはありますか?
私は、いつも患者さんたちに次のように問いかけます。
「痛い理由を、腰に聞いてみましたか?」
「膝はどんなふうにいっていますか?」
「体はなんといってますか?」
まさかそんなこといわれると思っていなかった患者さんは、
「えっ?」
とけげんな顔をされます。
こう問いかけるのは、繰り返しになりますが、
体にあらわれている症状は、本当の気持ちを、痛みや病気という形であらわしていることが、ほとんどだからです。
たとえば、腰痛がひどくて会社に行けないから何とかしてほしい、と訴える患者さんが来た場合、
薬でその痛みを抑えることができるかもしれません。
けれども、それは本当の意味での解決にはなりません。
「では、腰痛が治らば、あなた、本当に幸せですか?」
そう聞くと、またけげんな顔をされるのですが、
そこを問いかけていくと、
本当の「答え」にたどりつきます。
「まもなく腰痛が治りますから、来週から会社に行けますね。
さぁ、これで幸せですね」
ちょっとしつこいくらいに問いかけます。
すると、
「実はね、会社に行きたくないんですよね。
また、あの上司と顔を合わせると思うとゆうつで…」
などと、患者さんはポツリポツリと話し始めます。
「なぜ会社に行きたくないのですか?」
とお聞きすると、
「売り上げだけで評価されて、日々のがんばりは考慮されないから」
とか
「何をいっても否定的な答えしか返ってこない」
「そんな毎日のなかで自分に自信が持てない」。
そんなふうに、本質的な "痛み" に気づきはじめるのです。
つまり、体は、心の中に閉じ込められていた本当の「つらさ」を、腰痛という体の痛みを引き起こすことで代弁してくれていたのです。
体はいつも「本当のつらさに気づいて!」と声をあげているのです。
体が私たちに与えてくれる計らいはそれだけではありません。
「腰痛がひどいから会社に行けない」という口実をつくって、
会社に行きたくない、という望みまでもかなえさせてくれているのです。
ですから、なぜ痛みが出ているのか、という本質的なことを知ろうとしないまま、
ただ薬で痛みをなくすという「もぐらたたき」のようなことをしていると、
今度は違うところに、その「つらさ」があらわれます。
実際、私が医者になってから、地方の総合病院に勤務していたときにこんなことがありました。
半年ほど前に骨折をして治療に来ていた患者さんを、他の科の待合室で見かけたのです。
私は、患者さんに、
「どうしたんですか? どこか具合でもよろしくないのですか?」
と話しかけました。
それと、
「先生のおかげで骨折は治りましたが、今度は腎臓の病気が見つかって…」
といわれます。
骨折は治ったものの、今度は別の病気で再び病院通いをしているというのです。
私の知る限り、そんな方は意外にも多かったのです。
なぜだろう。
せっかく骨折が治って健康に暮らせるはずだったのに、どうしてだろう。
不思議に思っていました。
今なら、それは心が語りかけている「本質のつらさ」を理解していないため、
体からのメッセージとして症状が繰り返されているということがわかります。
しかし、当時の私は、日々湧き出てくる違和感や疑問は、
自分の医師としての未熟さのため、と思い、
現代医学の知識を積み重ね、
より多くの経験を積み、技術を磨くことで、
きっと答えは見つかると思っていました。
現代の医療の世界では、医者も患者も双方ともが、体の声を聞かずに、無視しているのが現状です。
今では、毎日たくさんの患者さんと向き合うたびに、
体ほど正直なものはないと痛感します。
どのケースも、心の声を体であらわしていることを実感させられる毎日です。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
英語で「病気」は「disease」と書きます。
「dis-ease」つまり、楽(easy)ではない(dis)状態です。
体が普通に動いていても、
心穏やかでない状態が長く続いていれば病気です。
怒りをため込んだり、自分を無力だと嘆いたり、
どうしようもない悲しみを引きずっていたりなど、
感情的なことがらに長く執着していると、
病名はつかなくとも、楽な状態ではありませんから、
「病気の状態にある」といえるでしょう。
実際、こうした状態が長く続くと、生命エネルギーがよどみ、自律神経のバランスが崩れ、体に病気を呼び込みます。
「今の自分の心の状態を見つめて」
と体がメッセージを送るようになるのです。
では、私たちは病気やケガをして何をしているのかというと、本当の自分を知ろうとしているのです。
本当の自分を知らないから病気になる。
病気になって、本当の自分を知ることで治る。
しばらく経つと、また違った本当の自分を知る必要が出てきて、
病気になる… 。
この繰り返しなのです。
病気と健康は両極端にあるように思いがちですが、
そうではありません。
生命エネルギーの滞りを解消するために人は病気になり、
自分本来の「楽な状態」に生命エネルギーの流れを戻すために、
体がサインを出しているのです。
つまり、アンバランスになった生命エネルギーを元の状態に戻そうとする体のプロセスこそ、病気の本質です。
「私はなぜ不安になっているんだろう?」
「なぜこんなに心配ばかりしているんだろう」
と、今ある心の詰まりに気づいて、
自分を楽な状態にしてあげる必要があるのです。
そういう私は、とても心配性な性分です。
心配の種をそのままにしておくと、自分が楽な状態ではなくなることがわかっているので、
その状態を取り除くために、勤務医時代は早朝6時には病棟に行って、まだ誰も出勤していないなか、
1日の準備をしたり、回診をしたりしていました。
「長田は熱心だ」
という人もいましたが、私にいわせれば、ただ自分の心配や不安をなくすためにしていた行動です。
私たちは生きている限り、さまざまな感情が生まれます。
そのなかには、不安、心配、怒り、悲しみ…など、目を背けたくなる感情もあるでしょう。
しかし、自分のネガティブな感情に気づいて、そこに目を向ける。
そんな日々の積み重ねが、
自分らしく、心を解放して生きることにつながり、
病気の状態(楽ではない状態)から脱することにつながるのです。
あなたは、「体の声」を聞いたことはありますか?
私は、いつも患者さんたちに次のように問いかけます。
「痛い理由を、腰に聞いてみましたか?」
「膝はどんなふうにいっていますか?」
「体はなんといってますか?」
まさかそんなこといわれると思っていなかった患者さんは、
「えっ?」
とけげんな顔をされます。
こう問いかけるのは、繰り返しになりますが、
体にあらわれている症状は、本当の気持ちを、痛みや病気という形であらわしていることが、ほとんどだからです。
たとえば、腰痛がひどくて会社に行けないから何とかしてほしい、と訴える患者さんが来た場合、
薬でその痛みを抑えることができるかもしれません。
けれども、それは本当の意味での解決にはなりません。
「では、腰痛が治らば、あなた、本当に幸せですか?」
そう聞くと、またけげんな顔をされるのですが、
そこを問いかけていくと、
本当の「答え」にたどりつきます。
「まもなく腰痛が治りますから、来週から会社に行けますね。
さぁ、これで幸せですね」
ちょっとしつこいくらいに問いかけます。
すると、
「実はね、会社に行きたくないんですよね。
また、あの上司と顔を合わせると思うとゆうつで…」
などと、患者さんはポツリポツリと話し始めます。
「なぜ会社に行きたくないのですか?」
とお聞きすると、
「売り上げだけで評価されて、日々のがんばりは考慮されないから」
とか
「何をいっても否定的な答えしか返ってこない」
「そんな毎日のなかで自分に自信が持てない」。
そんなふうに、本質的な "痛み" に気づきはじめるのです。
つまり、体は、心の中に閉じ込められていた本当の「つらさ」を、腰痛という体の痛みを引き起こすことで代弁してくれていたのです。
体はいつも「本当のつらさに気づいて!」と声をあげているのです。
体が私たちに与えてくれる計らいはそれだけではありません。
「腰痛がひどいから会社に行けない」という口実をつくって、
会社に行きたくない、という望みまでもかなえさせてくれているのです。
ですから、なぜ痛みが出ているのか、という本質的なことを知ろうとしないまま、
ただ薬で痛みをなくすという「もぐらたたき」のようなことをしていると、
今度は違うところに、その「つらさ」があらわれます。
実際、私が医者になってから、地方の総合病院に勤務していたときにこんなことがありました。
半年ほど前に骨折をして治療に来ていた患者さんを、他の科の待合室で見かけたのです。
私は、患者さんに、
「どうしたんですか? どこか具合でもよろしくないのですか?」
と話しかけました。
それと、
「先生のおかげで骨折は治りましたが、今度は腎臓の病気が見つかって…」
といわれます。
骨折は治ったものの、今度は別の病気で再び病院通いをしているというのです。
私の知る限り、そんな方は意外にも多かったのです。
なぜだろう。
せっかく骨折が治って健康に暮らせるはずだったのに、どうしてだろう。
不思議に思っていました。
今なら、それは心が語りかけている「本質のつらさ」を理解していないため、
体からのメッセージとして症状が繰り返されているということがわかります。
しかし、当時の私は、日々湧き出てくる違和感や疑問は、
自分の医師としての未熟さのため、と思い、
現代医学の知識を積み重ね、
より多くの経験を積み、技術を磨くことで、
きっと答えは見つかると思っていました。
現代の医療の世界では、医者も患者も双方ともが、体の声を聞かずに、無視しているのが現状です。
今では、毎日たくさんの患者さんと向き合うたびに、
体ほど正直なものはないと痛感します。
どのケースも、心の声を体であらわしていることを実感させられる毎日です。
(「体に語りかけると病気は治る」 長田夏哉さんより)
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