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同じ服でもかまわない

2017-03-17 14:04:15 | お話
🌸🌸同じ服でもかまわな🌸🌸


ジョン・D・ロックフェラー三世(1906年〜1978年)は、
父のジョン・D・ロックフェラー・ジュニア(二世)の遺志を継いだ、大変な慈善家でした。

慈善活動を行うために母体となる財団を幾つも設立し、

公共、私立の文化、教育、医療機関などへの支援を熱心に行っていました。

その支援は、米国内にとどまらず、戦後のアジアとの文化交流を円滑化させるため、

アジア・ソサエティーを設立し、財政破綻をしていたジャパン・ソサエティーも復興しました。

巨万の富を得た一族の長男自らが、生涯を慈善事業に費やした、

桁外れのスケールの一端を、

その時代、アメリカで作品を発表していた私は、垣間見ることがありました。


ジョン・D・ロックフェラー三世のブランシェット夫人に、何回か食事に招かれ、

また、ジョン・D・ロックフェラー二世が寄贈したメトロポリタン美術館の別館、ハドソン河沿いのクロイスターズ美術館にも案内していただいたことがあります。

すばらしい庭園を抜けると、河岸には舟が係留されており、ハドソン河の遊覧を楽しむことができました。

マーク・ロスコ、ウィレム・デ・クーニングなど、当代の抽象表現主義の旗手といわれたが画家たちの絵、

そして、私の絵もクロイスターズ美術館に、当時保管されていました。

ブランシェット夫人もまた、慈善家として忙しく過ごすかたわら、

アジアのアート、そして近代アートの支援と収集を熱心に行っていました。

戦後まもない年から、積極的にニューヨークの近代美術館の運営に関わり、理事も務めていました。

彼女には施設のキュレーターが数名おり、

収集するアート作品の候補を選んでいました。

私の作品展のときもそうでしたが、最初は1人が観に来て、その人がいいと思ったら、2人目が観に来ます。

2人以上のキュレーターが推薦すれ、収集の対象となりました。

そのことを私が知ったのは、2人目が観に来たとき、たまたま私もギャラリーに居合わせたからでした。

ギャラリーのオーナーに、あの人はロックフェラー夫人のキュレーターだから、あなたはすぐに隠れて、と言われました。

美術批評家もそうでしたが、キュレーターもまた、作家に会うことで、作品への厳選な判断が損われることを嫌ったのです。

身を隠した私に、オーナーが事情を説明してくれました。


また、ニューヨークのリンカーンセンターで公演されたメトロポリタンオペラのボックス席に招かれたときのことでした。

リンカーンセンターは、ジョン・D・ロックフェラー三世が主軸の1人となって設立された総合芸術施設で、

のちに彼は、リンカーンセンターの会長、名誉会長に就任しました。

ボックス席は、ロックフェラー家が年間購入したもので、

ブランシェット夫人は、チェック柄のスーツ姿で現れました。

その前にお目にかかったときと、まったく同じ身なりでした。

当時、世界一のお金持ちと称されていた一族ですから、

私は、偶然、続いたのだと思い、

お付きの人に、

「ミセス・ロックフェラーは、よほどチェック柄のスーツがお気に入りなのですね」

と言いました。

すると、

「ミセス・ロックフェラーは、お気に召した洋服は、

同じものを、20着ぐらいはお作りになります」。


それを聞き、私は、これは話にならない、と思いました。

高級ブランドを取り換え引き換え着て装う次元ではない。

いつも同じ服、それでかまわなかったのです。

自分を見せびらかすという感覚がない。

乗せていただいた車もそうでした。

型が古く、オールドスタイルと言っていました。

しかし、エンジンは最新のものを搭載していました。


美術家がゆえに、私は、こうした世にも稀な人に会うことができたわけですが、

ジョン・D・ロックフェラー三世のご実家は、

世界の美しいアートや工芸品に囲まれていたそうです。

それは、ご自分たちが好きだったということもありますが、

子供たちが物心ついたときから、世界中の「美」に触れていれば、

おのずと、その「美」を生み出した文化とその人々に対して、

敬愛の念が培われるという、ご両親のジョン・D・ロックフェラー二世とアビー夫妻の教育信念によるものだったそうです。


美しいものは、多少の好みはありますが、

どの国の人も美しいと感じます。

そうした敬愛の念を抱けるものが地球上で増えれば増えるほど、

共通の心を持つ人は多くなり、

価値観の違いや自己の利益を第一にした戦争は少なくなっていく。

そう考えたのではないかと、私は思います。


(「103歳になってわかったこと」篠田桃紅さんより)

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