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我慢の意味

2016-10-22 11:17:55 | お話
🍀「我慢の意味(^_^)」🍀


「いろいろあった。しかしこの家がこれまで順調🌸に来れたのは、

私がずっと我慢😔し続けてきたからだ。
人生、1にも我慢😣、2にも我慢😣」

それなりにご苦労された方々からよく耳にする言葉です。🎵

暮らしの中ではそのような意味で使われています。🍀

ところでこの「我慢」と言う意味は本当は仏教語なのです。🌸

日ごろ使っている言葉🍀の意味とは全く異なっているのです。😄

そこで、仏教語の「我慢」の意味を尋ねてみましょう。🎵

「我慢」の「我」は自我の我。

「我慢」の「慢」は慢心の慢。

つまり我慢とは

「我に基づく慢心」

を意味しているのです。🍀

仏教語🌸とは、

すべての人々に向かって、

どうかこの点を見失わずに人生を丁寧に生き通してほしい、

と呼びかけてくださっている言葉です。

したがって、
ここでは、自我に基づく慢心(我慢)に気づいてください。

そして、自分の思い込みを破って、

どこまでも、より深く豊かな人生を歩み通してください、

という自覚を呼びかける仏さま☀️からのメッセージなのです。🍀

さて、
我慢とは「自我に基づく慢心」ですが、

まず私たちには「自我(我)」ということがよくわからないのです。

なぜかというと、

自我(我)とは、私たちの意識の奥底🌸にはたらいていて、

自分の都合⚡️を作り出している根であります。

意識の奥底🌸にはたらいていますので私たちは気づかないのです。

自分が身勝手🌸な存在であるなどとは自分自身で解りようもありません。

だから仏さま☀️の呼びかけに出会うことが大切🍀なのです。


つぎに「慢心」とは、他と比較🌸する心💓なのです。

私たちは周りと比較して、
他より優れている💎とか、他より劣っている😵とか思ってしまい、

時には優越感🌟💕に浸って有頂天😍になってみたり、

また、ある時には劣等感😵にさいなまれて落ち込んで☔️☔️みたりします。

しかしその優越感と劣等感は同根であり、

ともに、日ごろの心💓では気づかない我慢🌸と言う根を持っているのです。

つまり自分の思い込みを根としているのです。

本来人間🍀の存在🌸に優劣というのはないのです。☀️

ところが人間🍀の思い込みに基づく比較する心💓、つまり我慢が人間🍀を縛っているのです。

そこで私たち人間は、人間として気づかなくてはならない事が、二つあることが知らされてまいります。

1つは、

人間はみんな比較🌸を超えて無上🌟なる自己🌸をいただいて生きて🍀いるということ。☀️

2つは、

その無上🌟なる自己🌸に気づかなくてはならないのに、
気づこうとともせず、鈍感😵にすませている自分自身があり、その根を尋ねること。

つまり根を尋ね💕、自我🌸に基づく慢心(我慢)の深さに気づくことで、

人は独断⚡️を破って、さらに人生🍀を歩み👟👟続ける者になるのです。

誠に、我が歩(あゆみ)の壁💢は、ほかならず自分自身🍀にあるのです。😄☀️


(2014年「真宗の生活」より)

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