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ごったくや①

2017-04-17 11:14:58 | お話
🏠ごったくや🏠①


夕方、私が散歩から帰ってくると、小料理屋「澄川」の娘の "おせい" ちゃんが肩を振りながら小走りに来て、私を呼び止めた。

おせいちゃんは20歳ぐらいで、体も痩せているし、そほおもての、かなり器量よしであり、私たちは近所づきあいの仲であった。

「先生、まだ晩ごはん食べてないでしょ」

とおせいちゃんが云(い)った。

私はあいまいな声をだした。

「何もしないでよ」とおせいちゃんが云った、

「今夜うんとご馳走するからね、ごはんも炊いちゃだめよ」

そして、彼女は狡(ずる)そうに笑って、
あとで面白い話をしてあげるわと云い、

くるっと身をひるがえす、小さな肩を振りながら、蒸気河岸(がし)のほうへ去った。

私はそのうしろ姿を見送りながら、

「 "かも" が捉まったな」

と独りごとを呟(つぶや)いた。


それよりまえ、私が初めて浦粕(うらかす)町へスケッチにやって来たとき、

ここでちょっと、断っておきたいのだが、

そのころ私は、どこかへでかけるとき、しばしば写生帳とコンテを持っていって、その土地の風景を描いたものであった。

これは絵の勉強のためではなく、スケッチをすると、その土地の風景の特徴をとらえることができるからで、

人物のクロッキーなどもかなり残っているが、…

そういうわけで、Y新聞の演芸部の記者だった友人を誘って浦粕へやって来、

沖の百万坪や町筋や、舟の並んでいる堀などをスケッチしたあと、ひるめしを食べるために、一軒の店へはった。

看板には、

「御休憩とお中食、天丼、トンカツ」

などと書いてあったが、

座敷へとおされてみて、こいつはいけない、と私は思った。

というのが、それより2週間ばかり前に、画家の池部 鈞(ひとし)さんから聞いた話を思いだしたのである。

池部さんがまだ美校に在学中だったころ、

写生旅行かなにかの帰りに、宇都宮かどこかで、汽車を待つあいだに食事をした。

見かけはありふれた田舎食堂のような店だったが、すすめられて座敷へあがると、

白粉(おしろい)臭い女たちがあらわれて、なにも注文しないのに、酒だのビールだのを持って来、おのおの景気よく飲んだり食べたりした。

学生である池部さんには、それらが自分と無関係なのか、それとも関係があるのか判断がつかなかった。

なにしろ美校の学生とくると、できるだけ汚い風態をするのが自慢だったから、

どう見そこなっても、ふところを狙われる心配はない、と池部さんは思った。

ところが、勘定の段になると、白粉臭い彼女たちの飲み食いした物が、残らず池部さんのふところに噛みついたものであり、

その取立てには些(いささ)かの容赦もなかった、ということであった。

田舎はおっかねえからな、

とそのとき池部さんは明るく面白そうに笑って、私に注意してくれた。

君もよく気をつけたほうがいいぜ。


それを思いだしたので私は、声にも屹(きつ)とした感じをあらわし、ビール1本と2人の食事を注文したうえ、

「それだけである」ことを繰り返した。

あとで考えると、それは蒸気河岸から堀について曲がった左側の「栄屋」という店であり、

半年ほどのち、私が町へ住みついてからは彼女たちとも親しく口をきくようになった。

そうなってみると、 "ごったくや" の女と呼ばれる彼女たちが、

みな神の如く無知であり単純であり、

絶えず誰かに騙されて苦労していながら、

その苦労から抜け出すと、すぐにまた騙されるという、

朴訥(ぼくとつ)そのもののような女性たちであることがわかった。


けれども、そのときは、まだその間の事情が不明だったので、おさおさ警戒を怠らなかったのである。

はたせるかな、と云ってもいいだろうが、私と友人が坐るとまもなく、潮やけのした逞(たくま)しい体躯の女性が3人、手に手にビールを二本ずつ持ってあらわれた。

ちょっと待った、、

と私は片手をあげて云った。

そこでちょっと待ってくれ。


彼女たちは廊下で立ち停まった。

よし、と私は云った。

そこでビールを下に下に置いてくれ、
みんなだ、いや、みんな持っているのを下に置くんだ。

彼女たちは、げらげら笑い、私がなにか珍しい芸当を演じてみせるとでも思ったらしく、

左右の手に持っているビール壜(びん)を、いさみ立ったような身ぶりで下に置いた。

私はむろん芸当などしてみせるつもりはない、

右側にいる小柄な女中に向かって、

君がビール1本だけ持ってこっちへ入って来い、

「君だけ」であり、ビールは「1本だけ」であり、

ほかのお嬢さんもビールも絶対に不要である、

と極めて明確に宣言した。


まぁ、この人は、と選ばれた小柄な1人が云った。

そんな憎ったらしいこと云って承知しねえだぞ。

そうして、こっちへ踏み込んで来ると、私を押し倒して馬乗りになった。

両手で私の手を押さえ、両の腿(もも)で私の胴を、そしてその腰部で私の腰部をというぐあいに、

字義どおりの馬乗りであって、

若い女性からそんな挑戦を受けたことのない私は、この屈辱的な姿態の恥ずかしさに狼狽し、

はね返そうとして、できるだけのことをやってみた。

あとで聞いたところ、彼女は16歳だそうで、

しかも五尺そこそこの短躯であるのに、

信じられのほど逞しい固太りの腕や、火のように熱い太腿の力は無類なもので、

私のあらゆる反抗に対して、びくともしなかった。

上のように周到な手順と力闘の労によって、

私たちは、ようやく一本のビールと食事だけで難をのがれることができた。

つまり、「かも」にはならなかったのであるが、

話を元に戻すと、「澄川」のおせいちゃんのうしろ姿を見送りながら、

私はこのときのことを思いだしたのであった。


やがて根戸川亭の出前持ちが、3皿の料理とホワイト・ライスを届けて来た。

私は良心に咎められたろうか、

どう致しまして、常にさみしいふところを抱えて飢えていた私は、

"ごったくや" 如きの "かも" になるような男には、

拍手こそしなかったが、同情するほどの気持ちもなかった。

3皿の料理がなんであったか記憶はないけれども、

私は籠屋の "おたま" にその1皿を持っていってやり、

あとはきれいに独りでたいらげて、
いいこころもちで眠ったように覚えている。

おせいちゃんは、「あとで面白い話をしてやる」と云ったが、

詳しいことを聞いたのは翌日の夜、11時ころのことであった。

私は原稿を書きあぐんで、机に凭(もた)れたままぼんやりと、

この世の生きがたいことや、将来の不安などについて、無益なものおもいに浸っていると、

土堤(どて)のかなたから自動車の音や、女たちの賑やかな声がかすかに聞こえて来た。

べつに気にもとめなかったが、まもなく戸口でおせいちゃんの呼ぶ声がした。

彼女はよそ行きの支度をし、白足袋をはき、赤い顔に幸福そうな笑いをうかべながら、

土産物の包みを私に渡して、机の脇へ坐(すわ)った。

彼女の息は酒臭かったが、そんなことは、初めてであった。

「まだ勉強してるの、えらいわね」

と彼女はまず子供騙しのようなことを、少し実感もない調子で云った。

「そのお土産あけなさいよ、

先生は東京だから知ってるでしょう

ねえ、あけてみなさいよ」

私は云われるとおりにした。

包紙の中からは、しゃれたレッテルを貼った朱色の壜(びん)が現れた。

それは、5種類に加工した豆と "あられ" の混じった菓子で、

レッテルには俳優の紋や、顔の隈(くま)取りなどがちらし模様になっていた。

「品物は五色豆よ」と彼女が云った、

「でも、ほかになんとか云う名があるでしょ」

私が答えると、

彼女はまた幸福そうに喉(のど)で笑った。

「うまいじゃないの、 "おのろけ豆" だなんて、かっちゃんのお土産」

と彼女は云った、

「ああ、くたびれちゃったわ」

こうして、おせいちゃんは話し始めた。


昨日の "かも" は3人伴(づ)れて来た。

外交員が集金人のようにみえ、午(ひる)さがりにあらわれて大いに景気をあげた。

3時すぎたころに帰ることになったが、中の1人が残ると云いだした。

その男が3人の中でも "はばきき" らしく、おかっちゃんは初めから派手に、「モーション」をかけていた。

それが功を奏したのだろう、
他の2人は帰ったが、その "かも" は残った。

「それだけならいいんだけれど」

とおせいちゃんが云った、

「1人になるとすぐにさぁ、その男ったら、がま口から100円札を出してみせびらかすじゃないの、

おかっちゃんの、気をひこうとしたんだろうけれど、ばかばかしい、

まるで車曳(くるまひ)きが、こんにゃく屋へ飛び込んだようなもんよ」

べつの章でも書いたように、この土地の人たちは好んで俚諺(りげん)や譬(たとえ)え話を引用する。

それもしばしば独り合点や、記憶ちがいや、自分勝手に作り替えられるので、

よその者には理解できないことが少なくない。

この場合も、私にはその意味がわからなかったのが、おせいちゃんの説明によると、

車曳きは足が達者であって、それがこんにゃく屋へ飛び込めば、

「すぐにその達者な足を使われる」

つまり "おあし" を使われる、という "しゃれ" だそうであった。

「ここんとこ、ずっと、しけてたでしょ」

とおせいちゃんは続けた、

「だから、さぁ、やってやれってことになったのよ」


(つづく)

(「青べか物語」山本周五郎さんより)

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