🌸🌸鈴木大拙🌸🌸②
🔸岡村、上田先生と大拙先生がお会いになった日のことは、私もよく覚えております。
軽井沢にお見えになったんですよね。
🔹上田、はい。臨在禅師千百年遠諱(おんき)法要が行われた昭和41年だったと思います。
禅文化研究所の依頼で大拙先生のお話をお伺いする、またとない機会を与えていただきました。
私はまだ30代と若かったものですから、
怖じ気づくような気持ちを抱えながら軽井沢へとまいりました。
しかし、先生のお姿を拝見した途端、
いろいろなモヤモヤが一瞬で消えてしまって、
実に自由な気持ちでお話をさせていただきました。
これは本当に貴重な経験でしたね。
私は大拙先生とお会いする前、先生の書物をたくさん読んでいたんです。
しかし、本を読んで知識を蓄えていることと、謦咳(けいがい)に接することとは大きく違います。
実際に会ったときの衝撃、
これは大変なものなんですね。
一目見ただけで、時に考え方が大きく変わってしまう。
私の場合、大拙先生との出会いはまさにそうでしたね。
🔸岡村、その時、大拙先生と上田先生は『臨在録』にある「人(にん)」という言葉についてお話し合いされたように記憶しておりますが、
最初から調子よくお話が進んだことが私も大変印象的でした。
🔹上田、詳しい内容は忘れてしまいましたが、禅では人を「にん」と読む伝統があるんです。
「ひと」と言うと生物の一種のような感覚があるわけですが、人(にん)という言葉には生きた働きがある。
これは理屈で説明できるものではありませんので、
伝えるのがなかなか難しいところではあります。
私は大拙先生という本物の人(にん)に触れて、
私も人(にん)になり得る可能性が開かれたという意味でも、
素晴らしい出会いだったと思っています。
そういう出会いというものは一生のうちに2、3回あるかないかでしょう。
しかも、それはこちらから求めて得られるというものではない。
それにいろいろな意味で因縁が重なって生まれたのだと思います。
🔸岡村、上田先生は、もともと西田幾多郎先生のお弟子さん・西谷啓治先生の門下でいらっしゃいますよね。
🔹上田、ええ。西田先生の孫弟子ということになります。
ご存知のように大拙先生と西田先生は生涯の友人です。
お二人で1つの人格と言えるくらい、お互いに強く影響し合っておられます。
西田先生は秋霜烈日と言うべき激しさをお持ちだったそうですが、
大拙先生はそういうものを全く感じさせない温かいお人柄でした。
私はそういう大拙先生に魅せられ、その後、先生についての研究をするようになるのですから、
縁とは不思議なものだと感じております。
🔸岡村、いまの上田先生の人(にん)のお話を聞きながら思い出したのですが、
宗教という言葉は漢文にはないそうですね。
宗教とは黒船が来て以来、外語を日本に翻訳した言葉だと伺ったことがあります。
🔹上田、おっしゃるとおりです。
🔸岡村、宗教というと、何か集団や人集めのようなものをイメージしてしまいますが、
東洋でいう宗教は集団ではありません。
一人なんです。
禅で言うところの人(にん)。
ここが大切なところではないかと思うんです。
私たちの社会は一人ひとりの集まりですが、
全体を数として見るのではなく、
一人を見ることが同質のすべての人を見ることに繋がるという発想が東洋にはあったわけです。
ですから、西洋でいう宗教という言葉自体が東洋には必要なかったのかもしれません。
🔹上田、日本の場合、その宗教に当たるのが「道」という言葉でしょうね。
これは、私たちが歩むべきものであり、
歩むことによって道になる。
また、道があるから私たちは私たちであり得るし、
私たちが私たちであるから道は連綿として続いていく。
大拙先生や西田幾多郎先生が生涯求め続けられたものを端的に表現すると、
この「道」ということになるのではないでしょうか。
西洋でいう人間と神という関係性が、
東洋の伝統の中では「道」という言葉で示されています。
この「道」を人間と神という捉え方をしてしまうと、
どうしても相対的になってしまいます。
🔸岡村、自と他に分かれてしまうんですね。
東洋思想はすべてが自と他が分かれる前の「大本(おおもと)」を捉えて確認することです。
そういえば、大拙先生の好きな言葉の1つが「無」でした。
無といっても有、無という相対関係における無ではなく、
絶対の無なんです。
東洋思想では無に有があり、有に無があって、決して矛盾、対立するのではないんですね。
自、他の関係も同様で、自は自だけで存在しているのではなく、他が同時にある。
自他不二が東洋思想の根幹にあるわけです。
私は以前から上田先生にお聞きしたいことがあったのですが、
人間が抱えるいろいろな問題は意識の進化によって起きると東洋思想では教えているように思います。
そういう捉え方で間違いないでしょうか。
🔹上田、意識の進化によって問題が発生する、そう考えて間違いありません。
🔸岡村、私なりに考えるところを述べさせていただきますと、
人間は他の生物と比べて一足先に意識が変化しました。
そこで何が起きたかというと、
物事を主観と客観に分けて捉えるようになったんです。
物事を客観化にすることで言葉や知識が発達し、
科学も技術も進歩して便利な世の中になりました。
しかし、半面、自我をも発達させてしまったことで
「自分はあなたじゃない」
「あなたは自分ではない」という分離を生んでしまったんです。
つまり、1番の問題点は大本の部分。
主観と客観に分かれる前の一切すべてという世界が分からなくなってしまったことです。
一切すべてという世界が見えにくくなって、
分かれた先ばかりを見るようになってしまった。
そこに生じるのが対立であり競争であり戦争です。
東洋の「道」というものは、
この分かれる前の世界をもう一度、認識しなさいと、
そのことを説いているように思うんです。
大拙先生の思想もそういう不二性の考えがベースになっているのではないかと。
🔹上田、美穂子さんのご説明、全くその通りです。
東洋の言葉には現代にも通じる
「自覚」という言葉がありますね。
しかし、その自覚は自意識とは全く違うんです。
自意識は自分というものに囚われて、一切という世界が見えなくなってしまいます。
ところが、自覚というものは、
その自意識をポンと突き破って開かれてくる。
自分が開かれると同時に、一切という世界がはっきりと見えてくるんです。
(つづく)
(「致知」6月号 岡村美穂子さん上田閑照さん対談より)
🔸岡村、上田先生と大拙先生がお会いになった日のことは、私もよく覚えております。
軽井沢にお見えになったんですよね。
🔹上田、はい。臨在禅師千百年遠諱(おんき)法要が行われた昭和41年だったと思います。
禅文化研究所の依頼で大拙先生のお話をお伺いする、またとない機会を与えていただきました。
私はまだ30代と若かったものですから、
怖じ気づくような気持ちを抱えながら軽井沢へとまいりました。
しかし、先生のお姿を拝見した途端、
いろいろなモヤモヤが一瞬で消えてしまって、
実に自由な気持ちでお話をさせていただきました。
これは本当に貴重な経験でしたね。
私は大拙先生とお会いする前、先生の書物をたくさん読んでいたんです。
しかし、本を読んで知識を蓄えていることと、謦咳(けいがい)に接することとは大きく違います。
実際に会ったときの衝撃、
これは大変なものなんですね。
一目見ただけで、時に考え方が大きく変わってしまう。
私の場合、大拙先生との出会いはまさにそうでしたね。
🔸岡村、その時、大拙先生と上田先生は『臨在録』にある「人(にん)」という言葉についてお話し合いされたように記憶しておりますが、
最初から調子よくお話が進んだことが私も大変印象的でした。
🔹上田、詳しい内容は忘れてしまいましたが、禅では人を「にん」と読む伝統があるんです。
「ひと」と言うと生物の一種のような感覚があるわけですが、人(にん)という言葉には生きた働きがある。
これは理屈で説明できるものではありませんので、
伝えるのがなかなか難しいところではあります。
私は大拙先生という本物の人(にん)に触れて、
私も人(にん)になり得る可能性が開かれたという意味でも、
素晴らしい出会いだったと思っています。
そういう出会いというものは一生のうちに2、3回あるかないかでしょう。
しかも、それはこちらから求めて得られるというものではない。
それにいろいろな意味で因縁が重なって生まれたのだと思います。
🔸岡村、上田先生は、もともと西田幾多郎先生のお弟子さん・西谷啓治先生の門下でいらっしゃいますよね。
🔹上田、ええ。西田先生の孫弟子ということになります。
ご存知のように大拙先生と西田先生は生涯の友人です。
お二人で1つの人格と言えるくらい、お互いに強く影響し合っておられます。
西田先生は秋霜烈日と言うべき激しさをお持ちだったそうですが、
大拙先生はそういうものを全く感じさせない温かいお人柄でした。
私はそういう大拙先生に魅せられ、その後、先生についての研究をするようになるのですから、
縁とは不思議なものだと感じております。
🔸岡村、いまの上田先生の人(にん)のお話を聞きながら思い出したのですが、
宗教という言葉は漢文にはないそうですね。
宗教とは黒船が来て以来、外語を日本に翻訳した言葉だと伺ったことがあります。
🔹上田、おっしゃるとおりです。
🔸岡村、宗教というと、何か集団や人集めのようなものをイメージしてしまいますが、
東洋でいう宗教は集団ではありません。
一人なんです。
禅で言うところの人(にん)。
ここが大切なところではないかと思うんです。
私たちの社会は一人ひとりの集まりですが、
全体を数として見るのではなく、
一人を見ることが同質のすべての人を見ることに繋がるという発想が東洋にはあったわけです。
ですから、西洋でいう宗教という言葉自体が東洋には必要なかったのかもしれません。
🔹上田、日本の場合、その宗教に当たるのが「道」という言葉でしょうね。
これは、私たちが歩むべきものであり、
歩むことによって道になる。
また、道があるから私たちは私たちであり得るし、
私たちが私たちであるから道は連綿として続いていく。
大拙先生や西田幾多郎先生が生涯求め続けられたものを端的に表現すると、
この「道」ということになるのではないでしょうか。
西洋でいう人間と神という関係性が、
東洋の伝統の中では「道」という言葉で示されています。
この「道」を人間と神という捉え方をしてしまうと、
どうしても相対的になってしまいます。
🔸岡村、自と他に分かれてしまうんですね。
東洋思想はすべてが自と他が分かれる前の「大本(おおもと)」を捉えて確認することです。
そういえば、大拙先生の好きな言葉の1つが「無」でした。
無といっても有、無という相対関係における無ではなく、
絶対の無なんです。
東洋思想では無に有があり、有に無があって、決して矛盾、対立するのではないんですね。
自、他の関係も同様で、自は自だけで存在しているのではなく、他が同時にある。
自他不二が東洋思想の根幹にあるわけです。
私は以前から上田先生にお聞きしたいことがあったのですが、
人間が抱えるいろいろな問題は意識の進化によって起きると東洋思想では教えているように思います。
そういう捉え方で間違いないでしょうか。
🔹上田、意識の進化によって問題が発生する、そう考えて間違いありません。
🔸岡村、私なりに考えるところを述べさせていただきますと、
人間は他の生物と比べて一足先に意識が変化しました。
そこで何が起きたかというと、
物事を主観と客観に分けて捉えるようになったんです。
物事を客観化にすることで言葉や知識が発達し、
科学も技術も進歩して便利な世の中になりました。
しかし、半面、自我をも発達させてしまったことで
「自分はあなたじゃない」
「あなたは自分ではない」という分離を生んでしまったんです。
つまり、1番の問題点は大本の部分。
主観と客観に分かれる前の一切すべてという世界が分からなくなってしまったことです。
一切すべてという世界が見えにくくなって、
分かれた先ばかりを見るようになってしまった。
そこに生じるのが対立であり競争であり戦争です。
東洋の「道」というものは、
この分かれる前の世界をもう一度、認識しなさいと、
そのことを説いているように思うんです。
大拙先生の思想もそういう不二性の考えがベースになっているのではないかと。
🔹上田、美穂子さんのご説明、全くその通りです。
東洋の言葉には現代にも通じる
「自覚」という言葉がありますね。
しかし、その自覚は自意識とは全く違うんです。
自意識は自分というものに囚われて、一切という世界が見えなくなってしまいます。
ところが、自覚というものは、
その自意識をポンと突き破って開かれてくる。
自分が開かれると同時に、一切という世界がはっきりと見えてくるんです。
(つづく)
(「致知」6月号 岡村美穂子さん上田閑照さん対談より)