Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

グァテマラのガリフナ族のお祭り

2007年02月15日 | 2005年からの過去のブログ(旧名:「グァテマラから」)

 先住民が占める人口の割合は、ここグァテマラでは六割とも七割とも言われるが、先住民といっても二十数余りのサブ・カテゴリーに別れる。昨今、「グリンゴgringo」という新たな民族が加わったという冗談を観光地では耳にするが、これはつまりグァテマラ観光の活性化とともに流入著しい先進国からの旅行者「グリンゴ(ヤンキー、といった揶揄的な呼称)」を指している。

 さて、先住民のほとんどはマヤ系で、モンゴロイド系人種の日本人などとよく似ているのだが、カリブ海側に行けばガリフナという黒人系の先住民──時にこの言い方に問題あるのは承知している。元来そこにはおらず連れてこられたという意味では彼らは先住民ではない。こういうヨコヤリへの牽制はできるだけこのブログでは避けることにする──が暮らしているのだが、2000年11月末のある早朝、小さな村の朝誰もいないメイン通りにナカタは友人と二人、ポツンと立っていた。友人とは山間部サンペドロ村のマヤ系先住民で、彼の「ガリフナの毎年恒例のお祭りがあるのだが見に行かないか」という提案でボクたちは丸一日バスに乗ってやってきた。『地球の歩き方』などの観光ガイドにはそんなこと一言も書いていない。こいつの「たぶん・・・やってるはず」だけが頼りだった。地元の情報によれば早朝からこのメイン通りで乱痴気騒ぎが練り歩くらしい。しかしその光景は、中米どこにでもある海辺の、潮の匂いと鶏の鳴く静かな早朝のそれであった。

 

 「オイ、ビセンテ」「何だ」「その祭り、デカいんだろうな」──二日酔い程にも抜けていない酒気にタバコを吸いながら、ナカタは通りの先の海を見つめていた。その通りは先が下り坂だったのだが、15分くらいボーッとしてたら何やらモサモサ、小さな森が現れた。

 そこからの出来事を、ナカタは本当に口をポカーンと開けて見ていただろう。タバコの灰はポロポロと零れ落ちていたことだろう。その「小さな森」は、徐々に坂を上りこちらに近づいてくるにつれ、その全貌を顕す。約20人くらいだろうか。それはバナナやヤシの葉で自らを仮装したガリフナの住民たちの乱痴気集団だったのだ。太鼓を鳴らし、歌を唄い。片手には1リッターのビール大瓶か、エチルに水道水を混ぜたとしか思えない合成酒。そしてもう片手にはソーセージ程のでっかいマリファナのジョイント。まさに、ガチャガチャ音楽をたててガンジャの煙を燻らせる木々のお化けたち、という感じだった。

 ナカタの記憶では(それもまだ全然酔っぱらいの)、それが通ったら宴の開始だったと思う。たちまちそこは飲めや歌えやの大騒ぎとなった。ナカタもしばらくはパイナップルを頭に乗せて踊りに飛び入りしたりしていたのだが、酒が回ってきて勝手にその辺の軒先にある椅子に座っていた。すると60歳くらいのオバァちゃんがナカタの隣に座ってきた。

 手にはケツァールテカ(グァテマラを代表する合成安酒)。ナカタにニコっと笑って差し出す。このゲロゲロの二日酔い状態でこのクソ安酒!。「胃に入ってくれ!」という願いとともに流し込む。どうやら胃まで落ちてくれたようだ。亡・中島らも先生がよく使っていた表現だが「胃にポッと火が付く」。

 そしてオバァちゃん「どこに泊まっているのか」と聞いてくる。「そこの通りを降りたところのホテルだ」。するとそのバァちゃん。手をグーにして顔の前でヤラしく動かす。もちろん親指は人差し指と中指のあいだからニョキっとでている。「ヤリに行こうや」──冗談じゃない。そのような現地調査は契約に入っていない。

 しかしこのガリフナという民族。本当に酒に強い。そのままその日は午前中いっぱい、あちこちで飲まされまくり、午後はバッチコ昼寝。夜に起きてもまだ街中が乱痴気騒ぎ。で、夜中まで続き、次の日はまったく通常営業。オイ、昨日どれだけ飲んだんだ。マヤ系のその友人も驚いていた。モンゴロイド系のマヤは酒に弱い。「サン・ペドロであんな祭りがあったら次の日は道路のあちこちに間違いなくバカがいっぱい寝てるんだが」。まったくその通りだ。

 

 経済的な急成長を遂げるメキシコ。そのウマい汁をたっぷり注ぎ込み、ますます豪華に膨張するビーチリゾート地カンクン。ガリフナたちの暮らす地域とは、コロンビアとこのカンクンとの、そして北米マイアミとの間にある。それはつまり、洒落にならない量のコカインやアシッドがこれら地にも容易に持ち込めるということである。

 騒いでいる者たちも、それを見ている者たちも、その乱痴気が宴のハレによるものか、クスリのそれによるものか。その割合は近年とくに変化しているだろう。

 

 このように、グァテマラ観光産業を支える「先住民」という「商品」をめぐる問題として考えれば、ガリフナたちもマヤたちと同じ「先住民」問題を抱えているといえよう。だが、このガリフナを「21のサブカテゴリーのひとつ」として他のキチェやカクチケルなどと、いつから並列に置くようになったのだ。

 

 M.A.アストゥリアスの幻想的な小説であれ、M.パジェーラスの叙述的な詩であれ、それらのトーンやリズムは、一方でのカリブの例えばクレオール文学などのそれとはおよそ似ても似つかないのは一目瞭然。ガリフナもグァテマラ現代社会のマイノリティ集団ならば、「先住民」という位置を足がかりに、外部の抑圧的な力に抗していくことはひとつの有力な戦略である。だがその時には、もはや何か発しなくなった言葉があるかもしれない。

 

Can the subertern speak? 従属階級は話すことができるのか?──スピヴァク

 

 リビングストンにはタパードというガリフナの伝統料理がある。ココナッツミルクのスープにカニや魚など魚介類をふんだんに放り込んだものだ。DF「築地」の海産物スープと並んで絶対に見逃してはならないメソアメリカ二大スープとナカタは定義している。「美食は人を黙らせる」──リビングストンのタパードをだす食堂こそがふさわしい。だが、黙々とカニをせせるその際には、その海産物にカリブの豊かな自然とこうしたマイノリティたるガリフナの置かれた同時代史を感じ取ってみてほしい。

 それこそがこのスープの最大の隠し味である。

 

  



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