Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

グァテマラの高級私立大学

2008年04月10日 | 2005年からの過去のブログ(旧名:「グァテマラから」)

 

 さて、今年の正月明け。グァテマラに「帰国」したナカタは、早速フラリと招聘研究員としてお世話になっているグァテマラ社会科学振興協会(AVANCSO)に年始挨拶がてら顔を出した。同じセクションにはアナという研究員がいるのだが、彼女から特別講義の依頼を受けた。彼女が非常勤で教鞭を執る大学の一回生に、人類学とはいかなるものか、それはグァテマラの現代史にどのような影響を与えてきたのかについて、インパクトのある講演をしてほしい、と。

 その時は、日本語版を書いている真っ最中だったし、表に車を路駐したままだったから、どうせまた社交辞令だろうと食い付くこともなく、「またあとで詳細をメールして」と言い残し、その後やはり一カ月あまりが、予想通り何の音沙汰もなく過ぎた。

 

 ところが三月アタマ、実際の話としてメールが来た。三月二七日、心理学部一回生。午後七時半から九時までの一コマ。そして大学は、グァテマラでもトップクラスのお金持ち大学、ラファエル・ランディバル。タイトルは、講義の眼目を言われたときに決定できた──「北米人類学の生成とグァテマラのマヤ系先住民 Establecimiento de la Antropologia Norteamericana y Los Indigenas Mayas en Guatemala」──アメリカ合衆国に人類学を介してどれだけグァテマラの先住民がデータを供給し貢献してきたか。なんでこんなことをニホンジンのナカタがグァテマラでグァテマラ人に教えなきゃなんないのか、と奇妙にも思うが、なんせこれこそをしにきたのである。バッチコイだ。

 

 九時終了ならバスはないので、当日は道を知らないものの自分の車で大学に向かった。大学は首都のド真ん中を少し西に外れた高級住宅街にあるそうだ。なんせ初めて行くのに要所要所では大渋滞で、手元にはグーグル・マップを刷りだした怪しげな地図のみ。迷いまくり、やはりノロノロ運転で焦りまくり。

 

 やっとの思いで到着。いやぁ、ビックリした。こんなところ、マイ・カーでないと辿り着けないではないか。たまに大学行きらしい公共バスが見受けられるが、それよりビックリしたのは大学へと続く綺麗なアクセス・ロードでジャムっている、どう見ても学生の乗った高級車である。それは間違いなく米国の一風景だった。ウィンカーの割れたピック・アップなんぞほとんど走ってない。これだけBMWやベンツがグァテマラで局所的に密集させられる歪んだ社会のメカニズムとはいったい。

 

 ナカタの所属するサン・カルロス大学というのは、グァテマラでほとんど唯一といえよう国立の総合大学である。試験や卒業論文の審査に費用はかかるが、私立に比べれば格段に安い。だからそれ程金持ちでなくとも能力に応じて入れる。それでも多くの学生には、その費用すら重い。だからことグァテマラにおいて、こうした国立大学は夜間の方が圧倒的に活気づいている。学生数も昼間に比べて倍増する。みんな働きながら通うからだ。

 こうした大学に年限はない。日本のように八年以内に卒業しなければならないというつまらない制度はなく、子供を何人も抱えた親がコツコツ金を貯めつつ何年もかかって単位を取って卒業する。だから構内は物売りか職員か学生か、はたまたそれが教官か、見分けがつかないことも多い。カブに乗って校舎に乗りつけ携帯電話の景品のようなダサいズタ袋をもった腹の出たオヤジが、じつはバルセロナ大学で社会学の博士号を取っていた、なんぞよくある話だ。

 

 そうした途上国のまさに千の可能性に開かれた国立総合大学の雰囲気とは異なり、このグァテマラ屈指の名門私立大学ランディバルのキャンパスは、完全に整備整頓されたナカタのよく知るアメリカ合衆国のそれであった。

 

 駐車場。国際空港の駐車場のようなA-1、A-2、と整備された駐車場。至る所にいるガードマン──空きスペースならどこでも路駐し、校舎の入り口までブラジル製のバイクを乗り付けるサン・カルロス大学とは大違いだ。

 

 キャンパス。欧米の大学、とりわけUSAの大学ホームページのトップに登場するような、近代的な建築様式の校舎に、手入れのされた芝生──学生運動の落書きだらけの校舎に、至る所に「Microsoft Office 2008」のシリアルナンバークロック解除済みDVDを1ドルで売ったりする露店の並ぶサン・カルロス大学とは大違いだ。

 

 そして人種。ほとんどが白人である。グァテマラは約六割が先住民で、残りの四割が「ラディーノ」と呼ばれるスペイン系白人と先住民との混血である。六割と四割ならそれで全部になるではないかとなるが、グァテマラではそれくらい白人は少なく、わずか数パーセントだ。だがここランディバルでは違う。ほとんどがファッション雑誌に出てきそうなラテン系の白人だ。もう、端から順番に「ヴィダル・サスーン」「ロレアル」「モッズ・ヘアー」である。

 

 キャンパス内の至る所にある学生には無料のネットルーム。バーガーキングにカンペーロ。オープンカフェには学生がノートブックで学内に飛んでいる無線LANをひろってネットしている。至る所にNo Smokingの張り紙がある。事実、歩きタバコの学生の密度がハンパじゃない。マナーが悪いといいたいのではない。ヘビー・スモーカーになれるほどの経済的余裕のある学生がそれほど多くいるということだ。

 

 いずれにせよ、彼ら彼女らはグァテマラでも有数の金持ちのご子息様たちである。もちろんすべてがそうではないが、TOYOTAのスターレットのGTターボを日本から直輸入して通学しているオネーチャンが、間違いなくここにいた。それほどのニッチなカーマニア情報を得た、こだわりのマイカー所有者である。ナカタは中米にきて十年、はじめてここでNISSANのスカイラインGT-R(もちろん右ハンドル。しかもR33──33だぞ。32でも34でもましてや35でもない)を見た。(※:2017年現在、米国自動車市場では、いわゆる中古車に関する「25年縛り」が解除されるので、案の定、このR-33や34がべらぼうに価格沸騰している)

 そんな学生を対象とした社会観察はどうでもいい。問題は──コイツらが国内の先住民の被抑圧的な歴史の話に共感など覚えるのであろうか?

 

 だからグァテマラなどという世界の周縁国は面白い、といいたい。イヤぁ、喰いつきがいい。質問してくるポイントも的を射ている。質問タイム。バッチバチにアイロンのかかった前衛的なデザインのシャツの襟を立てて挙手した、耳に十個近いピアスを空けたニーチャンも、ナカタが戸惑うと専門用語を英語に置き換えてくれながらコメントをしてくれた。彼が言及したフランスの歴史学者ミシェル・フーコーの発音は完璧で、日本人のナカタは聞き返すほどだった(ちなみにナカタのフラ語の能力は絶望的である。フランス南部リヨン出身の親友がいるが、彼女にフランス、サッカー代表のアンリの発音が通じるまでに三年かかった)。

 みんな本当によく勉強していて、センスもいい。

 

 さて、この状況で、ナカタはどうやっていくかな、と。はぁ。

 

 ともあれ、本当に楽しいひとときだった。徐々に九十分の講義(つまり世界的な規格である大学一コマ九十分)を、スペイン語でやったときの時間感覚も体が覚えてきた。学生一人一人の反応をみながら、どいつがイチバンこの話に「優秀」についてこられ、どのあたりの一団がとくに関心も強くなくイチバン最初に「つまんない」と見切るか、そしてそのどの辺の中間層の反応をこっちの講義のペースメーカーに見立てていけばいいか、などを観察しながら(たいして面白くもないギャグ)を織り込みながら講義を進められるようになっていた。

 

 さて、その日から一週間が今日で経つ。そして四月四日はナカタが池袋の裏路地の公園でささやかな花見をして成田からこっちに飛んできて一年が経つ。研究費の都合上、一年に数度は日本に帰っていたナカタにとって初めての長丁場だ。はっきりいって食欲はミニマム。今度日本に帰ったら、諭吉を何枚飛ばそうがウマい鰻重が食べたい。浅草あたりで。

 

 はっきりいう。今回、このブログ。あまりにも「寒」く「オチ無し」である。どうしてもいま書きたいことがあるが、それは論理上書けない。この理由はもう数日後にはわかると思うし、即刻更新したいと思う──申し訳ない。ここまで読んでもらった人。ナカタは本当に遅いと思う。

 

 昔からそうだった。とにかく万全の準備をすること。だから同業から必ず数年は遅れる。で、そこまで追い込まれながら、「これをシクればもう後がない」という人生の選択肢を平気で選んできた。この二十年ほどでシャレにならんそれに三度立ったが、心から幸運だっとしかいいようがない、なんとか「吉」にその一瞬は傾いてくれた。

 

 いま、個人的には、四度目を踏む道を選ぶかの未曾有の岐路に立っている。あるものが欲しい。それは論理的にここでは言えない。

 

 今回のブログ更新。更新できていない、と締めようと思う。

 

   



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。