グァテマラでは観光客のあいだで地元のローカルバスのことをチキンバスといい、ひとつの観光名物となっている。その不快さを風刺した土産物のTシャツなどもよく見かける。アメリカ合衆国で走っていた中古のスクールバスを改造したもので、メッチャクチャ乗客を詰め込んで走り去る姿が──というか“メッチャクチャ乗客を詰め込めたので出発した”、と言う方が正しい。ここにもちろん時刻表はなく、満員になったら出発時刻である──さながらブロイラーがドナドナ状態で出荷される様に似ているからそのように呼ばれている。
「スクールバスを改造した」と書いたが、その「改造」たるやナメてはいけない。エンジン足回り。バスの設計者が想定した倍ほどの乗客を乗せても、十分に坂を駆け上がる。これはアンティグア首都間の太い路線などの場合には、きわめて重要なこととなる。
なぜならチキンバス、できればできるだけゆっくりとナメるように走りたい。できるだけたくさんの乗客を乗せればそれだけ車掌と運転手がグルになって運賃を横領できるからだ。しかしあまりゆっくりとは走れない。後ろのバスに追い抜かれたら、そいつにその先すべての乗客を持っていかれる。
こうして二台が並んだときがエゲつない。雨期には道路は河になる。その二車線を二台のチキンバスがターボをキンキン言わせてコーナーを抜ける。内側の一台がオーバーステアリングでケツをこちらに流してくる。ときには「コン」と接触させながら、それでもバスはアンダーを当てながら一歩も引こうとしない。
映画のようなカーチェイスに民間人を強制的にエキストラにするのはやめるべきである。高橋レーシングの運転でダチョウ倶楽部でも乗っけておけばいいのだ。
室内は、経験したことのない者の想像力を遥かに上回る混沌である。グァテマラにおいて、都市間を走るこれらチキンバスには、立ち客は乗せてはいけないことになっている。たまに夕方ラッシュなら立ち客も満員になったりするが、警察の検問になると車掌が叫ぶ。「皆さん!屈んでください!」──たまにスペイン語がわかっていない外国人なんか、周りの地元民に無理矢理アタマをガツンと押さえ込まれ、狼狽し顔面蒼白を笑い者にされる──通過したら「ご協力ありがとうございました」。
だから座席が改造してある。米国ではガキ対象ですら横三人席と二人席なのだが、このグァテマラのチキンバスは微妙な2.5人席が二つ。したがって真ん中の通路は幅30センチほどしかない。
そしてこれが三人掛けである。
これはナカタの経験的統計でしかないのだが、このグァテマラ、無作為に三人を選んでくると最低ひとりはデブだ。ならば横六人掛けたとき、通路は完全に塞がれる。そしてラッシュにはそこに立ち客が乗り込んでくる。忘れてはいけない。グァテマラは三人にひとりはデブなのだ。三人立ち客が乗り込んできたら、そこにも必ずデブはいるということだ。当然そのような通路に体を割り込ませられず、だいいち面倒くさい。だからすでに先頭一列目の座席を通過できず、せず、──ジャムる。そこにさらに乗り込んでくる。さらに三人乗り込んだら──言わないでおこう。
問題はこれが最悪の事態ではないのだ。混乱はここからはじまる──車掌の運賃徴収である。勘弁してくれ。グァテマラ。せめて切符かトークン制度を導入できないか。
あり得ないスペースを車掌が通ろうとする。通れるワケがない。そこを通る。ほとんど人権を無視したドナドナ状態の車内を急カーヴの猛烈な横Gが揺さぶる。それで隣に座っているデブのオバちゃんが気持ち良さそうに寝ていたりしたら、ナカタの思考はもはやバグである。
それでも必ず料金は徴収される。最後尾まで車掌がたどり着いたとき、そのままリターンする車掌はナカタのなかで「イケ」てない。再び大騒動となり乗客の冷たい視線を浴びる。グァテマラの車掌ならば、そこから後ろの扉を開け、屋根に登り、走るバスをそのまま前の入り口まで這ってくるというスティーブン・セガールかブルース・ウィリスのようなことをやらなければならない。たまに道路標識にそのままバチコン、逝っちゃう車掌もいるらしい。セガールではなくその悪役の方にならないよう気を付けるべきだろう。
この車掌の技をナカタは「オッ、でた!ウルトラC」と呼んでいるのだが、ニカラグアにはさらに上がいるとのこと。友人の同業者で、コスタリカのことを書かせたら日本人で右に出る者はいない小澤さんがニカラグアで満員のバスに乗ったとき、車掌はバスのボディ側面の僅かなその「なげし」のような出っ張りを足場に、外から運賃を徴収していったとのこと。「いやぁナカタさん、ビックリしましたよ」──当たり前だ。中米、深すぎる。
「そんなバス、ナカタさん、危なくないんですかぁ?」──危ないに決まってる。JICAの職員は乗ることを禁じられている(ナカタのパトロンも同じ文科省のはずなんだが)。同じ宿の宿泊者が夜更けになっても帰ってこなかったことがある。心配してたら警察に保護されて顔面傷だらけで帰ってきた。首都に出かけ、帰りのバスが横転したのだ。翌日の新聞が香ばしい。この時のバス事故の記事をまとめると、バス出発前に運転手と車掌のあいだで交わされた会話は次の通り。
(場所)とある立ち飲み屋。「オッ、そろそろ出発やぞ」「オウ、そうやなぁ」「オレ、ちょっと飲み過ぎちゃった。オマエ、運転代わってくれやぁ」「オレも飲んでんやけど。第一オレ、免許持ってないやんかぁ」「それでもオマエ、ずっとオレより呑んだ量少ないやんけ。大丈夫大丈夫」──それで車掌はカーブを曲がりきれずバスは横転。事故直後、その二人はヤベェ、ということで現場を即刻逃げている。「乗客救助」なる概念などあったものではない。
そんなチキンバスでもこの数年、ナカタの感じる変化がある。とりわけ9・11以降の原油高騰で、この首都への路線運賃もほぼ倍になった。それでもますます多くの人が毎日、このチキンバスで圧縮されている。
一方で、首都への所要時間は増えるばかりだ。それだけ車の量が増えたということである。ますます膨張し続ける大都市グァテマラシティ。新車のマイカーで出勤する波を、ジワジワ高騰する運賃で下層階級の首を真綿で絞めるチキンバスがエアホーンを「パッパー」と景気よくならしながら掻き分けて突き進む。
そしてそれにナカタはこれからも乗るだろう。この車窓からしか見えないものがあるはずだからだ。